57 「貸しなよ」 後ろから声をかけると、留宇は驚いて振り向いた。 留宇がなにも言おうとしないので、珂月は留宇の手から盆を奪うと自分のテーブルに持っていった。 留宇はひどくぼんやりしている様子で、黙って珂月のあとについてテーブルに座った。 珂月は再びシチューにスプーンを突っこみながら、横目で留宇を観察した。 昼間ウァラクに抱かれているところを目撃してしまったせいか、ひどくやつれて見える。 よれた水色のシャツの上に薄いカーキのジャケットを羽織り、ちまちまとシチューを食べている。 じっと見過ぎたのか、留宇はぱっと顔をあげて珂月を睨んだ。 「……なんで見るの」 「いや、別に」 珂月は食事に戻ったが、やはりどうにも気になって、留宇に目をやってしまう。 留宇のシチューは一向に量が減らなかった。 「なあ、顔色悪いけど、大丈夫か?」 珂月がたずねると、留宇はこくりと頷いた。 「平気だ。別に、いつもこんなんだから」 「いつも……なのか」 珂月は昼間の光景を思い出してしまい、食事の手が止まった。 あんなことが日常茶飯事では、やつれるのも無理はない。 「なんでお前がそんな顔するんだよ」 うつむいた珂月の表情を見て、留宇が怪訝そうに言った。 珂月は留宇の顔を見られなかった。 「だってお前、よく耐えてられるなと思って……」 「は?」 留宇は目を丸くした。 「耐えてって……なんの話だよ?」 「え、だってお前今、いつもこうだって言っただろ」 「言ったけど、顔色がいつも悪いからってなに――」 留宇は言いながらなにか悟ったようで、だんだんと固い表情が変わっていく。 「お前、……見てたのか?」 「えっ?」 今度は珂月が目を丸くする番だった。 「見てたんだな!?」 「え、いや、見てないよ」 珂月は慌てて否定したが、見たと言っているようなものだった。 留宇はみるみるうちに顔を怒りに赤くし、眉をつり上げた。 かちゃりと音を立ててスプーンを置き、なにか言いたそうに唇を震わせていたが、結局なにも言わずに席を立って去ってしまった。 半分以上残った夕食はテーブルに置かれたままだった。 ◆ 当直室に入り、空いていたベッドに寝転がると、すぐそばから爆発音のようなくしゃみが聞こえてきた。 ベッドの周り三方は背の低いパーテーションで区切られているが、天井はすべて繋がっている。 隣のベッドで寝ている者の寝返りの音まで、はっきり聞こえてくる。 当直のハンター全員がこの元オフィスに押しこめられているので、姿は見えないが気配は濃い。 襲撃があったとき迅速に対応するために、こうしてまとまって寝かされるのだろうが、いかんせん落ち着かない。 珂月はベッドに仰向けに寝転がっていたが、照明は落とされているものの眠気はやってこなかった。 複数のいびきが聞こえてくるが、鍵もプライベートもないこんな場所で堂々と眠れるほど、珂月は神経が太くない。 珂月はしばらくもんもんとしていたが、ふと思いついてベッドを降りて靴をひっかけた。 足音を忍ばせ、ほかのベッドを見てまわった。 だいたいのベッドは大きく盛り上がり、いびきをかいている。 オフィスをぐるりと回ったが、十個ある小部屋のどこにも留宇らしき姿はなかった。 自分のベッドに戻った珂月は、布団をかぶって横になった。 夕食にいたのだから留宇も当直なのだろう。 しかしここにいないとなると、どこかでウァラクと一緒にいるのだろうか。 珂月は寝つくまでの暇つぶしに、留宇のことと五十井の言っていたことを考えた。 果たして自分はルザを殺せるものなら殺したいと、本当に思っているだろうか。 それに、ルザは五十井に殺されるような奴だろうか。 珂月は留宇が他人のような気がしなかった。 唯一、自分と同じ境遇に置かれた少年。 彼は珂月以上に、きわどい生を送っている。 珂月は留宇がどんな態度を取ろうとも、彼が心配でならなかった。 このままの状態がずっと続くわけではない。 いつかきっと―― そんなことを考えていると、珂月はますます眠れなくなるのだった。 そして、珂月の不安は、最悪の形で現実のものとなる。 → \ ←*| [戻る] |