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指切りJ-sideA






「ばいばい」


手を振る彼女が真っ赤な夕日に溶けていく。その様は何時かと予期していた別れとはまったく異なり、呼吸することも忘れる程に───美しかったのだ。










三島遥の異変に気が付いたのは、彼女が居なくなる随分前からだ。仕事の効率が格段に悪くなった。簡単な雑務にもミスが目立った。そして本人も、見る度に痩せて生気が無くなっている様に見えた。


「…おい、聞いているのか」


羽生は短く舌打ちをして目の前に立つ遥を見る。遥ははっとしたように瞳の焦点を合わせた。そして「ごめん」と一言呟いた。


「いい加減にしろ!今日はもう帰れ。まるで使い物にならない」


「だ、大丈夫よ。あたしは──」


そこまで言い、次の言葉が出ずに黙り込んだ。羽生に睨まれ俯く。休暇─病院─そんな言葉が彼の口から出るのを、遥は一切反論せずに聴いていた。まるで彼の声を記憶に焼き付ける様に目を閉じ、そして少しだけ…微笑む。



「おい……」

「…分かりました。今日は帰ります、」


丁寧に会釈をする遥を、羽生は居たたまれなくなって引き留める。帰れと言った矢先にどうかとも思ったが、このまま彼女を1人で帰してもどこか危なっかしい。


「風邪じゃないのか。病院まで送ってやる」

「…違うわ」

「じゃあなんだ」

「違うのよ」


最後だけを妙にはっきりと返されて羽生は怯む。それを見て、遥は直ぐに穏やかな口調で「大丈夫だから」と続けた。


「大丈夫だけど…アンタがせっかく送ってくれるなら、乗るわ」








───





車内には規則的な重低音が響き、それ以外には何も聞こえない。羽生がちらりと助手席を見ると、遥はまばたきもせずにただただ窓の外を眺めていた。


まるで少女の様だ、


ふとそんな思いが頭をよぎった。何故だかは解らない。ただ濁り無く在る彼女の瞳に引き寄せられて、路肩に車を停める。



「………」



不思議そうにこちらを見る彼女と、目が合った。



「…優しいのね。ボンボンはいつでも」


「旦那と喧嘩でもしたのか」

「したわ…最近はそればっかり」


垂れた前髪をそっと分けてやる。泣いてはいない。ただ、悲しんでいる様に見えた。


「どうして全部を守ろうとすると、かなわないのかしら」


言葉が弱々しく消えていった。慰めも励ましも、この場には相応しくないと思った。羽生は遥の頭に手をおき、撫でる。少女にはこうするのが一番良いと、昔どこかで教わった。






───





「──ひとつだけ、」



車が遥の家の前で停まる。
きっと中には、彼女の帰りを待つあの小柄な母親がいるのだろう。




「アイツに言ったら絶対に叱られるから言わなかったの。だからボンボンにだけ、言うわ」



羽生が助手席のドアを開けると、遥はふらつきながらも彼の耳元へと唇を寄せた。


熱い、湿っぽい吐息が皮膚を震わせる。



『───どうか』





どうか、泣かないでいて。





目を大きく見開いた羽生を見て、遥は僅かに困ったような顔をして、


「お願い」


付け加えた。

彼女は片手をゆっくりと挙げて手を振った。燃える陽に照らされて、その影が細く長く伸びている。




何故だかとても、切なかった。




「──きれいだ」




羽生はそう呟き、少し間を置いてもう一度言う。



「綺麗だよ、お前は」



声が震えて、空気にゆっくりと溶けていった。



遥は嬉しそうに微笑むと、ばいばい、と口元を作った。








手を振る彼女が真っ赤な夕日に溶けていく。

その様は何時かと予期していた別れとはまったく異なり、

呼吸することも忘れる程に───美しかったのだ。





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2010/05/14




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