サビイロ契約
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にこやかに言うと、毛皮のベストを着た男がまず鍬を下ろした。
それに倣い、皆それぞれの武器を下ろしていった。
しかしほっと息をついたのもつかの間、珂月は頭の両脇に挙げた手を片方ずつ二人につかまれ拘束されてしまった。
「ちょっ……離してください! なにするんですかっ! おれは敵じゃないって言って――」
「そりゃあ斎珪(さいけい)さまが決めなさることだ。よそ者は悪いもんを呼ぶ。村で斎珪さまの判断をあおがねえとならねえ」
「悪いものなんて呼びませんよ! お願いします、離してくださいっ……」
だがいくら喚こうと男たちの力は容赦なく、珂月は無理やり引っ立てられていった。
情けないことにハンターをしていた珂月よりも、毎日農作業に精を出している男たちのほうが力が上だった。
男たちは珂月を取り囲み、道なき道をどんどん進んでいく。
珂月のリュックサックは誰にも気づかれないままバイラの死骸と一緒に放置された。
丘の谷間に沿って川下に向かって進むと、落葉でふかふかだった道が砂利に変わり、急に視界が開けた。
斜面に沿って棚田が広がっており、その奥には時代ものの映画セットから抜け出たような木造の家がぽつぽつと建っている。
傾斜の急なトタン屋根は元々かやぶきだったのだろうと思われる。
丘の向こうには、小さな集落が隠れるように存在していた。
珂月がぽかんとして初めて見る昔ながらの集落にみとれているうちに、男たちは砂利道を通って村に近づいていく。
まだ夜明けだというのに、村ではすでに何人もの男女が外に出て仕事の準備をしていた。
男たちの帰還に気がついた人が、見慣れない少年を見つけて隣人に声をかけた。
隣人はさらに隣人を呼び、しまいには村じゅうが珂月と男たちに注目した。
いちばん端の家を通り過ぎると、毛皮ベストの男が声を張り上げた。
「向こうに降り立った巴蛇はおれらが殺したぞ! んで、逃げてきたっちゅうよそ者を連れてきた! 今から斎珪さまんとこに向かう!」
珂月は両腕を二人につかまれたまま、連行される罪人さながらの気分で歩いた。
珂月は頭を垂れてうつむき、前髪の隙間からこっそり周囲を見回した。
ほったて小屋のような民家が特に規則もなくばらばらに建ち並び、家の壁には大根がつるされている。
村民たちは家の前に立ちはだかり、じろじろと遠慮なく珂月を眺めまわしている。
中には家から出てこようとする子供を引きとめる母親の姿もあった。
まるで珂月に近づくと伝染病にかかるとでも思っているようだ。
この上ないほど居心地の悪さを感じながら、珂月は村の奥の奥に連れて行かれた。
集落を出てしまい、また森に入るのかと思いきや、踏み固められた土でできた坂道を上ったところにぽつりと一軒の大きな家が現れた。
これまでの粗末な家々とは一線を画した、どこか名のあるお社のような風格の平屋の屋敷だ。
磨かれた白木の壁は滑らかで、屋根には瓦が敷かれている。
窓は少なく、小さな明かりとりらしい窓が人の顔の高さに等間隔でついている。
男たちは屋敷の真正面にある、壁と同じ白木の扉の前に立った。
「斎珪さま! 斎珪さま!」
毛皮ベストの男が扉に向かって叫んだ。
「巴蛇を殺してきました! そこでよそ者を見つけたので、連れてきました!」
しばらくの沈黙が降り、屋敷を囲む木々が不気味にざわめいた。
珂月は一体自分はどうなってしまうのかと恐怖にかられた。
閉鎖された環境の常識など、都会育ちの珂月には知るよしもない。
身分が高いらしいということ以外、「斎珪」の正体も意味もわからない。
扉の向こうでごとりとなにかを外す音が聞こえ、軋みながら扉が開かれた。
中から現れたのは、ひょろりと背の高い若い男だった。
うねる長い黒髪を耳にかけ、一段高いところから珂月をうさんくさそうに見下ろしている。
その服装は村の男衆とは違い、膝まである上等そうな白い上着を腰の位置でひもでくくり、クリーム色のズボンをはいている。
別段美形というわけではないが、やぼったい村の者よりいくらか垢ぬけた男だった。
彼は服装も含め神官のような雰囲気があった。
しかし珂月を見下ろす表情はあからさまに排他的で、人の上に立つ者のおごりが感じられる。
「斎珪さま」
珂月を連れてきた男たちはうやうやしく頭を下げた。
珂月が斎珪の顔をじっと見つめていると、髪をつかまれて無理やりおじぎさせられた。
「お前、名前は?」
上から高飛車な言葉が降ってきた。
珂月は逆らってはいけないと感じ、おじぎさせられたまま答えた。
「藤里珂月です」
「歳は?」
「十九です」
「子供か。どこから来た?」
「……遠くからです。あの、ずっと逃げてここまできたので、ここがどこかよくわからないんですけど、ここはどこですか?」
「ここは神会ヶ村(かみえがむら)だ」
「俺は帰してもらえるんですか?」
「それを決めるのは俺だ。それに、今質問しているのも俺だ。お前は質問にだけ答えろ」
斎珪の声音は独裁者のそれそのものだった。
この小さな村であがめられ、人を見下すことが普通になっているのだろう。
珂月は少しその態度にむっとしたが、なにも言わなかった。
ここでは珂月はただのよそ者だ。
帰る手段もないし、斎珪に反抗するのは得策ではない。
彼らに悪いよそ者だとレッテルを貼られ、村から放り出されれば飢え死にしてしまうかもしれないし、最悪、巴蛇使い扱いで始末されてしまうかもしれない。
「この村にはなにをしに来たんだ? 悪いものを呼び寄せる気か? お前は巴蛇が現れたのと同時にやってきた。怪しいな」
「悪いものなんて呼びません! 言ったじゃないですか、おれは逃げてたまたまここまでやってきたんです」
「信用できないな。よそ者なんてこの村には滅多に来ない。それによそ者はこの村に災いをもたらす可能性がある。
こいつは俺が預かろう。俺自ら洗礼を受けさせる。それで災いは防がれるだろう」
斎珪が言い放つと男たちは感服しきったようにさらに深く頭を下げた。
「斎珪さま……ありがとうございます」
「ありがたい、ありがたい。そうしてくださるなら安心でございます」
珂月は斎珪の手に引き渡され、男たちは村へ戻って行った。
斎珪は珂月を屋敷に入れ、扉を閉めると重そうな木の閂をかけた。
細い体型のわりに筋力があるようだ。
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