サビイロ契約
42
次の日の午後、笠木が迎えに来た。
珂月は新しいサバイバルナイフを腰に下げ、車に乗った。
ビルに到着すると、珂月はまっすぐ最上階まで連れて行かれた。
五十井は黒地にグレーのストライプが入ったスーツを着て、中のシャツはワインレッドだった。
人を選ぶ格好だが、五十井は完璧に着こなしていた。
辞令を受け取った珂月は、三回読み返してようやく内容を理解した。
「社長付って、これ、つまり……」
「私の側仕えってことだよ」
珂月は思わず後ろに控えているはずの笠木を振り返ったが、そこに笠木の姿はなかった。
「君には私のそばに控えてもらい、普段は小間使い、いざというときにはボディーガードになってもらう。
つまりは本社勤務だ。ほかのハンターのようにバイラを倒してノルマを稼ぐ必要はない。そのかわり、きちんと毎週ここで働いてもらう」
珂月がとまどっているうちに、五十井は珂月にシンク・ベルの身分証とスケジュールを渡した。
「ここに必要なものは全て揃っているから、あとはやりながら覚えていきなさい。
難しいことは笠木に任せてあるから、君は私の世話をしてくれればいい」
「世話、ですか」
「食事を運んだり、書類を運んだり、伝令役になってもらったり、その程度だよ。あとはまあ、いろいろと。簡単だろ?」
「はあ……OLみたいなもんですか?」
「はは、似て非なりってところかな」
五十井は回転椅子の背にもたれて笑った。
笑うと少し人懐こさが増したが、それでもやはりどこか普通の人間とは違ったオーラをまとっていた。
五十井は全身から人の上に立つ者の威厳を漂わせているので、珂月は昨日はまともに正面から見ることすらできなかった。
しかし今、初めて笑うところを目にして、珂月はようやく五十井の顔をしっかりと目に収めた。
年のころは笠木と同じか、少し下くらいだろうか。
恐らく三十路前後だろう。
もっと若いのかもしれないが、ワックスできっちりと整えられた黒髪と、一挙手一投足からうかがえる貫禄が、キャリアを積んだ年配の役員を思わせる。
感情の見えない鋭い目と薄い唇が酷薄そうなイメージだが、マゾっ気のある女性にはもてそうだった。
あの冷たい目に見据えられると、従わなければという気になってしまう。
「今日は仕事はしなくていいから、各所に顔見せしてくるといい。明日からは頼むよ」
「はあ、わかりました」
珂月はぺこりと頭を下げ、そそくさと部屋をあとにした。
学も実力もないただのハンター見習いが、いきなり組織のボスの側仕えとは、世の中なにが起こるかわからない。
珂月はスケジュールに目を通しながら、ゆっくり廊下を歩いた。
五十井がここに来る日は必ず側にいなければならないようだ。
少なくとも、週に四日はここに通うことになる。
今まで通りの生活は続けられそうになかった。
武器庫よりさらに下の階の、ハンターが自由に使えるフロアに降りた珂月は、廊下の向こうからウァラクと留宇がやってくるのを目にとめた。
引き返そうかとも思ったが、これからここで働くことになる以上、避けては通れない道だ。
珂月は腹をくくり、知らんぷりを装って二人の脇を素通りしようとした。
すれ違う際、ウァラクは素早く珂月の腕をつかんだ。
「おい」
振りほどこうとしても無駄なあがきだった。
珂月は奥歯を噛みしめ、ウァラクを見上げた。
ルザやアスタルトよりも背が高く、平べったい体つきをしている。
ウァラクは商品でも品定めするように珂月を見下ろした。
「……離せよ」
「お前新しいハンターか? うまそうだな。ちょっと味見させろ」
かがんで顔を近づけられ、珂月は息をのんだ。
「やめろよ!」
珂月は思いきり手首をまわしてウァラクの手を振りほどき、廊下の壁に背中が当たるまで後ずさった。
「……できもしないこと言うな。あんたはおれに手出しできないはずだろ」
珂月が震え声で言うと、ウァラクは面白くなさそうに鼻で笑った。
ウァラクの腕に細い腕が絡められた。
ウァラクの後ろにいた留宇だ。
留宇は甘えた目つきでウァラクに話しかけた。
「ねえ、なに言ってんの。僕がいるからいいじゃん」
留宇はウァラクの腕に体をすり寄せ、目を眇めて珂月を見た。
間近で見る留宇は、目が大きくて肌が白く、まるで女の子のようだった。
「行こうよ」
留宇がせっつくと、ウァラクは乱暴に留宇を突き飛ばした。
華奢な留宇は簡単に床に倒れた。
「やかましい、俺に指図するな」
ウァラクはぶっきらぼうに言い放つと、留宇には目もくれずに歩いていった。
留宇は打った尻をさすりながら立ち上がり、珂月を睨むと小走りにウァラクのあとを追った。
珂月は二人が見えなくなるまで、目を離すことができなかった。
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