指切りH
虫の声が辺りを漂う。
都会というものを知らない、澄んだ緑と、夏特有の焦げた匂いがする。
「母さん、」
正樹が乱暴に玄関を開けると、薄暗い奥から祖母が出てきた。
「………来なさい。正樹、誠二」
ぼそぼそと囁き、和室へと手招いた。
「ばあちゃん、母さんは?」
「…お座り、」
部屋の電気を付ける。
広いその空間の中心にぽつりと、母親が寝ていたであろう布団が敷いてあった。
「ばあちゃん?」
「…本当についさっき、」
由紀さんな、救急車で運ばれたんよ。
込み上げるものはざわざわとした何か。
熱い、何かだった。
「なあに…過労の大事とっただけじゃ、心配する事ない、」
正樹は隣に座る誠二を見る。
誠二は瞬き1つせずに、先の虚空を眺めていた。
祖母は淡々とこれからについて話し始めた。特にここ数年、身体を壊していた母親を考えて、大体の用意は行っていた。
勿論、それなりの覚悟も。
祖母は由紀に付き添うことになっている。聞けば、それほど長い入院にはならないそうだ。澪と同じ病院だった。
「2人は…夏休みじゃろ?」
「うん。明日、母さんの実家に帰るつもりだった」
「ああ…そう言えば」
祖母は自分の懐から一枚のよれた紙を取り出した。開いてみると、母親の字で電話番号と住所が書いてある。
「由紀さんが、2人で東京のうちさ行って来いゆうとった」
「………」
数回しか訪ねたことの無い母方の実家。そして東京。
「…これは?」
正樹が指した紙の一番下には、何処かの電話番号があった。
わからない、と祖母は言う。わからないけれど、行ってみたらどうか、と。
誠二は そう、と呟く様に言うと、
「わかった」
祖母を安心させる様に、正樹に問い掛ける様に、声に出して了解した。
「…おい」
「何?」
「色々と納得出来ない」
「…そうだね」
「………」
「正樹」
「………」
「きっと母さんも逢いたかったんだ」
だから、
僕達が代わりに捜すんだろう?
「………」
手のひらに収まる紙。
握った熱で、鉛が落ち始めている。
手掛かりはほんの僅かだけれど、
2人は明日、東京へと向かう。
《続く》
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