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センチメンタル








つい微笑んでしまったのは、思い出したからだ。

泣いてしまったのも、




思い出したからだ。


















「あれ、」

事務所の定位置で紅茶を飲んでいると、部屋の奥から音がして、癸生川が勢いよく出てきた。僕は何時もの光景を目の端で捕らえながら、少し感じた違和感の為に彼を呼び止める。


「また、出掛けるの?」

「ん?」


このところ毎日癸生川は外出している。それを知っている僕も、ここ1週間事務所に入り浸っている。これは降り続く雪の所為だと思う。雪や雨が降ると、何故か自然とここに足が向く。


「あ、先生」


台所から茶菓子を持った伊綱くんが来た。癸生川は何か言おうとしていた口をつぐんで、出掛けてくる とだけ言い出ていった。


何処に、と聞く暇は無かった。


「生王さん、先生何か言ってましたか?」

「いや、特には…」

「そうですか…」


また知らぬ間に事件を解決されては困る、きちんと此方に報告してもらわないと。

伊綱くんはぼやき、僕の前に茶菓子を置いた。

(これ食べたら帰ってくださいね)

そんな空気を発してにこりと微笑んだ。





―――――――――――――――――――





雪は止む気配を見せない。小さな白い粒が絶え間無く空から流れて、地面に着地した瞬間に、さらりと消えていった。


「…寒い」


事務所を追い出されて、ふらふらと街を歩いた。今日は仕事の予定もない。かといって、誰も居ない自分の部屋に帰る気にもならなかった。


人通りの多い商店街を抜ける。随分と遠くまで来た。道の向こう側に、河原が見える。


「………癸生川?」


雪の中に、ぽつりと紫色の頭を見付けた。近づいてみると、やはり彼だ。


癸生川は河原の下の方、少し窪みになっている所にうずくまっていた。窪みといっても背の高い彼が収まる大きさではなく、その肩には粉雪が積もっている。もしかしたら、見逃してしまう様な位置だった。




「癸生川」


声を掛けて、彼の上に傘を持っていく。癸生川は僕に気付いた様だが、それほど驚いた風でも無く「生王くんか」と言って、それきり黙ってしまった。


「生王くんか、じゃないよ癸生川。こんな雪まみれで何してるんだ」

「………」

「おい」

「……………」

「きーぶーかーわ」


その時、此方に背を向ける彼の代わりに、


ニャア、


「…にゃあ?」



何かが、鳴いた。



僕はどうにか癸生川で隠れている窪みの中を覗き込む。


「あ…えっ…ね、猫?」


そこには猫が1匹だけ、いた。今降っている雪の色をした、純白の子猫だった。

ニャア、



寒いのだろう。タオルにくるまれていてもなお、細い身体を小刻みに震わせている。


「…癸生川、その猫」

「…親に捨てられたか、飼い主に捨てられたか。見付けた時には、3匹いた」


彼の顔は見えない。何時もの覇気も無い。淡々とした声だった。


「昨日、2匹死んだ」


死んだ、という単語が、妙に響いて僕の耳に届いた。


「そんな…何処か温かい場所に連れて行けばいいじゃないか」


「それは、出来ない」


「伊綱くんだって許してくれるよ、絶対」


「………」


「…どうして、」



何時の間にか、声が大きくなっていた。傘を支えている手が冷える。赤くなり、感覚が徐々に無くなっていく。



僕は、思い出したからだ。





『来たら、もう動かなくなっていたの』


彼女の瞳は紅く腫れ、僕に悲しさを訴える。


どちらもペット禁止のアパートで、飼い主を捜しても見付からなくて、とても寒くて、それでも彼女は一生懸命世話をしていた。


毎日、毎日、この場所で。



『ごめんなさい…』



澄佳さんの頬を伝う涙を、僕は静かに拭ってやることしか、できなかった。









「生王くん」


目の前に、癸生川の顔があった。


「何故、君が泣くんだ」


ぽろぽろと流れる涙に気付く。凍えて、溢れるそれすら凍ってしまいそうだ。



ほぼ溶けて、陽の光によってきらきらと輝いている。



僕と癸生川は、河原に来ていた。

窪みにはあの子猫の姿は無い。

僕は、商店街の途中で買った小さな花を、空いた空間に供えた。


「そんなの、要らないのに」

「…いいんだよ」


そう言って癸生川を見上げると、彼は口の端を上げて何時もの笑みを見せた。



「…思い出したから」

そっと呟くと、僕は手を合わせ、ゆっくりと目を閉じた。









END


あきゅろす。
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