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サビイロ契約

37

 新宿に来るたび、遠目から眺めていた青い高層ビルの最上階に、珂月は立っていた。
 このビルのふもとでバイラの襲撃があったのは、つい先日のことだ。

 珂月は居心地が悪くてならず、両手をしきりにズボンにこすりつけていた。
 窓を背にして椅子に座る五十井脩吾は、デスクに両肘をついて珂月を見上げている。
 ドアの前には笠木が立っていて、珂月は前後からの舐めるような視線に耐えねばならなかった。

 部屋には応接セットがあり、柔らかそうな黒い革のソファが置かれている。
 だが誰も座れと言ってくれないので、珂月は黙ってデスクの前に立っているほかなかった。

「わざわざ来てもらってすまなかったね」

 五十井が朗らかに言った。
 しかし、そのダラザレオスばりに鋭い目は欠片も笑っていなかった。

「ぜび、君をシンク・ベルのメンバーに欲しい。藤里珂月くん。我々と共にバイラとダラザレオスに立ち向かっていくことが、君の成すべき使命だと思うんだが、どうかな?」
「……おれは、二年前からドッグズ・ノーズでバイラを退治してきました」
「ああ、そうだね。話は聞いてるよ。君はハンターになって当然の資質を備えている。私なら君を有効活用してやれると思うよ。
最善の環境を整え、ロクでもないしがらみやらなんやらから守ってやれる」

 五十井はわずかに身を乗り出した。

「要望があればなんでも言ってくれ。私が君を雇うかわりに、君には私を最大限利用してほしい。これ以上のない良い提案だと思うが?」

 珂月のような立場の者は、なにかと周りに振り回されやすい。
 親類縁者のいない珂月には後ろ盾がないからだ。
 一人で細々と暮らす珂月を軽んじてやまない連中はたくさんいる。
 園生もその一人だった。
 シンク・ベルのような巨大な組織に入れば、近所の目を気にする生活からは抜け出せるだろう。

 しかし、珂月には今のライフスタイルを変える勇気がなかった。

「でも」

 珂月は蚊の鳴くような声で言った。

「おれにはなんの力もありません。確かに親父はすごかったかもしれないけど、おれは親父とは違います。
今だって、仲間が守ってくれてるから、ハンターやってられるようなもので、おれ一人じゃなにもできなくて……。
おれはシンク・ベルに入れるような実力じゃないし、入っても絶対うまくやっていけないと思います……」
「そんなことはない。君をないがしろには絶対にしない。私が責任を持って藤里君を守るよ」

 五十井はきっぱりと言い切った。
 珂月は視線をさまよわせたまま、じっと黙っていた。
 なにを言ったところで、五十井の気持ちは変わらないだろう。

「わからないことがあればなんでも笠木に聞いてくれ。私は君を歓迎するよ」

 このビルに足を踏み入れた瞬間から、珂月は五十井のものになっていたのだ。


   ◆


 珂月は五十井と別れ、笠木と一緒にエレベーターに乗りこんだ。
 これからビルを案内してくれるらしい。
 笠木はシンク・ベルでのハンターの仕事をかいつまんで話しながら、広いビル内を練り歩いた。

「基本的に藤里さんの仕事はバイラを倒すことです」

 笠木が言った。

「一定期間内にノルマを達成できれば、外でなにをなさろうと自由です。ハンターたちの生活を逐一管理して拘束するようなことは一切しません。
藤里さんは今まで通りの生活を続けられます。もちろん、それ相応の賃金はお支払いします。
賃金は一律ですが、なにか入り用なことがありましたら、その理由をおっしゃっていただければこちらで対応します」

 ほかのきちんと組織化されたハンター組織に比べれば、シンク・ベルのハンターは格段に自由な行動ができる。
 一般企業のように毎日出勤するわけでも、残業があるわけでもない。
 そうでなければ、シンク・ベルのハンターたちはストレスが溜まり、とっくに秩序は崩壊しているだろう。
 要は、バイラを倒しさえすればどこでなにをしても咎めない、ということだ。

「ただ、一カ月ごとに三日間、ここに泊まって本社の警備をしてもらいます。これはなにより優先されます。
その際、次の一カ月のスケジュールをお渡しします」
「スケジュール?」
「ハント以外の仕事についてです。うちは完璧な仕事をすることで通っていますから、あちこちから警備や護衛の依頼が来ます。
そうですね……藤里さんは、ハントより警備のほうが合っているかもしれませんね」

 半歩前を歩く笠木は、一瞬珂月のほうを振り返った。
 照明に照らされた笠木の眼鏡がきらりと光った。
 珂月は背筋をピンと伸ばして歩く笠木を見上げ、気づかれないようにしかめつらをした。

 綺麗な言葉で飾り立てているが、笠木も所詮は珂月を利用価値のあるモノだとしか思っていない。
 珂月の実力など当てにしていない。
 藤里隆也の息子がシンク・ベルに所属しているという事実のみが、彼らにとって重要なことなのだ。

「細かい調整はこちらで行います。事前に都合の悪い日をおっしゃっていただければ、考慮いたします」

 アルバイトみたいだな、と珂月はぼんやり思った。
 内容は似ても似つかないが。

「さあ、次は武器庫へ行きましょう」

 食堂や仮眠室など、ハンターが使う場所を一通り見て回ったあと、笠木はまたエレベーターに乗った。
 ここまで来るのに、スーツを着た男は見かけたものの、ハンターらしき者は一切見なかった。



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