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サビイロ契約

99

 ルザが出かけたあと、珂月はしばらく布団の中でうつらうつらしていたが、いったん目を覚ましてしまったので寝つけなかった。
 時計を見ると正午を過ぎていたので、珂月は重い腰を上げた。

 洗面所に行き一通り身支度を済ませると、冷蔵庫に入っていた残り物のピラフを電子レンジで温めて朝ごはんにした。
 お腹が満たされると、リビングの窓を開けて新鮮な空気を取り入れた。
 静かな波音と風が心地よく、珂月はテラスに出てストレッチをすることにした。

 ハンターとして生きていくには基礎体力がなにより大事だ。
 珂月はまず腕や足の筋肉を伸ばしてこりをほぐしてから、スクワットを始めた。
 両腕を大きく振って屈伸をくり返しながら、指を折って回数を数える。
 毎日行っていることなので、考えごとをしながら流れ作業のようにこなしていく。

 ちょうど五十回目を数えたとき、低い爆音が聞こえた気がして珂月はスクワットを中断した。
 テラスの端に寄って周囲を見渡してみるが、前方には海が広がり、左右には灌木が別荘地を囲むように茂っていて見通しが効かない。

 珂月はいったんリビングに戻り、ペットボトルの水で喉を潤すとサンダルを引っかけて玄関を出た。
 家の前の坂道をまっすぐ下ると港町なので、道路の真ん中に立つと町の様子がよくわかる。
 中央線を踏みつけた珂月は、町の奥から煙が立ち上っているのを見つけた。

 珂月はとっさに火事だと思った。
 昔遭遇した近所の火災でも、同じような煙がもくもくと上っていた。
 しかし、この煙の量はボヤどころの騒ぎではない。
 噴煙と言っても差し支えのない巨大な灰色の柱が風に流され、空高く雲まで繋がっている。

「なに……?」

 珂月はしばらく煙を眺めていた。
 そこに、内臓を揺さぶるような爆発音が響いてきた。
 それと共に新たな煙が立ち上る。

「なんだよ、これ!」

 珂月は急いで家にとって返し、寝室に駆けこむとベッド脇のチェストに置いてある護身用のナイフを鞘ごとひっつかんだ。
 それをベルトに差しながら階段を一段飛ばしで駆け降り、スニーカーをはくと鍵もかけずに家を飛び出した。

 港町でなにかが起きている。
 珂月は辰元や気のいい漁師たちが危険な目に遭っていないことを祈り、転びそうになりながら坂道を駆け降りた。

 いつもと同じ家々、同じ道路だが、鏡の中に入りこんでしまったのか人の姿がどこにもない。
 井戸端会議に使われる魚屋の前のベンチに老人たちの姿はなく、舟だまりにも漁師が一人もおらず、漁船が波間に揺られているだけだ。

 あまりに異様な雰囲気に、珂月は眉のハの字に下げて震えをこらえた。
 噴煙は町中からでもはっきり見えるのに、野次馬が一人もいない。
 皆宇宙人にさらわれでもしてしまったのだろうか。
 昨日まであんなに活気があったのに、まるで別の世界に迷いこんでしまったようだ。

 煙を追いかけているうちに、また爆発音が響いてきた。
 珂月はいったん立ち止まって息を整え、歯を食いしばって走った。

 灯台の近くまで来ると上り道になり、珂月は息を切らしてふらふらになりながら坂を上った。
 ふと唾を飲みこんだ際に銃声のようなものが耳をかすめ、珂月はぴたりと立ち止まった。
 自分の荒い吐息がうるさくて今まで気づかなかったようだが、静かにしていると様々な銃声が風に乗って聞こえてくる。

 珂月はとたんに疲れを忘れた。
 爪が手の平に食いこむほどこぶしを強く握りしめ、煙が上っている灯台へ全速力で走った。

 灯台が半分以上見えてくると、銃声に混じってなにかの鳴き声が聞こえてきた。
 ハンターのはしくれである珂月はバイラの声だとすぐにわかった。

「ルザっ……」

 珂月は早鐘のように鳴る心臓を押さえて走った。
 灯台はこちらと書かれた標識を通り過ぎ、広場へ続くヘアピンカーブの坂道を駆け上がる。
 威嚇しながら低空飛行するショウリョウバッタのようなバイラが、建物の上を通り過ぎて急降下していった。

 広場の入り口が見えてくると、珂月は民家の塀の影に隠れて様子をうかがった。
 黒い車が数台坂の上に停まっていた。
 車の上には一体のトカゲ型バイラが陣取り、車の影に隠れていた男たちに襲いかかろうとしている。
 男たちは拳銃で応戦していた。
 頑丈なバイラはすぐには死なず、負傷して暴れまわり男たちの上に倒れこんできた。
 一人の男が下敷きになったが、うまく避けた男たちはナイフを取り出してバイラの息の根を止めにかかった。

 珂月は誰もこちらを見ていないのを確認して塀の影を飛び出した。
 バイラともみ合う男たちのすぐ横を走り抜けたが、皆生き残るのに必死で珂月など眼中にない。

 広場に足を踏み入れた珂月は止まらずにざっと状況を確認した。
 目視できるだけでも二十体のバイラがいる。
 死骸を含めればその倍はいるだろう。
 バイラと戦っている人間も同数程度いて、映画でしか見たことのないような銃器を手にしている。

 バイラたちは飛んだり家の壁に張りついたりして、頭上から獲物を仕留めようとしている。
 男たちは四、五人のチームで固まって動き、バイラに銃弾を浴びせていた。
 広場を囲む建物は三分の一が破壊され、燃え盛って黒煙を雲まで伸ばしている。
 ばらばらになった二階部分でバイラがひっくり返って燃えているところを見ると、爆薬でバイラごと吹っ飛ばしたのだろう。

 殺し合いは野球場ほどもある広場いっぱいに広がっていて、狭い建物内にバイラを引きこんで袋叩きにしているところもある。
 広場の中央にぽつんと立つ洒落た木製の看板付近は遮蔽物がないせいか、がらんとしていた。
 一望しただけではすべてを見きることはできない。

 珂月は近くに転がっていたバイラの死骸のそばにしゃがみこんだ。
 同志討ちしないよう、銃を使う者はバイラが高いところにいるときだけ撃っているが、それでも銃声のさなかに走っていくのは勇気がいる。

「ルザあー!!」

 珂月は姿の見えない恋人の名を呼んだ。
 ルザなら珂月の呼びかけにきっと答えてくれる。

「ルザああっ! どこっ!」

 必死に叫ぶと、看板を挟んだ向こう側にいる男たちが珂月を指差してなにか言っているのが見えた。
 珂月は慌ててバイラのそばを離れて駆けだした。
 すると、灯台の入り口のそばで燃え盛るなにかの塊の前に飛び出してきたルザを見つけた。


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