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サビイロ契約

29

 笠木は労をいとわず、何度も珂月のアパートに足を運んだ。
 角度を変え、言葉を変え、シンク・ベルに来るよう珂月を説得した。
 だが珂月はそのたびにやんわりと、しかしきっぱりと断り続けた。

 それでも懲りずにやってくる笠木に、浩誠はひどく腹を立てていた。
 ドッグズ・ノーズをとるにたらないただのサークルだと思われていることが嫌だったのだ。
 ドッグズ・ノーズは規模こそ小さいが、リーダーとして浩誠はそれなりの矜持と責任を持っている。
 結束の強さならどこにも負けない。
 そこに属する珂月を無理やり引き抜こうとするなど、浩誠にとってはもってのほかのことだった。



 夜、浩誠の見送りをなんとか断り帰宅した珂月は、アパートの前に見慣れた黒いリムジンが停まっているのを見て気分が数段落ちこんだ。
 珂月がアパートの敷地に入ると、さっとリムジンのドアを開けて笠木が近寄ってきた。

「藤里さん、お帰りですか」
「あの、何度来てもらっても、おれの意思は変わらないですから」

 珂月は目を合わせず、下を向いて歩きながら言った。
 笠木は歩調を合わせて珂月の隣を歩いているように見せかけ、そっとアパートの階段前に立ちふさがった。

「藤里さん、これは私個人のお願いではないのです。五十井(いかい)取締役たってのご希望です。五十井の熱意を認めていただけないでしょうか」
「いや、でも……」
「藤里さんが今の暮らしで満足されていることはわかっています。ですから、お話を聞いていただけるだけでも十分です。
そうすれば五十井も納得すると思います。うちの本部にご招待したいのですが、いつお暇ですか? 来週は?」

 珂月は黙って首を振った。

「我がシンク・ベルは独自の流通ルートを持っていますので、取り扱っている武器も豊富です。
ぜひご覧になっていただきたい。ご入り用なものがありましたら、なんでもお持ちいただけますよ」

 笠木は珂月の肩に手を置いた。このままでは押し切られてシンク・ベル本部に連れていかれてしまう。
 黒い噂のやまない屈強なハンターの巣窟に。

 珂月は笠木の手をつかんで離し、顔を上げて視線を合わせた。

「せっかくですが結構です! もう来ないでください!」

 笠木は表情一つ変えなかった。
 だが、まとう空気が冷ややかになった。
 珂月は怯まずに笠木を見つめていたが、物腰柔らかな笠木を怒らせたかもしれないと思い、内心冷や汗をかいていた。

 笠木がなにも言わないので、沈黙に耐えられなくなった珂月は笠木を押しのけて階段をかけあがった。
 もたつく指で部屋の鍵を開け、中に飛びこむと背中でドアを閉めた。
 ほんの少し走っただけなのに息が上がっていた。
 ドアの向こうから笠木がこちらを睨んでいる気がして落ち着かない。

「どうかしたのかよ」

 暗い部屋から声がして、珂月はほんの少し飛び上がった。
 長い影がのそりと動き、珂月に近づいてきた。

「ル、ルザ、なんでいんの」

 ルザは、なにを言っているんだ、とでも言いたげな目で首をかしげた。

 珂月はスニーカーを脱ぎすてると、ルザの脇をすり抜けて狭い部屋を横切り、遮光カーテンを閉めた。
 わずかな街灯の光も途絶え、部屋はほぼ真っ暗になった。

 ダラザレオスは自分たちの世界とこの世界を行き来する力を持つが、空を飛ぶことはできない。
 彼らはこの世界にやってくるとき、必ずバイラに乗ってくる。
 夜とはいえ、バイラに騎乗してここまでやってきたのなら、アパートの前で張っていた笠木に気づかれたかもしれない。

 今さらカーテンを閉めたところでどうにもならないが、珂月はすっかり動揺していた。
 だがルザはそんなことお構いなしで、珂月の腕を引いて抱き寄せた。
 珂月は鋭い光を放つダラザレオスの瞳を見上げた。

「お前いつ来たんだよ! アパートの前に黒い車停まってただろ? まさか見られてないよな?」
「なに焦ってんだよ?」

 ルザには珂月が危惧していることが理解できていないようだった。
 珂月の帰りを待っていたらしく、ルザは嬉しそうに珂月の顔に唇を寄せた。
 瞼に吸いつき、柔らかく食むように唇に触れた。

「んっ」

 ぬるりとした舌が熱い息とともに口内に入りこみ、珂月は固く目を閉じた。
 ルザが背中に手をまわして密着してくるので、身長差がある分どんどん顔が上を向いていく。
 口内を荒らされ、舌で口蓋をなぞられると、くすぐったいような気持ちいいような、妙な気分になった。

「ん……ふあ」

 ルザの唾液が送りこまれ、わずかな水音を立てて深く口づけられた。
 抵抗する気はとっくに失せていて、珂月はルザのタンクトップの背中をつかんですがった。

 口を離すと、互いの熱い息がかかって体温が上がった気がした。

 珂月は暗闇の中ぼんやりルザを見上げながら、この不遜な吸血鬼について考えた。
 最近ルザは、噛みついて血を飲むよりキスする回数のほうが多い。
 キスしたところで腹は膨れないだろうに、なぜそれを好むのか珂月にはわからなかった。

 ほかのところで人を襲っているから、それほど血を必要としていないのだろうか。
 その考えに行きあたって珂月は青くなった。


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