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指切りL












乗り継いだ車両は混んではいなかった。向い合わせのボックス席には1人2人、たまに立っている乗客がいたかと思えば直ぐに、無人の寂れた駅々で詰まらなそうに下車して行った。






衛の座るボックス席には先客がいた。淡い色の着物を着た母親と、まだ産まれて間もないであろう小さな赤子と。斜めに座る母親の手中には、白い木綿に包まれた“彼”がいた。彼──赤子はぐずる仕草を時折起こすと共に短く声を発する。言葉にはなる筈も無い。微弱に空気を震わせたそれは、きっと母親にしか届かない。木綿を規則的に擦る音が響く。母親はほんの少しだけ、血色の良い唇を開いた。




「────」





緩やかなメロディだった。どこかで誰かが歌っていた、単調だが懐かしい音だ。歌詞は聞き取れないまま、ただ微かな、女性特有の優しさが衛を包んでいた。



母親をひっそりと思い出した。忘れることは無いけれど、随分と長く仕舞っていた昔の記憶だった。着物を好んで着た母の、きめの細かい白い肌や項がぼやけて消えた。ごぽごぽとした濁流音。意識が沈む、と認識した瞬間に、衛は夢に堕ちていく。













(小さな玩具が手中に在る。振るとがらがらと音が鳴って、多少剥げてきた塗装の赤色が指に付着している。私は泣き出した。外の世界はずっと恐ろしいものだった。ばたつかせた手を誰かがそっと包み込む。母だ。慈愛に満ちた横顔。握られていた指先がゆっくりと開かれる。母の細い指には、控えめな──装飾の無い指輪が光っていた)




(身体が震動する。どこへ向かっているのか。ほらごらん、囁く母に従うと、窓の外には田園風景が広がっているのが確認出来た。列車のスピードが落ちる。ああこれは列車だったのか。流れる風が、若く瑞々しい草を掻き分けて消えて行く。無人駅で降りる者はいない。この列車に終点はあるのだろうか。長く延びる線路が頭に浮かんだ。以前に見た、本の挿絵だ)





(母に視線を戻す。母は泣いていた。色素を失った眼球からは、浄化された様な涙が垂れている。私はその滴を拭う事すら出来ない。私の手のひらはあまりにも脆弱で、まるで他人のそれのようで。再び動き出した景色を眺めたが最後、もう二度と母をこの目で見ることは無かった)












「………、」



ゆらりと醒めた衛の頬には、一筋の涙が伝っていた。


周囲を見回す。既に向かい側にいた親子は下車したようだった。慌てて窓から駅のホームを見る。駅名を確認し、荷物を持って小走りに降りた。


涙を拭う。




「………着いた」



独り呟き、衛は10年振りとなる籠鎚村目指して、静かに歩き出した。





《続く》
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2009/01/24





あきゅろす。
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