09
「……なにしてんの? はなみって、もうおしまい? なんでみんな急にねちゃったの」
「うん? お花見?」
ワイシャツを肌蹴る手は休めぬまま、貴雅は微かに首を傾げてみせた。
完全に酔いの回った今の千明に種を明かしてみたところで、もはや何の障害にもなるまい──そう高を括りつつ、上機嫌で口を開く。
「ああ、お花見はねぇ、もう終わりだよ。ていうかぁ、お花見なんて本当は、わんこやヨッシーたちを一網打尽にして、千明を泥酔させるための罠だったんだよねー……だって俺が千明の身体ナメナメしてるとこ見たら、わんこたち、絶対俺のこと邪魔しようとするでしょ? だから──」
「……なるほどな、それでこいつらが揃っておねんねしてる訳か」
得意絶頂で語る御曹司を低い声音が遮ったのは、そのときだった。
「!?」
声の主は、貴雅が不穏な発言をしているのにも拘らず、まるで知らない言葉を聞いた子供のように双眸を瞬いている千明ではない。
思わず手を止めた貴雅の背後、シートの傍らに現れた背の高い人影だ。
「うっそ……」
まるで背中に棒でも入っているかのような硬い動きで、貴雅はぎくしゃくと背後を振り返った。
シートの傍らに仁王立っていたのは長身の男だった。
前髪の一房だけを白く脱色した黒髪の下、度を超えて整った美貌が冷たくこちらを見下ろしている。
見間違えようもない。
猛禽類を思わせる眼差しをしたその男は──
「南波先輩……なんでここにいるのぉ?」
「……随分なご挨拶だな、変態野郎。俺はれっきとしたここの在校生だ。テメエの通ってる高校の敷地にいて何が悪い」
南波竜一郎──ここ、悪名高き桜台東高校の風紀委員長にして、東地区最強を誇る不良グループ“臥竜”の頭でもあるその男は、そう言って微かに鼻を鳴らしてみせた。
真冬の夜を思わせる凍てついた双眸が、薄く眇められる。
「それとも……ウチの三年の不良(バカ)どもを買収して足止め食らわせてたはずの俺がこの場に現れたことが、そんなに意外か?」
「!」
絶対零度の視線とともに投げ掛けられたその台詞を聞いた途端、貴雅の表情が明らかに変わった。
驚愕に染まった顔で長身を見上げると、微かに唇を震わせる。
「な、なんで……」
どうしてこの男がそれを知っているのか?
確かに秘蔵のアダルトビデオを餌に二クラスをまるごと買収し、乱闘騒ぎを起こして風紀委員を引きつけておくよう指示を出したのは他ならぬ貴雅だ。
だが、いくらなんでも事が露見するのが早過ぎる。
まさか、買収した不良たちが寝返ったのか?
「……お前、うちのバカどもを舐めてたみたいだな」
一方、そんな貴雅の動揺を悟ったようにそう切り返した南波の表情は静かだった。
生徒に講義を説く教師めいた声音で、淡々とこう質問を投じる。
「一般的に普通の人間が“風紀”と聞いたら、まず何を連想すると思う」
「……へ?」
唐突に投げ掛けられた全く脈絡のない質問に、貴雅は双眸を瞬いた。
一体、何の話だ?
それが今までの話と何か関係があるのか?
だが、そんな貴雅の困惑など南波の眼中には入らなかったものらしい。
しきりに首を捻っている変態の一切を無視すると再び淡々と口を開く。
「まあ、頭髪検査と持ち物検査っつーのが妥当なとこだろうな。ちなみにうちのバカどもも、風紀と聞いて無意識にまずソコを想像しちまったらしい……お前の指示に従って乱闘騒ぎを始めたはいいが、奴ら基本的に馬鹿だからな。台詞は全部棒読みだし、ぶっちゃけ普通の喧嘩じゃねえのはハナっから丸わかりだった。だから俺は、あのバカどもにこう聞いた……“てめえら、何を隠してやがる?”ってな」
「……もしかして──」
いや、まさかいくらなんでもそんなことがあるはずがない──表情筋で如実にそう語りつつ、ちょっと遠い目になった変態に向かって、南波は静かに唇を動かした。
「あいつら、血相変えてこう言ったぞ……“エロビデオなんか隠してねえっす!”とな」
「……うっそー」
「嘘みてぇなマジの話だ。そっから先は、もう芋蔓式だったな。自ら暴露しちまったことにテンパって、あいつら、俺を足止めしとくようお前に頼まれたこともうっかり吐いた。おかげでこっちは迅速に変態の目論見をブッ潰しに来られたっつー訳だ……お前、奴らの馬鹿さ加減舐めてたな」
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