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サビイロ契約

56

「珂月、君は特別な存在なんだよ。だからこうしてそばに置いている」

 五十井はそろりそろりと珂月に腕を伸ばしていく。

「英雄の息子だからじゃない――わかるだろ?」

 珂月は思わずかぶりを振っていた。
 もはや本能に近かった。

「嘘はよくないなあ」

 五十井の手が珂月のうなじに触れた。
 冷たい指先に首の裏をなでられ、珂月は鳥肌が立った。

「俺は君のことが心配なんだよ。君の親しい榎村浩誠くんと同じように、君のことを思っている。君を守りたい。
だからそのために、君のことをもっと知りたい……」

 うなじをなでていた手はゆっくりと移動し、珂月の首をまわって指先が顎を捉えた。

「ねえ? 珂月」

 珂月は催眠術にでもかかったように、五十井から目を離せなくなっていた。

「本当のことを教えてくれないか。きっと力になれるから。一人で抱えていても、なにもならないよ。
相談できる相手がいるのといないのでは、心の持ちかたがだいぶ変わってくるはずだ。
君の考えていることだけが真実とはかぎらないんだよ」

 珂月は生唾を飲みこんだ。
 五十井は珂月の予想以上に物事を把握していた。
 珂月がルザと通じていることに、初めから気づいていたのだ。

「確かに君の言うとおり、うちのハンターでもダラザレオスには敵わない。でもそれはサシでやり合ったときの話だ。
俺にはたくさんの部下がいる。世界狩りのときは奇襲だったから遅れを取ってしまったが、もう同じ轍は踏まない。
彼らの行動や能力を研究して、しっかり対策はできている。シンク・ベルが一丸となれば、ダラザレオスの一人や二人、どうとでもできるんだよ」

 珂月は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

 もし、ルザに対抗する力があれば。

 ルザを亡き者にできるのならば。

「俺を信用してくれないかな。君の助けになりたいんだよ」

 自分が殺される前に、ルザを殺す。
 それは魅力的な案に思えた。

 しかし珂月は首を横に振った。

「あの……そんなに親身になっていただいてありがとうございます。でも、言ってることがよくわからないです……」

 五十井は珂月の顎に手をかけたまま、じっと珂月の顔を覗きこんでいた。
 珂月は視線に耐えきれず、下を向いて沈黙した。

 重苦しい空気が二人の上を漂った。
 沈黙を破ったのは五十井だった。

「そうか。ちょっと先走ってしまったかな」

 五十井は珂月から手を離し、残った茶を飲み干した。

「下げてくれ。残りは食べていい」

 珂月は湯のみと皿を盆に乗せ、そそくさと控室に退散した。
 ずっと食べたかったチーズスフレを口にしても、ろくに味もわからなかった。


   ◆


 夜、珂月は社員食堂で夕食を取った。

 食堂は三階まで吹き抜けの、モダンで開放的なレストランだった。
 一面のガラス窓から外の景色を眺めながら食事ができる。
 照明が必要最低限しか灯されていないので、ビルの隙間から星空が見えた。

 白いプラスチック製のテーブルがあちこちに置かれているが、ほとんどは埃をかぶっている。
 ここを使用するのは寝泊まりしている五十井の部下と宿直のハンターくらいなので、レストランの八割は使われていない。
 厨房の周りだけが明るく、あとは真っ暗だった。

 メニューは一つだけで、配膳台で身分証を見せてリストにチェックし、食事をもらう。
 ハンターたちは適当に座って食事をかきこむ。
 味わおうだとか綺麗に食べようだなんて、彼らは考えていない。
 綺麗なレストランだが、雰囲気は場末の大衆食堂だった。

 珂月は隅っこの小さな三人がけの丸テーブルに一人で座り、そっと周囲をうかがいながらご飯をつついていた。
 深皿に盛られたホワイトシチューと山盛りのご飯、焼き鮭の切り身一つが今夜のメニューだった。
 珂月の普段の夕食の一、五倍はあったが、食べきれないことはなかった。

 珂月が薄いシチューをスプーンでせっせとすくって飲んでいると、ふらふらと食堂にやってくる小柄な影があった。
 留宇だった。

 留宇は配膳台で食事をもらうと、よたよたと空いているテーブルを探し始めた。
 今にも皿の乗った盆を落としそうだが、皆食事に夢中で見向きもしない。

 珂月はスプーンを置いて立ち上がり、留宇に歩み寄った。



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