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サビイロ契約

15

 日も暮れ、珂月が急ぎ足に道を歩いていると、ブロック塀に寄り添うように一匹の猫がじっと道路に伏せていた。
 なにか訴えかけるように、まん丸い目で珂月を見上げている。

 珂月はボディバッグの中をごそごそかき回した。
 だがあいにく食べものの類は入っていなかった。

「ごめんな、おれなにも持ってないや」

 とりあえずなでてやろうと、しゃがみこんで手を伸ばした。

「あっ」

 頭に触ろうとすると、猫は素早く逃げてしまった。
 珂月は行き場を失った手を伸ばしたまま、猫の後ろ姿を見送った。

「なんだよ、せっかく……」

 珂月はつれない猫に文句を呟いて立ち上がった。

 視線を戻すと、数軒先の道にフードをかぶった男が立っていた。
 背が高く、足元までの真黒いレインコートが異様な風体だ。
 通行人ならまだしも、珂月のほうを向いて微動だにせず立ちつくしている。

 レインコートの前は開けられていて、薄紫のシャツと黒いズボンが見える。
 少なくとも変質者ではなさそうだが、いかにも怪しい。

 珂月がどうすべきか迷っていると、男は大股に近寄ってきた。

 男は間合いを詰めて珂月の前に立ちふさがった。
 フードから覗く細く高い鼻がわずかにひくつき、口角を上げて男は言った。

「君かあ。あいつのお気に入りって」
「え……?」

 珂月が警戒して一歩下がると、男はおもむろにフードを外した。
 薄暗い夕暮の中でも眩しい金髪が現れた。
 東洋人のものではない彫の深い容貌で、目が鋭く少し顎が尖っている。
 狡猾そうな雰囲気の美青年だ。
 歯を見せて笑うと、異常に発達した犬歯が見えた。

「お前……」

 珂月が下がると金髪男はその分迫ってくる。
 塀に追いつめられ、珂月は唾を飲みこんだ。

 色素の薄い髪で背が高く、鋭い目と鋭い犬歯をもつ北欧系の優れた相貌は、ダラザレオスの証だ。

 珂月はとっさにナイフに手をかけた。
 だが金髪は最初からわかっていたかのように珂月の手を押さえた。
 軽く握っているはずなのに、その力はすさまじい。

 金髪は世間話でもするような口調で言った。

「ねえ、君の家に案内してよ」

 金髪は珂月の手からナイフを抜き取り、片手でくるくると弄びながらもう片方の腕を珂月の腰にまわした。
 無理やり歩かされても、珂月は金髪から目を離せなかった。

 珂月はほとんど口を開かなかったにも関わらず、金髪はどんどん歩いていく。
 匂いでわかるのか、案内なしで金髪は珂月のアパートにたどり着いてしまった。
 階段を上がり、珂月が鍵を開けるのを待っている。
 家に上げるのは嫌だったが、腰にまわった腕の有無を言わさぬ強さに従わざるを得なかった。

 部屋に入ると、金髪は薄いレインコートを脱いで丸めると適当に放り、腰に手を当てて珍しそうにきょろきょろし始めた。
 珂月からすればなんの変哲もない一人暮らしの汚い部屋だが、彼にとっては興味をそそられるものばかりらしい。
 ワンルームなので一緒の空間にいるしかなく、珂月は部屋と短い廊下の境目に置かれた冷蔵庫に寄りかかって様子を伺った。

「なあ、これなに?」

 金髪は埃をかぶったテレビを指差した。

「テレビ」
「あーテレビか! で、どうやったら映るの?」
「二年前から放送はやってない」
「なーんだつまんない。見たかったなあ」

 金髪はすぐに興味をなくし、今度は銀の組み立て式マルチラックを漁り始めた。

「これなに?」
「双眼鏡。遠くのものを見るのに使うやつ」
「これは? 重いね」
「辞書」
「これは?」
「それは……あっ、返せ!」

 珂月は金髪の手から大人向けの絵本を奪い取った。

「おいお前、なにしに来たんだよ!」

 珂月は本をクローゼットに放りこみ、金髪に人差し指を突きつけた。
 金髪はどこか楽しそうに小首をかしげた。
 表面上は穏やかなのに、下手なことをすれば取り返しがつかなくなりそうな威圧感がある。



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