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指切り24



母が他界したのは、記憶の中では随分遠い出来事だったと思う。



病名も状態もあまり知らない。医師から説明を受けたあの時の世界はあまりにも現実とかけ離れていて、険しい表情に貼り付く彼の薄い唇からは、次々と無機質な言葉の数々が溢れ落ちていく。私はそれらを何一つ拾えずにいた。病室に向かうと母は何時も窓の外を眺めている。筋の落ちた細い腕と、くっきりと浮かび上がる鎖骨、横顔──前髪から少しだけ覗く目の下の暈(クマ)が印象的だった。




彼女が素人目から見てももう長く無いのは明らかで、鎮痛剤の量は日に日に増えていった。そして何時からかそのまま、私も母もこれからについては一切話さなくなった。


哀しかったのだと思う。
私は母の人生を思い泣いた。母は頷きながら、そっと私の頭を撫でていた。













「────」



夢から醒めた時、零れた涙がつう、と頬を伝っていた。

うたた寝をしてしまったのだろうか。障子の隙間から射し込む光は既に紅く、外の陽が落ちかかっているのが分かった。肩から滑り落ちた掛け物を丁寧にたたんで、人を探そうと立ち上がる。独りだという不安が少しずつ沸き上がり、どうにも落ち着かなくなる。これだから夕刻は苦手だ。



「………」


俯いた拍子に、自分が洋服であることに気付いた。そうだ、正樹に連れられて神社へと帰ってきたのだったっけ。大木の下で別れた相田衛の顔を思い浮かべて、一瞬ぐらりと目眩がした。







『──初めてでは無いでしょう、』



意識に響いてきた声があった。部屋を見回すと、座敷の隅───自分の斜めに位置する暗がりに、ぼんやりと女性の姿が確認出来た。


女性は赤いスーツを身に纏い、じわりと夕日に溶け込んでいる。正座した膝の上に重ねられた手指は細く長い。短い髪と光るイヤリング、淡いグロスの乗せられた唇が妖艶に照る。




『全然変わって無いのね衛は。少し痩せたようだけど』



「…会った時、もっと嬉しがるかと思ったわ」



その言葉に、女性は面白そうに笑う。




『あたしが?』



すっと指先を動かして、女性は片手を前へと差し出した。嗚呼、と囁く。




『…こうして触れた時は、嬉しかったわ』




「……そう」




女性──“本物の遥”とこうして対峙する時、澪は何時も何かを失った様な、打ちひしがれた気持ちになる。どんなに真似ても自分は彼女にはなれないということ。また、彼女のこれまでの人生を奪った自分には、一体どれ程の価値があるのだと自問してしまう。




『─また下らない事考えてる?』


「……違うわ」



拗ねた子供のような返答になってしまう。やはり私は、幼い。



「相田さん…また会えるかな」



夜の闇に美しい紅色がのみ込まれていく。それに合わせて、真っ赤な彼女のスーツも薄らぎ消えていく。



女性の姿が消滅する瞬間、そっと澪は頭を撫でられた様な気がした。



『─直ぐに会えるわ』





きっと、



その母親のような温かさに、澪はまた一筋の涙を溢す。







《続く》
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2009/12/14





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