サビイロ契約
16
「とくに用事はないけど、あんまり君がいい匂いさせてるからつい」
同じことをルザにも言われたが、珂月にはそれがどんな匂いなのか理解できない。
ダラザレオスからすると、珂月はおいしそうなディナーにでも見えるのだろうか。
熱っぽい目でじりじりと詰め寄られ、珂月はベッドにつまずいて背中から倒れこんだ。
すかさず体の両脇に手を置かれて逃げ道を塞がれる。
「ふふっ、怖がるそぶりもいーねえそそられるねえ」
肘をついてベッドの奥に逃げたが、とうとう壁に頭がつき、にっちもさっちもいかなくなってしまった。
金髪はベッドに乗り上げて、奥歯を噛みしめる珂月を見下ろした。
「せっかく綺麗な肌してるんだから、隠してたらもったいないよ? ほら……すべすべじゃないか」
冷たい手がTシャツの裾から忍びこんできて、珂月は身を固くした。
腹をまさぐられ、ゆっくりシャツをたくし上げてくる。
「白くてあったかくて気持ちいー……噛みつきたくなるなあ」
金髪の顔が迫ってくる。
珂月が顔をそむけると、顎をつかまれて正面を向かされた。
唇が触れる、と思ったとき、硬い金属がはじけ飛ぶ音がして、鍵がかかっていたはずの窓がこじ開けられた。
入ってきたのは怖い顔をしたルザだった。
ルザは二歩でベッドに歩み寄ると金髪の後ろ襟をつかみ、背後に放り投げた。
背が高くそんなに軽くもなさそうな金髪はボールかなにかのように吹き飛び、鈍い音を立てて向こう側の壁に激突した。
金髪と壁のあいだに挟まったテレビにひびが入る音がした。
「アスタルト! てめえなにしてやがる!」
「いってて……乱暴だなあ。そこまで怒ることないだろ」
「ふざけんな! 勝手に人のものに手ぇ出すんじゃねえよ」
人間ならば骨がいかれそうな投げられかたをしても、金髪はへらりと笑うだけで機嫌を損ねた様子はない。
ルザは壁際で縮こまっている珂月の肩をつかんだ。
「なにかされたか?」
珂月は勢いよくかぶりを振った。
「そうか」
ルザは、背中をさすりながら立ち上がったアスタルトと向き合った。
「で、お前はなんでここにいるんだ」
「そこの彼に入れてもらったんだよー」
「押し入ったの間違いだろ。なんでこいつなんだよ。俺のものだってわかってるだろ」
「君のお気に入りだから会ってみたかったんじゃないか。かわいいねー彼。よく見つけたなあ。僕にもちょっと味見させてよ」
「ふざけんな。ほか当たれ」
珂月はぽかんとして二人のやり取りを聞いていた。
ルザはぞんざいな扱いをしているが、くだけた口調と雰囲気から気を許していることがわかる。
アスタルトも軽くあしらわれても平気でへらへら笑っている。
「最近ルザこっちに来てばっかりいるだろ? 僕だけじゃないよーその子に興味持ってんの。皆驚いてるよ」
「俺がなにしようと勝手だろ」
「じゃあ僕がなにしようと僕の勝手だろー」
「おい、俺は自分のものを取られるのが大嫌いだ。わかってんだろそのくらい」
「わかってますって」
アスタルトはなだめるようにルザの肩を叩き、肩ごしに珂月と視線がかち合うと、気障ったらしくウインクした。
「やあ。ところで君、名前なんていうの?」
「……藤里珂月」
「珂月? ふうん。僕はアスタルト。ルザの親友だよ。よろしくねー」
珂月はそのなれなれしさに面食らった。
えさに丁寧に挨拶するダラザレオスなんて、見たことも聞いたこともない。
ルザは珂月が目を丸くしているのを見て、疲れたようにつけ足した。
「こいつはダラザレオスの中でも変わり者だ。あんまり相手にするな」
「ひでー」
アスタルトはけらけら笑い、ルザの肩に腕をまわしてひっついた。
「なあ、外に遊びに行こうよ」
「お前まだ人間の土地をうろうろしてんのか。少しは自重しろよ。俺たちの面子に関わるだろ」
「ばれないようにしてるから大丈夫だって。なー行こうよー」
アスタルトは子供のようにルザの腕を引っ張った。
ルザはうっとおしそうにしていたが、あんまりしつこいのでとうとう折れた。
「わかったよ、行きゃいいんだろ! そのかわり見たらすぐ帰れよ!」
「うんうん、わかってる」
驚いたのは珂月だった。
まさか傍若無人で唯我独尊なルザが、嫌々とはいえ誰かの意見に従うとは。
レインコートを羽織ったアスタルトを見て、珂月はベッドから跳ね起きた。
「ま、待ってくれ! なにしに行くんだ?」
「ちょっと散歩してくるだけだよ。珂月も来る?」
アスタルトが言った。
彼の言う「散歩」が、珂月の考える一般的な散歩と同じとは限らない。
ちょっと小腹が減ったなあとか言って笑いながら通行人に襲いかかる光景が、脳裏にまざまざと浮かぶ。
「おれも行く」
珂月は仕方なくボディバッグを肩にかけた。
「よし! じゃあ皆で行こう!」
アスタルトは一人だけハイテンションで、珂月の部屋をあとにした。
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