サビイロ契約
40
浩誠は床に落ちた珂月のナイフを拾い、鞘をじっと見つめた。
鞘にはどれもシンク・ベルの名が刻みこまれている。
珂月は浩誠が三本のナイフを持っていることに気づき、高揚した気分が一気にしぼんでいくのを感じた。
「……あの、皆に話さなきゃならないことがあるんだ」
珂月は正座した足の上で、こぶしを強く握った。
珂月の顔を見て、メンバーたちも表情を引きしめた。
「五十井に直に頼まれて、断りきれなくて……おれ、シンク・ベルに入ることになった」
口を挟む者はいなかった。
珂月がさらわれるように連れて行かれたあと、誰もが予想していたことだった。
「たぶん……五十井は、おれが父さんの息子だから、シンク・ベルに欲しいんだと思う。
おれは今までずっと皆に助けられながらやってきたんだし……あの組織のレベルにはとても及ばないし。
だから、おれはドッグズ・ノーズがいいですって言った。言ったけど、聞いてもらえなかった」
珂月はどもりながら説明した。
「正直、うまくやってける自信は全然ない。五十井も笠木も、口調は丁寧だけど自分たちの利益優先って感じが見え見えだし。
必要なくなったらポイされる気がする。でも武器もらっちゃったし、今さら嫌ですなんて言えない。だから……その」
珂月は深く息を吸って、ひと思いに吐きだした。
「ドッグズ・ノーズは抜ける」
言ってから、うなだれて一言「ごめん」とつけ加えた。
重い空気が珂月たちのあいだに立ちこめた。
「そうか」
浩誠は我がことのように辛そうな目をして、珂月の頭に手を乗せた。
「わかった。そういう理由ならしょうがない。だけどお前はずっと俺たちの仲間だ。いつでもここに来いよ」
「でも、皆の仕事邪魔したら悪いし……ハントについていく余裕はないよ。自分のノルマだってこなせるか怪しいんだから」
「馬鹿、お前の手助けなんかいるか。いてくれりゃあいいんだよ。ここに」
浩誠はそう言って笑った。
珂月は浩誠の全てを包みこむような優しさに、胸が熱くなった。
「お前が来ないと飲み会困るぜ! 俺ばっか標的にされるだろーが!」
飛鶴が言った。
珂月は思わず噴き出してしまい、けらけらと笑った。
皆もつられて笑った。
珂月は笑いすぎて涙がにじんだ。
「わかったよ。うん。これからも顔出すよ」
浩誠は珂月が笑顔になったのでほっと息をついた。
珂月は知らないが、浩誠を始め、ドッグズ・ノーズの面々は珂月の笑顔にかなり助けられている。
力はそこそこの未熟なハンター、だが珂月のような飾らない純粋な存在は、彼らの心に余裕と安息をもたらす。
荒んだ世の中において、その役割は極めて重要だった。
珂月は笑いながら涙をこらえきれず、後ろを向いて袖でこっそり目尻をこすった。
「あれー? 珂月、俺たちの優しさに感動して泣いちゃったんですかあ?」
飛鶴が珂月の背中に向かってわざとらしく声をかけた。
「違う! 笑いすぎたから、ちょっとだけ……」
珂月はそう言いながらも後ろを向いたままだった。
メンバーたちは顔を見合わせ、黙って笑った。
◆
浩誠に預けていたバッグを受け取り、珂月は来るときよりもかなり前向きな気分で帰宅した。
玄関のドアを開けると風が吹き抜け、珂月はルザが来ているとわかった。
部屋の窓は大きく開け放たれ、乾燥した風がカーテンを揺らしている。
ルザは珂月のベッドに横向きに寝転がり、枕に肘をついて頭を支えリラックスしていた。
「お帰り珂月」
ルザはにこやかに声をかけた。
珂月は黙ってバッグを机の上に置き、窓を閉めてカーテンを引いた。
家に戻って緊張の糸が切れ、珂月は深々とため息をついた。
「どうした? 疲れてんのか?」
「……ちょっとね」
ルザは腹筋を使って上体を起こし、ベッドに腰かけて右手を差しだした。
「おいで」
珂月はルザの手をじっと見つめた。
どうやら今日は機嫌がいいようだ。
こういうときは、意地を張らずルザの好きにさせておいたほうが吉だ。
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