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サビイロ契約

65

 ドアを軽く二回ノックすると、中から返事があった。

「失礼します」

 珂月は分厚いA4サイズの封筒を数枚、小脇に抱えて静かに入室した。
 五十井のデスクの前に立ち、封筒を差し出す。

「武器の本池さんからお預かりしてきました」
「ああ」

 五十井は封筒を受け取り、中の書類に目を通している。
 珂月はデスクの端に置かれた空の湯のみに気がついた。

「新しいお茶入れてきます」
「ああ」

 珂月は湯のみを持って控室に入り、手際良くお茶を入れると、盆に乗せて社長室に戻った。
 五十井はいったん書類を置いて湯のみを受け取った。

「珂月」
「はい」

 退室しようとしていた珂月は、五十井のそばに戻った。

「なんでしょうか」
「そろそろ俺を頼る気になったか?」

 五十井は書類をめくりながら言った。
 珂月は体の両脇でこぶしを握りしめた。

「それは……」

 珂月はうつむいて口ごもった。

 ウァラクの一件から一カ月が経った。
 珂月は散骨から戻ってから、ずっとうかない顔をしていた。
 仕事はきっちりこなしているが、どこか上の空だった。

 珂月はウァラクの言葉が忘れられなかった。
 珂月はすっかりルザのいる日常に慣れ、ルザがつけた印に頼ってバイラと戦っている。
 しかし、珂月の命を奪うのはほかでもないルザなのだ。
 死をもたらす存在にすがって生きているなど、なんとも矛盾した話だ。

 このままでいいはずがない。
 それはわかっているのだが、珂月はなぜだか行動を起こそうという気になれなかった。

 珂月は遠慮がちにほほ笑んだ。

「五十井さんはお忙しい身ですから……俺のことなんてお構いなく……」
「そういうわけにはいかない」

 五十井は少し語気を強めた。

「君も見ただろう。あの惨劇……あれは俺の失態だ。未然に防ぐことができなかった。君に忠告をもらったにも関わらずな」
「それは……」
「ウァラクは危険な男だった。この部屋で、初めて会ったときからそれは感じていたよ。俺を前にしても動じるどころか、はなから相手にしていなかった。
もっときちんと彼を見極めていれば、留宇を助けることができたかもしれない」

 しかし、珂月は五十井が口ではそう言っていても、初めから留宇を助ける気などなかったと確信していた。
 五十井は留宇がどのような結末をたどるか、実際に見て確かめたかったのだ。

 仮に五十井に留宇を助ける気があったとしたら、ウァラクは留宇を連れてとうにここを離れてしまっていただろう。
 ダラザレオスは己に対する他人の感情を、相手のわずかな挙動から野性的な勘で素早く見抜く。

「珂月、俺は君を助けたい」

 珂月には五十井の心がどこにあるのか、見ることはできなかった。

「ありがとうございます、でも……」
「でもじゃない。これは君だけの問題じゃないんだ。また新宿を血の海にしたいのか? 君のせいで仲間が死ぬかもしれないんだぞ?」

 珂月は親に叱られた子供のように、黙ってうつむいたまま顔を上げようとしなかった。

 痺れを切らした五十井は椅子から立ち上がり、珂月の腕をつかむと背中を窓に叩きつけた。

「いっ……」
「おい、まさかお前、ダラザレオスに入れこんでんじゃないだろうな?」

 五十井は珂月の顎をつかみ、無理やり視線を合わせた。
 珂月は厳しい目をした五十井を見上げ、生唾を飲みこんだ。

「そんなことは――」
「ないよな。留宇が死ぬところを見ておいてそんな馬鹿なこと言えるわけねえよな?」

 五十井は口端をつり上げた。

「いいか、お前はシンク・ベルに出入りしてここの飯を食ってる。お前はとっくに俺のものなんだ。
ダラザレオスの好きなようになんかさせるか。いい加減に全部吐いちまえ。楽になるぞ?」

 珂月の腕をつかむ五十井の手に力がこもった。

「……お前、留宇みたいに殺されたいのか? ダラザレオスに好き勝手させて人間殺させといて、それでもなんとも思わねえのか?
あ? そんなんでオヤジに顔向けできんのかよ?」

 珂月は下唇をかんだ。
 目に涙があふれた。
 それでも珂月はなにも言わなかった。

 五十井は珂月を冷たく見下ろしていたが、短くため息をつくと珂月から手を離した。

「……もういい、下がれ。今日の仕事は終わりだ」

 珂月はうなだれ、よろよろと社長室をあとにした。


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