サビイロ契約
64
珂月は留宇を車に乗せ、あちこちぶつけながらもなんとか高速道路を降りてシンク・ベルに戻った。
地下駐車場に入ると、五十井の部下たちが怖い顔をしてやってきた。
だが、珂月が後部座席から留宇の遺体を抱き上げると、虚をつかれた顔をして、なにも言わなかった。
すぐに五十井がやってきて、珂月は留宇を抱きしめたまま、事の次第をとうとうと話した。
五十井はそうかと一言言ったきり、車を勝手に持ち出したことは咎めなかった。
それどころか、留宇に同情して火葬場まで手配してくれた。
留宇は天涯孤独の身で、本人が言わなかったので誰も故郷を知らなかった。
珂月は留宇をその辺の寺の共同墓地に埋葬したくはなかった。
珂月は留宇を火葬ではなく、散骨にしてほしいと頼んだ。
五十井は君の気が済むようにすればいいと言ってくれた。
両腕に抱えられるほどの壺となった留宇を抱え、珂月はルザに海まで連れて行ってほしいと頼んだ。
ルザは黙って頷き、いつも騎乗している狼型バイラを呼び出すと、珂月を自分の前に乗せてしっかりと腹に手を回して飛び立った。
初めての空の旅だったが、珂月はなんとも思わなかった。
大事そうに壺を抱きかかえ、まっすぐ東の空を見つめていた。
砂浜を見るのは数年ぶりだった。
日はだいぶ傾いてきていたが、空は透き通る青で、海も青々としていた。
白い波がいくつもいくつも押し寄せてきては、細かい砂を巻きこんで引いていく。
吹きすさぶ風は潮の匂いがして少し髪がべたついた。
砂浜にいると空からとても目立つので、いつ何時やってくるかわからないバイラを恐れて誰もいなかった。
ただ波の音だけが力強く、遠くまで響いていた。
世界が変わってしまっても、海は昔のまま、珂月の記憶のままだった。
ルザは浜辺の奥に腰を下ろし、海に近づこうとはしなかった。
バイラはルザに寄り添うようにして伏せている。
珂月は靴を脱いでズボンをまくりあげると、波打ち際に歩いていった。
珂月は膝下まで海水に浸かるところまで進み、立ち止まった。
ひっきりなしにやってくる波が、まくったズボンの裾を濡らした。
たった数十センチの深さのところにいるのに、波の力は強く、珂月を沖に連れ去ろうとしているかのようだった。
珂月は壺の蓋を開け、中につまった白い粉末を海に撒いた。
骨の粉は、波の上に落ちると小さく水しぶきをあげて見えなくなった。
珂月は無心に、機械的に粉を撒いた。
ときどき、粉が宙を舞うときに日の光に照らされてキラリと光った。
足元でさらさらと流れる砂が少しくすぐったかった。
「世界を見ておいでよ。留宇」
恐らく本当の名前ではないだろうが、珂月は心をこめてその名を呼んだ。
どこまでも続く海に流れて、世界中をまわれるように。
世界に留宇が溶けこめるように。
壺の中が空っぽになると、逆さにして底に溜まった粉をふるい落とした。
そして、いらなくなった壺を、沖に向かって思いっきり投げた。
珂月は波間にぷかぷか浮かぶ壺を眺めながら、これがダラザレオスと契約した者の末路なのかと感慨にふけった。
ウァラクはためらいなく留宇を噛み殺した。
留宇がなにを思って死んでいったのかは、留宇自身しか知りえない。
「いつかおれも……」
珂月はちらりと振り向いて浜辺をうかがった。
ルザは雑草の生えているところに座り、バイラに寄りかかって海を眺めている。
ぶくりと泡の音がしたので海を見ると、さっきまでたゆたっていた壺がどこにも見当たらなかった。
波が来て沈んでしまったらしい。
ひときわ高い波が来てズボンが太ももまで濡れてしまい、珂月は慌てて浜辺に戻った。
潮が満ちてきたようだ。
砂が乾いているところまで来ると、ルザのほかは誰もいないからと恥ずかしげもなくズボンを脱いで固くしぼった。
「あーあ……」
珂月はげんなりして色の濃くなったズボンを眺めた。
半分以上濡れている上、脱いだときに砂浜に触れて砂がこびりついてしまった。
はきたくはないが、パンツだけで帰りたくもない。
「おい」
声をかけられて顔をあげると、ルザがいつの間にかすぐそばまで歩いてきていた。
「帰るぞ」
「なんだよ急に……」
面倒ごとは終わっただろと言いたげなルザを珂月は半眼で睨んだ。
ルザは珂月の背後を顎でしゃくって示した。
堤防の影から、いくつか人の頭が覗いていた。
珂月が振り返ると引っこんだ。
「俺たちがバイラで降りてくるところを見てた奴らだろう」
「ああ、そういうこと……。早く帰ったほうがよさそうだね」
珂月は仕方なく濡れたズボンをはいた。
ルザはバイラの背に飛び乗り、珂月を引っ張りあげた。
珂月は落ちないようルザの背中にぎゅっとしがみついた。
バイラは砂を蹴って飛び上がった。
どんどん遠ざかる海岸に、ハンターとおぼしき男たちが武器を手に駆けつけてくるのを珂月は見た。
ハンターたちは珂月を見上げているが、その顔まではわからない。
すぐに豆粒ほどの小ささになった。
突然眩しい光が珂月を襲った。
雲に隠れていた西日が姿を現したのだ。
珂月は目の上に手をかざして夕日を見た。
水平線がオレンジに輝いている。
波に反射した夕日がちかちかして目が痛い。
珂月は目を閉じ、ルザの背中に額をつけた。
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