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サビイロ契約

103

「俺のところには珂月がいる! それを忘れてもらっちゃ困る! 今すぐダラザレオスたちを止めるなら珂月を返すが……」

 そう言って五十井は焦らすように言葉を切った。
 ルザはいらいらと五十井を睨みつける。
 五十井がなんと言おうとここで殺すつもりだ。
 五十井も逃げられないことを悟っているに違いない。
 しかしどうして五十井はわずかに口端を緩めているのだろうか。

 広場の向こうから笠木がライフルで狙いを定めていることに、ルザは気づかなかった。
 笠木はバイラの血を体中に浴びているため、隠れていればバイラやダラザレオスに見つかることがない。

 パンと乾いた音がして、ルザはハッとして五十井から目をそらした。
 そこにはライフルをつかんで笠木ともみ合う珂月の姿があった。
 土壇場で珂月が笠木に体当たりをかましたため、弾はルザに当たらずに済んだ。

「こいつっ」

 笠木は珂月からライフルをもぎとろうとするが、珂月は目をらんらんと光らせて死に物狂いでライフルにしがみついた。
 珂月は歯を食いしばってライフルを引っ張った。
 まだ引き金に指がかかっていたのでライフルが何度も暴発し、笠木が隠れていた家の壁に穴を開けていく。
 笠木は珂月をライフルごと壁に叩きつけた。
 ライフルの銃身に首をしめられて珂月は口を開けてあえいだ。
 しかし手は意地でも離さない。

「く……そっ!」

 珂月は深く息を吸いこみ、一か八か、両足を地面から離して笠木にとび蹴りを食らわせた。
 撃たれた右足に負荷がかかり鮮血がにじみ出した。
 笠木は息を詰まらせ、ライフルを離して背中から倒れた。
 珂月は肩で息をしながらライフルを笠木に向けて構えた。
 笠木は珂月を睨みつけたが、銃口を向けられている以上、動くことができなかった。
 いくら素人でも、この至近距離では的を外すまい。

 ルザは珂月がうまくやったことにほっと息をはいた。
 しかし殺気を感じてすぐに五十井のほうを向いた。
 五十井が発砲するのとルザが体をのけぞらせたのは同時だった。
 銃弾はルザの顔をかすめ、右頬が切れて赤く染まった。

 五十井はルザの頭部を狙って撃った。
 ルザは五十井と距離を取って弾を避けて走りながら、なんとか近づけないか模索した。
 五十井は隙を見せない。
 弾切れを待つ前に撃たれてしまう。

 不規則に走っていたが五十井はすぐにルザの動きを見きり、照準を合わせて引き金を引いた。
 しかし銃声と共にがちりと嫌な音がした。
 薬莢が詰まっていた。

 そこをルザは見逃さなかった。
 五十井がスライドを引いて不良弾薬を排出させる数秒のあいだに、五十井の目の前に走り寄った。
 五十井が再び銃を構えようとしたとき、ルザは五十井の右胸にナイフを突き立てていた。

 五十井は空気の抜けるような音をもらして顔を歪め、ルザがナイフの柄を離すと倒れて動かなくなった。
 見開かれた両目はもうなにも映していなかった。

 一部始終を見ていた珂月は、笠木が短い声をあげたので視線を戻した。
 笠木も五十井が倒れるところをしっかり見ていたようで、顔が引きつっている。
 仰向けに倒れたままじりじりと後じさり、珂月がなにも言わないでいると、起き上がって逃げていった。
 珂月は黙って笠木を見送った。

 生き延びた人間はすべて逃げ去り、広場は静かになった。
 珂月はライフルを地面に置き、びっこを引いてルザに歩み寄った。
 ルザも大股に歩いてきた。
 珂月はルザに手を伸ばしたが、触れる前に力が抜けて倒れこんだ。
 ルザは珂月の体を支えてしゃがみこんだ。

「腰、が、抜けちゃった……」

 珂月が言うと、ルザは笑って珂月の頬についた土を手でぬぐってやった。
 珂月はルザの顔に手を添えて、こらえていた涙をこぼした。

「よかった……死んじゃうんじゃ、ないかと……」
「お前に助けられちまったな」

 ルザはそう言って珂月を強く抱きしめた。
 珂月は涙でぐしゃぐしゃになった顔をルザの肩に押しつけ、嗚咽をもらしながら笑った。
 この腕の中にいられることがどんなに幸せか思い知った。
 こうして抱きしめてくれる腕があるかぎり、どんな苦しみにも耐えられる。

「心配するな。お前はなにがあっても俺が守ってやる。もう絶対離さないから」

 ルザが言った。
 珂月は何度も頷き、そっと肩から顔を離してルザの顔を見つめた。
 二人はどちらからともなく笑い合った。

「大好きだよ」

 珂月が言った。
 ルザは当然とばかりに頷き、珂月にキスをした。
 塩辛い海風が広場を包みこみ、血生臭さを拭い去っていった。





 それから港町には平穏が訪れた。
 灯台前の広場は忌まわしい地のレッテルを貼られたが、町民たちは強かった。
 町を出る者もいたが、辰元を含め大多数は町に残って今まで通りの生活を続けた。
 生まれたときから住み慣れた町は、彼らにとって離れがたい魅力を持っていたのだ。

 魚や貝を取り、畑を耕して彼らは暮らした。
 不思議なことに、バイラの襲撃はまったくと言っていいほどなくなった。
 町民たちは首をかしげたが、誰にも理由はわからない。
 次第に港町は海の神に守られた地として評判になり、数年後には移住してくる人が増えてだいぶ賑やかになった。


 あれ以来、珂月とルザの姿を見た者は誰もいない。




   END



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