サビイロ契約
14
その後数日は、比較的穏やかな日が続いた。
相変わらずルザは前ぶれなしにやってくるが、噛みつかれる頻度は減った。
珂月はだんだんルザを怖がらなくなり、うまく駆け引きできるようにまでなっていた。
どんよりとした曇り空の日、珂月はもんもんと考えごとをしながら浩誠の家へ向かっていた。
心配症の浩誠は、約束の時間になっても珂月が現れないと心配して迎えに来てしまうので、遅刻はできない。
珂月はダラザレオスに妙な耐性がついてしまったことを、心の奥でなじっていた。
ルザは人間をえさとしか見ていない非情な吸血鬼だ。
敵である彼に半ば媚びるようにして抱かれている自分はなんて情けないんだろう。
だが生きるためには仕方がないことだ。
生きてさえいれば、なにか打開策が見いだせるかもしれない。
そう考えて珂月は己を合理化していた。
「うわあああ!」
どこからか男の悲鳴が聞こえてきた。
珂月は腰に下げたサバイバルナイフを握り、声のしたほうに走った。
人けの少ない貸し倉庫が立ち並ぶ区域で、数体のバイラが一人の男を囲んでじりじりと近づいていた。
車ほどのイナゴのようなバイラと、触角のついた蛇の形をしたバイラだ。
どちらもあまり見かけないタイプだった。
逃げ道を断たれ尻もちをついて震える中年男の隣には、段ボールを乗せた台車が横転している。
珂月はその男に見覚えがあった。
駅前の小さな日用品店の店主だ。
このご時世なので品数は少なく、一人につき一点しか買えないが、良心的な値段で売ってくれるので珂月は重宝していた。
在庫を取りに来たところを襲われたのだろう。
バイラの影から誰かが歩いてきた。
バイラはその人物にはなにもしない。
彼はしっかりとした足取りで男に歩み寄り、ひざをついてしゃがみこむと男の胸倉をつかみ引き寄せた。
珂月は考えるよりも先に飛び出していた。
「やめろおっ!」
歯をむき出して威嚇してくるバイラなど、珂月の眼中になかった。
「手を離せ!」
珂月はバイラの攻撃をかいくぐって輪の中に滑りこみ、店主を捕食者の手から離して背後にかばった。
「早く逃げろ!」
店主は放心して目を揺らしていたが、珂月に怒鳴られると一目散に逃げていった。
獲物を逃したルザは、半眼で珂月を睨みつけた。
「なんで邪魔すんだよ」
「なんでじゃねえよ! そっちこそなにしてんだよ! おれがいるのに、なんでほかの人を襲うんだ!」
唾を飛ばして怒鳴りつけたが、ルザはまったく意に介していない。
かったるそうに重心をかたむけ、珂月に顔を近づけた。
「だってお前なかなか吸わせてくんねえじゃねえか」
「それはっ……あ、あんまり吸われると死にそうだから……」
「俺は吸わないと死ぬの。お前だけじゃ足りないんだ。足りない分はほかで補わねえと、だろ?」
ルザに悪びれたところは欠片も見当たらない。
珂月は下唇を噛みしめ、唸るように言った。
「……わかったよ。じゃあ好きなだけ吸っていいから、だからほかの人には手出ししないでくれ」
ルザはしてやったりと笑った。
珂月は唇から覗いた牙が光ったように見えた。
「言ったな。今晩は覚悟しとけよ」
ルザは珂月の目元に口づけ、つむじ風と共に現れた狼型のバイラに乗って空に消えた。
ほかのバイラもそれに続いた。
汚れたコンビニ袋が一緒に巻きあげられ、かさりと音を立てて地面に落ちた。
ルザの姿が見えなくなると、珂月はナイフを腰に戻して横転した台車を元に戻した。
地面に転がった二つの段ボール箱からは中身が飛び出している。
珂月は飛び出した商品を段ボールに詰め直し始めた。
これがないと店主は暮らしていけなくなるだろう。
店主はここに戻ってこないだろうし、代わりに店まで運んでやろう。
そう思って珂月は黙々と手を動かした。
コンビニ袋が踏みつけられる音がして、珂月はハッと顔をあげた。
そこには浩誠が立っていた。
「こ――」
「珂月……」
浩誠の顔にいつもの優しい笑みはなかった。
硬く無表情で、ゆっくりとした足取りで珂月に近づいていく。
「迎えに来たらお前の声が聞こえたから……」
浩誠は珂月のそばに来ると足を止めた。
珂月は商品を置いて立ち上がった。
「今のはなんだ? お前、あのダラザレオスと知り合いなのか?」
見られた。
珂月は浩誠の顔を直視することができなかった。
「おい、珂月。どういうことなんだ、説明してくれよ!」
→ V
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