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サビイロ契約

62

「まるで天使みたいだった。透けるような銀色の髪が夜風になびいて……。
なにもできない僕のところにこんな綺麗な人が迎えに来てくれるなんて信じられなくて、神様に感謝した」

 そのときのことを思い出しているのか、空を見つめる留宇の瞳はうっすらと濡れていた。

「それからウァラクはずっと、僕のそばにいてくれた。お腹がすくと、どこからか食べ物を持ってきてくれた。
生まれて初めて、一緒にいたいと思える人と出会えたんだ」

 留宇ははにかんだように笑った。
 珂月は留宇の笑顔にどきりとした。
 そこには男を惑わせる甘い毒のような色香が確かにあった。

「東京に来てしばらくしてから、五十井が現れて僕とウァラクをシンク・ベルに連れて行った。あの人には敵わないよ。
ウァラクはそれまで僕以外の人間とは話そうともしなかったのに、あの人はウァラクを説得しちゃったんだから」

 珂月は改めて五十井の底知れなさを感じた。
 珂月とルザのこともいつの間にか嗅ぎつけていたし、一体何者なのだろうか。

 珂月はハンドルの上に顎を乗せて青い空を見上げ、ダラザレオスが天使か、と心の中で呟いた。
 どちらかといえば悪魔だが、留宇にとっては餓死しかけていたところを救ってくれた天使なのだ。
 だからあんなになついて、どんなに邪険にされてもそばを離れなかったのだ。

 珂月も世界狩りで父親を亡くしたが、浩誠がいたからなんとかやってこられた。
 だが、留宇には誰もいなかった。
 プライドを捨て、強い者に媚びて生きるしかなかった。
 もし浩誠がいなければ、珂月も似たり寄ったりの状況に置かれていたかもしれない。

「……僕、ウァラクの手にかかって死ねるのを待ってたんだ。それが一番だと思ってた。でも、なのに、ほら」

 留宇はいきなり珂月の手首をつかんだ。
 留宇の手は冷たく、震えている。

「……震えてるだろ。おかしいよね。僕はウァラクがいなければとっくに死んでたのに、ウァラクに救われた命なのに……今頃になって、もっと生きたくなってきた。
馬鹿みたい。ずっと楽になりたいって思ってたのに、いざとなると死ぬのが怖い」

 留宇はこうべを垂れて、しゃくりあげているのか笑っているのかわからない声を漏らした。
 珂月はどう声をかけるべきかわからなかった。
 珂月の手首をつかむ留宇の手に、力がこもった。
 それでもあまり痛くない。
 留宇は非力だった。

「……生きたいって思うのは、普通のことだろ。なんにもおかしくないよ……」

 珂月はパーカーの上から左胸を押さえた。

 不意に、珂月の顔に影が落ちた。
 ハッとして顔を上げると、バイラが旋回しながら高度を下げてくるところだった。

「まずい、見つかった!」

 珂月が叫ぶと留宇も顔を上げた。
 留宇は瞳を震わせ、降りてくる狼型のバイラを見つめている。

 留宇は助手席のドアを開け、外に出た。

「留宇!」

 珂月は慌てて留宇に腕を伸ばしたが、留宇は珂月の腕を避けて首を振り、笑みのようなものを形作った。

「いいんだ。ここまで連れてきてくれて、ありがとう」

 留宇はドアを閉めた。

「留――」

 珂月は追って外に飛びだした。
 留宇は車から離れて歩いていく。
 珂月はその細い背中に向かって駆けだそうとした。

 珂月が動くよりも早く、留宇の眼前にバイラが降り立ち、背の高い男が滑り下りてきた。
 美しい銀糸の髪を持つ長身のダラザレオス、ウァラクだ。
 ウァラクは留宇の前に立ち、留宇の背中に片手を回して抱き寄せると、もう片方の手で留宇の髪をつかんで上を向かせた。
 そしてあらわになった白い喉笛に思いきり噛みついた。

 赤い血が流れて留宇のシャツの襟を汚していった。
 ウァラクは喉を鳴らして血を飲んだ。
 珂月は走り出そうと右足を前に出したまま、根が生えたようにその場から動けなくなった。

 ウァラクは留宇の首に顔をうずめ、延々と血をすすっていた。
 時々飲みこめなかった血が口端から垂れていく。

 さんざん飲みつくすと、ウァラクは顔を上げて大きく息を吐いた。
 真っ赤に染まった唇を舐め、留宇を離す。
 留宇はくたりとくずおれた。
 事切れている。
 半分開いた瞳は虚ろだった。

 ウァラクは珂月に目を留めた。
 ウァラクが一歩踏み出すと、珂月はびくりと肩を震わせ、留宇から目を離してウァラクを見た。
 ウァラクは機嫌よく珂月に笑いかけた。

「お前も味見させろよ。そんな甘そうな匂いさせて、誘ってんだろ?」

 珂月は顔から血の気が引いていくのを感じた。
 後ずさると、ウァラクはさも嬉しそうににやつきながら、ゆっくりと近づいてくる。

 どんどん距離が縮まっていく。
 全力で逃げたいのに、後ろを向くことが恐怖だった。
 ウァラクを視界に収めておかないと、見失った次の瞬間には殺されているような気がする。

 ウァラクの腕が珂月を捕えた。
 遠慮ない力で引き寄せられる。
 珂月はウァラクの唇の隙間から覗く赤く濡れた歯を見て、背筋が凍った。


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あきゅろす。
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