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サビイロ契約

72

 珂月の背後で浩誠がゆっくりと立ち上がった。
 浩誠は珂月の横に立ち、切れた口を開いた。

「俺は珂月が好きだ」

 浩誠は凛とした声で言った。
 珂月は瞳を震わせて浩誠を見上げ、ルザは目だけを動かして浩誠を見た。

「好きだから、いろいろしてやりたいと思う。守ってやりたいし、笑わせたいし、抱きたいとも思う。
それは普通のことだろ? 愛してるんだから。それに」

 浩誠は珂月に優しくほほえんだ。

「珂月がしたいことはなんでも叶えてやりたいと思う。俺の意にそぐわなくても、珂月が選んだことならそれでいいと思う。それを邪魔したりはしない」

 浩誠はルザをまっすぐに見据えた。

「あんたは、どうなんだ?」

 ルザは黙って浩誠を睨んだ。

「あんたは」浩誠が言った。
「珂月のことをどう思ってるんだ? ただの獲物だと思ってるなら、飽きるまでの存在だと思ってるなら、俺はお前を珂月に近づけさせない。
できないとしても、命ある限り珂月を守る」

「浩兄……」

 珂月は浩誠がなぜこんなことを言うのか理解できなかった。
 自分はなんの取り柄もないただの役立たずなのに、どうしてここまで想ってくれるのかわからなかった。
 今まで浩誠にしてもらったことはたくさんあるが、珂月が浩誠にしてやったことなどあるのだろうか。

「そうか」

 ルザは軽く頷いてみせた。

「お前の言いたいことはなんとなくわかった」

 ルザはそう言って口端をつり上げた。

「ならよかった。ダラザレオスも人間らしいところがあるんだな」

 浩誠も同じようにかすかに笑った。
 同じ内容を聞いていたはずの珂月は、二人がなぜ笑っているのかわからなかった。

「珂月」

 呼ばれて珂月は反射的にルザのほうを向いた。
 ルザは先ほどまでの冷たい眼光を納め、今は穏やかな表情をしていた。
 浩誠もまた、珂月を見ていた。

「来い」

 ルザは珂月に手を差しのべた。
 珂月はどうしてよいかわからず浩誠を見上げたが、浩誠はなにも言ってくれなかった。

「ここに残ってもいいんだぞ。お前が望むなら、俺はそいつを殺さないから」

 ルザが言った。
 ルザは嘘をつかないし、口にしたことは必ず守る。
 珂月は迷った。
 献身的に珂月を愛してくれる浩誠のところか、傲慢で強引なルザのところか。

 三人のいる屋上を冷ややかな夜風が通り抜けていく。
 風で雲がちぎれ、上弦の月が現れて地上を照らし始めた。

 珂月は月明かりに照らされた二人の顔を交互に見つめた。
 二人ともじっとして、珂月を待っている。

 珂月はよろよろと立ち上がり、差しのべられた手に向かって歩きだした。
 そしてそっと手を取った。

 浩誠は黙って珂月の後ろ姿を見送った。
 珂月がルザの手を取ると、浩誠はほんのわずかなあいだ下を向いたが、誰も見ていないうちにパッと顔を上げた。

 ルザは珂月の手を握り、待機しているバイラのところへ戻ると珂月をまず乗せ、ついで自分も飛び乗った。
 珂月は腰に回された腕に手を乗せ、ルザに背中を預けて安定した姿勢を作った。

 バイラは音もなく空に舞い上がった。
 珂月はどんどん小さくなる浩誠のアパートの屋上を見下ろした。
 浩誠は一人そこにたたずんで珂月たちを仰いでいる。
 珂月はなにか叫びたかったが、言葉にならなかった。
 浩誠は珂月たちが見えなくなるまでそこを離れなかった。


   ◆


 二人は空を飛んでいるあいだ一言も言葉を交わさなかった。
 ルザは前に乗せた珂月が落ちないように気づかいながら、半月を背にして飛び続けた。

 降り立ったのは都心からかなり離れたところの小規模な森林公園だった。
 小高い丘になっているので、開けたところに来ると月明かりで周囲に広がる住宅街がよく見えた。

 ルザは珂月をそばに来させ、のび放題の芝生の上に並んで立った。

「珂月」
「なに?」

 ルザはゆっくりと珂月のほうを向いた。
 珂月は純粋な目でルザの言葉を待っている。


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