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◆ ◆ ◆
「ああ、その変態は厳重に口止めした後で使用人と一緒に校外に放り出せ。酒の件は喋っても構わねえが、薬を使ったことは死んでも本人に悟られねえようにしろって脅しとけ……あ? 手? 最後までは出してねえよ……てめえヤス、何が“ヘタレでよかった”だコラ。心底安心した声で言うんじゃねえ」
薄い意識の膜の向こう側で、誰かの話し声がする。
何かを憚るみたいに低く潜められた声。
この声は……
「……んう?」
俺が目を醒ましたとき、室内は茜色に染まっていた。
窓から差し込む西陽が、しょっちゅうお邪魔させてもらってるせいですっかり見慣れてしまった風紀委員室を一面、赤く染め上げている。
……あれ、俺どうして風紀委員室にいるんだっけ?
しかも何で寝てんの?
「──目ェ醒めたか、千明」
「……竜さん?」
何か、妙に頭ん中がぼんやりする。
片手でこめかみを押さえながらソファの上に身を起こすと、窓際に佇んでいた背の高い人影──誰かと通話中だったらしい竜さんが耳に携帯を宛てたまま振り返った。
「ああ、千明が起きた」とか「つー訳で後は任せた」とか二三言葉を交わして通話を切ってから、改めて俺に向かって問いかける。
「気分どうだ、どっか変なとこねえか」
「あー、大丈夫。何かちょっと頭重いような気がするけど……ていうか俺、何で風紀委員室で寝てんの? 気分どうってどういう意味?」
「……覚えてねえのか?」
「んー……」
ひとつ頭を振って思考にかかった靄を払い落とすと、俺は記憶を爪繰った。
えーと、
「四限の終わりに貴雅がうちの学校に来て、昼休みに花見しようって誘われたから、裏庭で愛ちゃんたちと飯食って、それから……あー、駄目だ、思い出せない」
「…………」
「…………? 竜さん?」
ふいに答えが返らなくなったことに気がついて、俺はこめかみに手を宛てたまま顔を上げた。
傍らに投じた視線の先では、隣に腰掛けた竜さんが押し黙ったまま何か物言いたげな表情を浮かべている。
え、何。
「竜さん? どうかした?」
「………………いや、何でもねえ」
そのとき竜さんの顔に浮かんでいた表情を、何て表わしたらいいんだろう?
落胆とも安堵ともつかない溜息を吐き出すと、竜さんは気苦労の多い中間管理職のサラリーマンみたいな、妙に疲れた格好で項垂れた。
指で眉間をぐりぐり揉み込んでから渋い表情で顔を上げると、まったく俺が予想だにしてなかった台詞を口にする。
「……実はあの変態御曹司がお前にこっそり酒を飲ませてな、記憶が飛んでんのはそのせいだ」
「は?」
え、何ですって?
酒?
「酒!?」
一拍遅れて脳味噌に入ってきた単語を理解するや、俺は思わず頓狂な声を上げていた。
ちょっ……何ソレ、酒って一体どういうこと?
「そんなもん一体いつ──は!? まさかあれ? あの蟹味噌コーラ!?」
「いや、その辺は俺も知らねえが……蟹味噌ってお前、相変わらず何てもん飲んでやがんだ」
「え」
「いや、この際、蟹味噌はどうでもいい。それよりもだ」
反射的に蟹味噌を弁護しようと口を開きかけた俺を制すると、竜さんは物凄い顰めっ面で言葉を継いだ。
眉間の皺が半端ない。
険し過ぎて皺の間に名刺の一枚でも挟めそうだ。
「お前、もうあの変態から貰ったもん、不用意に口にすんな。食うなら番犬かチャラ男に毒味させてからにしろ……俺が裏庭で見つけたとき、お前、あの変態に押し倒されて、無抵抗のまま制服剥かれかかってたぞ」
………………ま、マジっすか。
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