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嘘つきマーチ



アルコールというものは、主に適度な酔いによる身体的・精神的な心地の良さを得るための1つの方法であって、決して嘔気や嘔吐を助長したり、その晩の記憶一切を消し去ることが目的なのではない。


それに生王が気付いたのは初めて自分が酔いつぶれてしまった飲み会の翌日であり、度数に関わらず一瞬にして意識が吹っ飛び、気がつけば自宅とは全く異なる利用したことも無いような遠くの駅で朝まで爆睡していたような過去があったからだ。

今こうして冷静に考えるとぞっとする。本当にどうしてあの場所に居たのか分からない。財布や携帯は無事だった。

…何故だか身体のあちこちは痛かったけれど。









「…っつー……」



ゆっくりと起き上がったが、僅かな振動でぐらぐらと視界が歪み、重くのしかかるような鈍痛が頭の芯に響く。

…久しぶりにやってしまった。
吐き気を堪えながら歩いて帰ったあの時から、二度と飲み過ぎるまいと心に誓った筈だった。

場に流される自分の軟弱な性格にうんざりする。辛うじて動かした左腕には腕時計。時刻は朝方、新聞配達がそろそろ活動を始めるであろう頃だ。

今回は比較的早く目が覚めたらしい。ソファーに身体を預けて辺りの様子を探る。静まり返った探偵事務所の一室には、昨日の残りか油の混じった食物の臭いとアルコール臭が微かに漂っている。目線だけを動かすが人の気配はない。皆帰ったのだろうか。


「…頭いたい、」

呟いた瞬間に一気に胃から内容物がせり上がってくる感覚があり、とっさにテーブルから菓子袋をひったくり口元にあてがう。袋の中身はチーズ味のスナックだったらしい。激しく後悔する。


むせ込みながら自然と涙目になり、そのまま数回のざえてなんとか落ち着いた。荒くなった呼吸を時間をかけて整えると、ようやく動けるようになった。


とりあえず水でも飲もう。口の中が粘ついて不愉快極まりない。


酒以外の水分を求めてキッチンへと移動する。物が散乱した室内は嫌でも昨晩の惨事を連想させた。たしか癸生川の知り合いという初対面が数人、それなりの紳士で好感が持てたものの、話の流れと互いの気遣いからか飲酒のスピードも次第に速くなり、しまいには上半身を脱ぎだし皆で肩を組み合唱するというなんとも暑苦しい結果となった。


「ここまでは…ここまでは覚えてる」


くらくらと気持ちの良い感覚。その時、笑いながら口に無理矢理注ぎ込まれた焼酎。

おそらくこれが記憶の最後だ。











何度か躓きながらもキッチンに到着し、コップに水を汲み一気に飲み干してから大きく息を吐いて、

「………」


気がついた。





「………うん?」



部屋の隅にもぞもぞとうごめく布団があった。じっと耳を澄ませば、細く規則的な寝息が聞こえてくる。

人だということは直ぐに理解出来たが、しばらく声をかけるかかけまいか悩む。相手が癸生川なら絶対に関わりたくない。だが昨日の来客の誰かなら、少なからず自分が介抱しなければならないだろう。




「も…もしもーし」


結局声をかけてしまった。反応が無かったため、少し声量を上げてみる。

もしもしを5度程繰り返していると、明らかに機嫌を損ねたような返事と共に、中から“彼女”が姿を現した。







乱れた、と表現するよりぼさぼさ、の方がしっくりくる髪。

薄いながらも剥がれているのが分かる化粧と、昨日のままでシワが目立つスーツ。


初めて見る“きちんとしていない”伊綱だった。





「…伊綱くん」

「………いま、」

「え?」


頭がふらふらと頼りなげに揺れている。
まだ完全には覚醒していない様だ。


「今、何時ですか」


確認した時間を彼女に伝えると、なにやらぶつぶつと小言を呪文のように唱えながら(正確には聞き取れ無かったが、おそらく昨日の文句だと思われる)再び布団に顔を突っ伏して動かなくなってしまった。




「………」


なんて珍しい光景だろう。

先程よりもだいぶすっきりとした頭でのんきにそんなことを考える。伊綱くんくらいになるといくら飲んでも平気なのかと思っていたけど違うんだなあ、とよく分からない納得をして、彼女の様子を窺うようにそばに寄る。


「…伊綱くん、起きて」

「………」

「そんな所で寝たら風邪引くよ」

「………」

「伊綱くーん」



返答がまったく無いことに不安を感じ、恐る恐る肩を揺らしてみる。少しパサついた茶色の髪が顔にかかっていて、無意識にそれを除け、彼女の表情を確認していた。



「…どうしたの?」

「……何でもないです」



何でも無いわけがない。

彼女の頬はこれ以上に無いほど紅潮し、耳まで真っ赤になっていた。



「だ…大丈夫…?もしかして熱があるんじゃ」

「ない…です」

「だって顔真っ赤だよ!みせて、こっち」


そっと髪を掻き分け、その額に自分の手のひらを当てる。これも言わば無意識だった。幼い頃に母親がしていた、手当てのひとつだと思っていた。



「───ッ、」



伊綱の呼吸が一瞬止まった。

ひく、と喉が鳴る。
潤んだ瞳の縁は充血し、目を合わせたこちらが動揺するくらいに、


彼女は、驚いていたのだと思う。



「……っ、ご…めん」



はなして、と聞こえた気がして、生王は慌てて手を離した。

じんわりと痺れる感覚と、今までに感じたことのない熱が手のひらを侵食する。


脈拍が加速していくのが分かった。
落ち着け、小学生じゃあ無いんだから。



「……飲み物買ってくるよ」


やっとの事でそれだけを言うと、逃げるように事務所を出た。
















微かに霧が出ている街中を早足で通り抜ける。

近くのコンビニのトイレに入り、汗ばんだ顔を水で洗い、しばらくしてから自分が今どんな顔をしているのかと正面の鏡を睨みつけた。


酷い表情だ。
──仕方が無い。
自分が昨晩、彼女に対して何をしたのか、一部ながらに思い出してしまったから。





「………」


ペットボトルのお茶を購入し、重い足取りで外に出る。
帰りたく無かった。









すき。


だいすきだ、と。





「…言った様な気がする」



すれ違った中年男性が怪訝な顔でちらりとこちらを見て、すぐに視線を外し歩いていった。





訂正しなければ、と焦る気持ちがあって、
弁解の言葉を探す自分がいて、

それでも、今は全てが上手くまとまらない。






ずいぶんと遠回りをして事務所へと向かう。

踏切に足を止め、目の前を通り過ぎて行く電車と轟音の中、呟く。




ごめんね伊綱くん
昨日はなんだか変で
酔っていたんだ
酔っていたから
君に言ったことも
すきって言ったことも
酔っていて
よくわからなくて
どうして
嘘だと、





嘘だと、一言いえないのだろう。





踏切が上がる。

額を伝う汗は冷たい。

身体の節々が痛い。



彼女がどんな表情だったかいくら記憶を辿っても思い出せずに、最後の笑顔すら思い出せずに、やっぱりまた自分はアルコールに食われてしまい、きっとこれからもこうしてじわじわと壊れていくのだと、2本目の電車を見送りながら生王は思うのだった。





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2012/04/20


あきゅろす。
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