10
「…………」
無言のまま貴雅はがっくりと項垂れた。
南波の指摘した通りだ。
単純な連中だから容易に意のままになるだろうとほくそ笑んでいたのに、よもやこんな落とし穴があろうとは──
「……ところで、変態野郎」
「え?」
半ば沈没しかけていた貴雅の意識を南波の声が遮ったのはそのときだった。
呼ばれるままに顔を上げて──そして、貴雅は硬直した。
いつの間に接近したのか?
最前までシートの外側に佇んでいたはずの南波が土足のまま、すぐ傍らに立っていた。
しかし、貴雅が息を呑んだのはその距離に驚いたからではない。
こちらを見下ろしている南波の双眸が、まるで氷のように冷たかったからだ。
見る者の呼吸すら凍らせるほどの殺気を宿した、凍てついた眼差し。
「……お前、いつまで図々しくそいつの上に乗っかってる気だ?」
「あ……」
「こちとらいい加減、不愉快なんだよ……自分のもんが他人の下に組み敷かれてんのを眺めてるのはな──とっととそこから退きやがれ」
薄い唇から恫喝めいた命令が放たれるのと、その長身が排斥に動いたのはほぼ同時だった。
「…………!」
小さく上がった悲鳴を完全に黙殺して、南波は貴雅の片腕を捻り上げた。
そのまま冗談のように宙を舞った御曹司の身体は、次の瞬間には、子供に投げ捨てられた人形めいた姿勢で土の上に叩きつけられている。
一方、凍気を帯びた漆黒の双眸はもはやそんな相手を見てすらいない。
倒れた貴雅を一顧だにせず、その傍らを通り過ぎた男の表情は、霜が降りたような殺気に凍りついたままだ。
だが──
「……竜さん?」
「…………」
その視線がシートの上に押し倒されたままの少年に転じられたとき、ふと南波の瞳が和らいだ。
「……いつまでも腹出してると風邪引くぞ、お前」
傍らに片膝をつくと、南波は大きくワイシャツを肌蹴られた千明の上に自分のブレザーを着せかけた。
酒気を帯びた身体とはいえ、長く素肌を外気に晒されて、さすがに肌寒さを覚え始めていたものらしい。
ほっとしたように小さく表情を緩めた千明を抱き上げるや、南波は人一人を横抱きにしてるとは到底思えぬ全く危なげない足取りで踵を返した。
「花見は終わりだ。ここで寝こけてる他の連中は後でヤスに回収させっから、お前は一足先に中戻んぞ」
最前、貴雅を投げ捨てたときとは打って変わって優しい表情を浮かべると、南波は腕の中の少年を見下ろした。
肩に羽織らせた上着ごと抱え直して、校舎に向かって歩き出す──
「──おい、変態野郎」
「…………!」
ふと、南波が足を止めて振り返ったのはそのときだった。
「今日のことは不問にしといてやる。てめえは一応、こいつのダチだからな……だが、今度またこいつの手ェ出してみやがれ。そのときは──」
氷針のような眼差しだった。
土の上に座り込んだまま、貴雅は凍りついたように身体を強張らせている。
それを射竦めながら、南波は低い声で宣言した。
「たとえこいつが止めたとしても、必ずぶっ潰す」
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