サビイロ契約
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「普通はそう思いますよね。でも大丈夫ですよ。陣海のダラザレオスは人を襲いません。そういう契約を結んでいますから。
陣海で飼われてるバイラもきちんと調教されてますから、絶対に人を襲うことはありません。
どうですか? 魅力的な街でしょ? 陣海にいれば、今までのようにバイラの襲撃におびえなくていいんですよ」
斎珪の顔つきが変わった。食いついてきたようだ。
「そこで人々は農地を耕したり、商売したりして暮らしています。のどかなものですよ。
必要な物資があればダラザレオスが運んできますし、医療も教育も福祉もばっちり整ってます。
都市計画コンサルタントが快適な居住空間の建設に取り組んでいるので、交通も治安もとてもいいんです。
おれはルザの元で、陣海に新しい住人を呼びこむ仕事をしています。陣海の名は聞いたことがあっても、偏った知識を持っている人がまだまだ多いんです。
ダラザレオスといえば三年前の世界狩りのときから恐怖の象徴ですからね。
陣海はダラザレオスに家畜同然に扱われるとこだとか、ダラザレオスの機嫌を損ねればすぐ食べられてしまうとこだとか思ってる人がいます。
おれはそういう人たちの偏見を解いて、陣海の暮らしを気に入ってもらって移住してもらう任務を受けています。
それで全国をまわって、移住希望者を募っているんです。ここへはその旅の途中で迷いこんでしまったんですよ」
珂月が話し終えると、斎珪は黙ったままじっと考えこんだ。
珂月はなにも言わなかった。
斎珪が頭をフル稼働していることがうかがえた。
斎珪はたっぷり数分間考えたあと、重い口を開いた。
「……そこの街に行けば、今まで通りの暮らしができるのか?」
「はは、今までよりもっともっといい暮らしができますよ。食べ物も娯楽もバリエーションがたっぷりで……あっ」
珂月は一つ重要なことを言い忘れていたことに気がついた。
珂月は額を手の平でぺちりとたたき、斎珪の顔色をのぞきこんだ。
「あの、そこの街で暮らすには一つ条件があります」
「なんだ?」
斎珪の顔がとたんに険しくなった。
珂月はぴんと背筋を伸ばし、真摯な表情になった。
この条件が飲めなくて移住を断られることは多い。
慎重に言葉を選ばなければならない。
「陣海では毎月、献血してもらいます」
「献血?」
「はい。たった、それだけです」
珂月は両手を膝に置き、にっこり笑った。
斎珪は珂月を見てからルザを見て、ああ、と低い声を出した。
「巴蛇使いに飲ませるためか」
「まあ、そういうことです。でもこれだけの好条件なんですから、少し血を分けてあげるくらいいいじゃないですか?
それでダラザレオスが味方になるんですよ? 献血って健康にもいいんですから、なんの問題にもならないですよ」
斎珪は再び沈黙した。
珂月はこれまでの経験上、この反応は芳しくないものだと推測がついた。
いくら説明しても、ダラザレオスに血を提供するということに拒否反応を起こす人は少なくない。
身内を世界狩りで亡くした者などは、ひどい裏切り行為だと怒りだすこともしばしばだ。
しかし、斎珪は思ったより考えが柔軟だった。
こうべを垂れて考えこんでいた斎珪が顔を上げたとき、彼はふっきれた表情をしていた。
「この村をまるごとその街に移動させられるのか?」
「できますよ。広い土地に構えているので、たくさん家屋建造中です。おのぞみならデザイナーズマンションにも住めます」
「俺たちの環境は変わらないんだな? 野蛮な連中のしきたりに縛られるのはごめんだ。この村は今まで通りやっていくぞ」
「もちろん、どうぞ。あなたが今まで通り村の皆をまとめてくれれば、こちらとしてもありがたいです」
「そうか」
斎珪は了承したようだった。
珂月はほっと安堵し、斎珪に右手を差しだした。
斎珪は珂月の右手をじろりと見てから、焦らすようにゆっくり右手を握った。
二人は固く握手をした。
「決まったか」
ルザが声をかけた。
珂月は振り返って頷いた。
しかしまだすべてが決まったわけではなかった。
問題なのは村の住人たちだ。
ずっとここで暮らしてきたのであろう彼らを説得することは難しいはずだ。
だがそこは斎珪の腕の見せ所だった。
勇ましく民家のドアを開けた斎珪は、バイラに囲まれ微動だにしない村人たちの中央に歩いていき、大仰な仕草で両手を広げ、珂月が話したことをかいつまんで村人たちに話して聞かせた。
この土地を離れると聞かされ恐れた村人たちを、斎珪は力強く説得した。
「私が共にいるかぎり、斎珪の一族の加護は続くだろう。斎珪の力は土地につくのではない。よいか、私のいるところが神会ヶ村だ。
この土地に愛着があるのは致し方ない。しかしここの力は年々弱まっている。巴蛇がときどき現れるようになったのがその証だ。
ここで村を移転させ、土地の力を回復させなければならない。今から行くところは豊かな大地だ。芋も米もよく育つ。
今以上に実りのある生活ができるぞ! 明日からは巴蛇の不安に恐れることはないのだ!」
斎珪の話術に珂月は舌をまいた。
その毅然とした態度と確かな語り口に、村人たちの心がほぐれてゆくのが手に取るようにわかる。
彼がこの村を掌握していられたのは斎珪という名前のおかげだけではなかった。
斎珪は村人の心理をよく理解しており、どう言えばどのような反応が返ってくるのか熟知しているようだ。
村人たちは心配そうに顔を見合わせて口ぐちに囁き合っていたが、斎珪の一喝で心を決めたようだった。
これからどうすればいいのか、斎珪にたずねている。
斎珪は荷物をまとめろと言い、珂月にそっと目配せした。
珂月は黙って頷いた。
斎珪は村人たちに言った。
「家の者に伝えろ! すぐに発つぞ!」
村人たちは慌てておのおの家に帰っていった。
斎珪もまた、村の奥にある自分の屋敷に戻っていく。
村の中央にバイラと共に残された珂月はルザの首に手をまわした。
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