指切りB
私は迷っていたのか
…それとも私は恐れていたのか、
不意に離した彼女の指先は
未だ、私には…
秋穂 澪と会った日から、丁度1週間が経った。
私は相変わらず量の有る資料やら原稿用紙やらを見て、溜め息を吐いた。
10年、
あれから、10年だ
世界は今もまだ静かに流れ続けている。
変化したのは空の色が少し汚くなったこと。
物価が高くなって、自炊が増えたこと。
口数が、前よりも少なくなったこと。
「換気…」
濁った空気に堪らなくなり、一番近くの窓を開けた。
「―――……」
外の景色、
また少しビルが増えた。
窓を背にして枠にもたれる。全くあの頃と変化の無い研究室。入り込んだ風に、ぱらぱらと読みかけの本が鳴る。
山実教授は数年前に定年退職した。本当ならその時に部屋を移動する筈だったのだが、何故だかこの場所から動けなかった。
『遥様が帰られた時に、お困りになるでしょうから』
不思議がる職員の中で、華奈さんだけが私にそう微笑んだ。
彼女とは暫く会っていない。
元気にしているだろうか。
(幸せになっていればいい)
出来るだけ、幸せに。
「幸せに」
―――アンタはどうなの、衛
「私は…」
変な顔、泣きそうになっちゃって
「泣いてませんよ…」
そお?
「そうです。元はと言えば貴女が勝手に」
…がさ、と本が風で落ちた。
返答が無い。
私は誰もいない虚空を見つめていた。
「…貴女が勝手にいなくなってしまうのがいけないのでしょう…」
言葉の端が寂しそうに溶けて、消えた。
私は秋穂 澪を再び思い出す。
彼女は突然現れた。突然現れ、私を見てどこか哀しむ様に…泣いた。
華奢な女性だった。職業は高校教師。失礼な言い方だが、生徒に苛められないかと心配になった。
「女子高校なんです。私、昔から弱くて」
弱くて。
彼女は病を患っているらしい。心が少しばかり“弱い”のだという。
簡単な説明だけだったが、気を付けていれば日常生活に支障は無いそうだ。
彼女はよく笑った。その笑顔が何処と無く遥に似ていることには、最近気付いた。
―――コンコン、
「――はい、」
今日は、彼女と会う 4度目の日だ。
《続く》
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