指切りK-sideA
ごみごみと密集した都会の空気にうんざりしていた。
首筋を伝う不味い汗に顔をしかめて黙々と歩く。人が近い。雑音が酷い。母はよく昔こんな場所に住んでいたものだと思う。大して背の高く無い2人は気を抜くと直ぐに離れてしまうので、ぶつぶつと小言を言いつつ手を繋いで歩いた。
「こっちだ」
ほんの少し住宅地の道に入ると、先程までの騒がしさが嘘の様に落ち着いた。母親から受け取った紙と、実家で見付けたアドレス帳から三島家の住所が分かった。紙に書かれた番号へ掛けてみると、遥の母と名乗る女性が応えた。
小さな公園の角を曲がる。ひっそりと佇む一軒家の表札には「三島」と確認できた。
「───ここだ、」
誠二が一息吐いて、ゆっくりとインターフォンを鳴らす。
迷っていた。
会っていいものか、来る意味はあるのか、三島遥が既に消えたこの家に、果たして何が残るというのだ、と。
少ししてから玄関のドアが開く。中から現れたのは、電話に出たと思われる年配の女性だった。
女性は2人を見ると、柔らかく微笑んで頭を下げた。
「…お電話を下さったのは」
「はい。橘誠二と言います。こっちが兄の正樹です」
正樹もつられて頭を下げる。揺れた髪から滴が垂れた。
2人ともこんなに暑いのにと女性は家の中へと促す。通されたのは冷房の効いたリビングで、タオルと氷の浮かんだ麦茶が並んで置いてあった。
静かだ。
ただ何となく空っぽだと思うのは、女性の足音が頼り無くぱたぱたと響いているからだ。
2人の丁度真向かいに、女性は座った。
「…そう言えばまだ、自己紹介をしていなかったわね…。私は三島智子と言います。あなた方が訪ねてきた遥は、私の娘です」
改めて女性を見る。ほっそりとした腕が白い。長めの黒髪を後ろに結わえて、同じく色白な顔は、整ったとても美しいものだった。
ただ…それより一番に受けた印象は、何よりも儚さだったと思う。
母さんと同じだ。
消えてしまいそうな輪郭が、由紀のそれにそっくりだった。
「今日は、遥を訪ねて来てくれたのね」
智子は目を伏せながら話し出す。
「…由紀さんはよく遊びに来てくれたから覚えているわ。でもまさか、こんなに可愛らしい息子さんがいたなんてね」
「母も今回は来られなかったんですが、よろしくお願いしますと言っていました」
誠二が応える。
無遠慮に麦茶を飲み干す正樹の膝を、こっそりと叩いた。
由紀は体調が悪いのだと付け加えると、智子は心配そうに相槌を打ったが、深くは詮索しなかった。
そしてぽつりと、
「みんな変わってしまったのね」
呟いた。
「あなた達は、遥と会った事があるんでしたっけ?」
正樹のお代わりがテーブルに置かれた。
「…1度だけ会いました。7年前です」
「7年前…」
遥がいなくなったのと同時期だ。智子はそれを思い出したのか、何かを考える様に黙り込んだ。
そして暫くして、問う。
「………私の思い込みだったらごめんなさいね。今日あなた達がここに来ることは…遥が前々から頼んでいたことだったのかしら?」
違います、
誠二が言う前に、今まで喋ることの無かった正樹が答えた。
「ここへは、俺達が自分で決めて来ました。遥さんに会いたかったんです」
「でも…電話でもお話した通り、遥はもう…」
三島遥はここにはいない。
それでも足を運んだのは、少しでも澪に繋がる手掛かりを遥が残していたのではという期待からだった。だが実際に来てみてどうだろう。衰弱した母親と、独りでは広すぎる家。言えなかった。信じてもらえないと思った。
「───何か、隠しているわね」
「………」
壁時計が鳴った。正樹と誠二が同時にびくりと肩を震わせる。
それを見て、険しかった智子の表情が和らいだ。くすくすと笑いだす。
「…やっぱり私の勘違いだったみたい」
遥の笑顔に、そっくりだった。
「あの、」
玄関で靴を履いた誠二は、見送る智子に礼を言って続ける。
「遥さんへの、言伝てを頼めないでしょうか」
智子は頷く。
「“澪に会って欲しい”と」
「…分かりました。でも、出来ればまたここに遊びにきて、直接伝えてあげて」
手を振る智子にもう一度会釈をして、2人は三島家を出た。
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2009/01/11
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