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サビイロ契約

58

 新宿は血の海だった。
 悲鳴と怒号と耳触りな鳴き声が不協和音を奏でている。
 ガラスが割れる音、地響き、小さな爆発音、なにかが倒れる音、そんな音がひっきりなしにしている。

 高層ビルの間を、バイラの群れが縫うようにして低空飛行していく。
 人間を引き裂くための尖った歯をむき出し、興奮してぎゃあぎゃあと叫んでいる。
 逃げる人間を見つけると、我先にとたかって捕まえ、その場で食いちぎった。
 アスファルトと横断歩道の白いラインが血に染まった。

 穏やかな一日は、突如として現れたバイラの大群によって打ち壊された。
 大群の先頭には二体の狼型のバイラがいて、おのおの背にダラザレオスを乗せていた。
 それを地上で出迎えたのはウァラクだった。

 ウァラクは友人が遊びに来たいと言ったので了承した。
 たったそれだけの理由で、新宿は血の海になった。
 二人のダラザレオスは、まるでピクニックに来ているかのように楽しげだった。

 震えあがった人々は建物の中に逃げこんだ。
 今まで、屋内に隠れて息をひそめていれば襲われることはなかった。
 しかし、今回はバイラの数が多すぎた。
 血を求めて異界の獣は町を徘徊し、割れた窓の奥にひそむ獲物を見つけると、体当たりで強化ガラスをぶち破って侵入した。
 尖ったガラスの破片で少々の傷を負っても気にしない。
 食欲が彼らを突き動かしていた。

 建物に隠れていた人々は、バイラに嗅ぎつけられ度肝を抜かれた。
 狡猾な男は手近にいた青年を蹴り飛ばして囮にし、バイラが気を引かれている隙に逃げた。
 逃げ遅れた青年はマイクロバスほどもある背の高いワニのようなバイラに押さえつけられ、断末魔の叫びをあげた。
 新宿にはもう、逃げ場はなかった。

 シンク・ベルの青いビルにも血潮が飛んでいた。
 だがシンク・ベルの腕ききハンターが守っているので、ビルに傷はついていない。

 場数を踏んできたハンターたちも、これほどの数のバイラを相手にするのは世界狩り以来だった。
 大勢で陣形を組んで動かないと、たちまち食われてしまう。

 地上では血みどろの惨劇が行われているというのに、空は雲ひとつないさわやかな快晴だった。





 二人のダラザレオスは、バイラの背に乗って地上三階あたりの高度をふよふよ浮遊しながら、眼下の様子を眺めていた。
 ウァラクとたいして変わらない年の若い男女だった。
 二人とも白に近い銀色の髪で、黒い上下に身を包んでいる。
 武器の類は持っていない。

 女は血の匂いの混じった空気をおいしそうに吸いこみ、薄い唇をつり上げて笑った。

「んー久しぶりね! こういうの!」
「そうだね、姉さん」

 男は淡々とした声色で答えた。
 眠そうな無表情だが、血の匂いに侵されて目だけはらんらんと輝いている。

「狩りなんていつぶりかしら? ウァラクも大概変わり者よねー。こんないいところにいて今までなんにもしなかったんでしょ?」
「みたいだね。人間の中で生活してみるのも面白いって言ってたし」
「ふーん……でもさ、私たちが来ちゃったからもう生活できないんじゃない? なんか悪いことしたかな……」
「いいんじゃない別に」

 弟は大きくあくびをした。

「だめだったら遊びに来ていいなんて言わないだろ。ウァラクもこの生活に飽きたんじゃないの」
「そっか」

 姉はにっこりして頷いた。

「……あ、見てよ姉さん」

 弟はふと下を指差した。
 姉が身を乗り出してうかがうと、猿の形をしたバイラが地面に倒れて痙攣していた。
 そこに一人のハンターが乗り上げ、首を落とした。

「おお?」

 姉は目を丸くした。
 よく見ると、あちこちでバイラが息絶えている。

「あれっ? どういうこと? 返り討ちに遭ってるじゃない」
「人間を甘く見過ぎだよ。そりゃ抵抗くらいするでしょ。向こうだって必死なんだし」
「えーっ私のバイラが! 信じられない、降りるわよ!」
「降りるの?」

 弟の面倒そうな声を無視し、姉はバイラから飛び降りた。
 十メートル下のアスファルトに猫のようにしなやかに着地し、バイラと格闘するハンターの集団につかつかと歩み寄った。

「おいお前ら! 私のバイラになにしてんの!」

 こんな場所にいるはずのない女の声に、ハンターたちはぎょっとして振り返った。
 ハンターに傷つけられたバイラは、ハンターの頭上を飛んで女の背後に隠れた。
 銀髪の女を見て、ハンターたちの顔は真っ青になる。

「ダラザレオス……」
「そうよ」


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