あの街角で逢う日まで(後編)
一番後ろの窓際と出口近く。上手い具合にそれで保たれていた2人の席は、先週唐突に行われた席替えによって、いとも簡単に崩されてしまう。
「………」
沖村は身体を硬直させたまま、後ろの席に弥勒院が座るのを音で確認した。
気まずい、と思った。あんな別れ方をして、それから一言も口を聞かず、目すら合わせた事も無かったのに。
沖村は窓際の最前列だった。話せる人も無く、かといって居眠りも出来ない角の位置だ。これからの半年間が憂鬱で仕方無かった。元々友達の少ない自分にとっては丁度良い環境なのかも知れないと一瞬考えたが、それでもやはり後ろに座る彼に見られているようで居たたまれない。誰かと視線を合わせるのが苦手だった。俯いてじっと耐えていれば、全てが上手く収まると思っていた。
そんな自分が、どうして彼ばかりを気遣っているのかは沖村自身にもよく分からない。なんとなく自分に似ていると感じたからかも知れない。又は正反対の人間に見えたから───喫茶店での弥勒院の言葉が頭をよぎる。
“全部偽善だと思うよ。俺は”
諦める様に、哀しむ様に吐き捨てた台詞は、想像以上に沖村の中で、黒い塊となりながら静かにべたりと貼り付いている。
否定されるとはこういうことか、と多少冷えた今では考えていた。ある限りの強がりで彼を突き放したのは彼の為では無く、弱い自分を一刻も早くその場から隠してしまいたかったからだ。
(結局僕は、逃げているんだ)
帰りに1人でバロンに寄った。
弥勒院に連れられて来た日から、たまにではあるがここへ足を運ぶようになった。勿論彼に会わないようにタイミングをみて通った。学生はいつ来てもいない。それは沖村を少し安心させた。同級生も知らない、自分だけの空間を見付けた気がしたのだ。
「こんにちは、マスター」
「いらっしゃい。今日も彼、まだ来てないよ」
マスターはいつもの定位置から面白そうに微笑む。出された珈琲を一口飲むと、沖村はふう、と溜息を吐いた。そんなに弥勒院くんに会いたくないのかいとマスターが言う。
「彼はいつもそこ、君の隣の席に独りで座っていたんだ。あまり話さない大人しい子でね。何かを考えて…迷っているようにも見えた。だから、彼が君とここへ来たときには嬉しかった。初めてだよ、彼が他の誰かに興味を示しているのは」
沖村は何も知らない。彼の出身も、家族も、何が好きで、どんな生き方をしていて、そして今何を思っているのかも、何も知らないのだ。
「…いい友達になれるんじゃあないかな」
新しいカップを持って、マスターは言う。
「分からないなら尚更ね」
気配に気付いて漸く沖村は振り向いた。その目の前には、手に教科書を持って呆れたように立つ弥勒院がいた。
「……や、やあ」
「学校に置いてくなんて余裕だな。明日テストだろ」
「え…?あ、そうだった!」
渡された教科書は確かに沖村のもので、帰りに机の上へと置き忘れた事を思い出した。
「ありがとう…」
珈琲の湯気が弥勒院の分1つ加わった。以前と同じ2人だったが、そこに沈黙は無かった。沖村は何かが崩れたかの様に話し出す。他愛ない話を幾つも、時間の許す限り半ば一方的に。弥勒院は嫌がる様子も無く、短く素っ気なく相槌を打って聴いていた。次の日のテストは散々だった。沖村はくるりと後ろを向いて笑う。もう胸を締め付けられるような息苦しさは消えていた。
大きな窓の方へと身体を向けると、よく2人でそのまま外の景色を見た。校庭の淡い土色ではなく、青い空の下を切り取るように伸びた歪なビル類を数えながら、ぽつりと弥勒院が沖村に呟く。
「…お前は何とも無いのな」
「何が?」
「………」
弥勒院は少々渋い表情をしてから、何でも無いと話を打ち消して席を立った。購買に行った彼を待ちながら沖村は弁当を広げる。
「──おい、そこ」
「…え?」
複数の足音がしたかと思うと、沖村は後ろから声を掛けられた。嫌な予感がした。見ると、他のクラスの───前に沖村が目撃した、弥勒院に喫煙の罪を被せた生徒達が、にやにやと笑いながらだらしなく立っていた。
「………」
沖村は自然と警戒して、彼等を睨む。
「蓮児くんの席ってここだよなあ?席替えして分かんなくなってさ、」
「そうだけど…何か用?」
「いや、お前関係ないし。ここだよな?」
沖村を無視して生徒は乱暴に机の中のものを出すと、その一番奥にタバコの空箱を躊躇いも無く詰め始めた。まるでそこがゴミ箱であるかの様に、時折顔を見合わせて笑いながら。
「な…止めてよ!酷いじゃないか!」
「は?蓮児くんと俺トモダチだからさ、いいのいいの」
「友達って…」
言葉も出ない沖村は立ち尽くす。ざわざわと周りのクラスメイトたちがこちらを見ていた。直教師が来るかもしれない。そうなれば、また弥勒院が犯人になってしまう。それだけは何としても避けたかった。
「やめろ!」
沖村は机から空箱を出そうと生徒の腕を掴んだ。場が一気に険悪になる。自分より頭ひとつ分も大きい男子に胸ぐらを掴まれる。殴られる、と覚悟して目をつむった。
「───」
苦しかった胸元の力が弱められる。おそるおそる目を開けると、ビニール袋を持った弥勒院が彼の手首を押さえて制していた。
「…何?これ」
状況で全ては理解出来た。ただ弥勒院は彼等に確かめるように問う。初めて聞く、低く地に響くような声色に沖村さえもぞっとした。
「み、弥勒院くん…」
「うん」
「ごめん…僕……」
今にも泣きそうになる沖村の肩に手を乗せる。
「…あとは自分でやるから、」
騒ぎを聞き付けた教師の姿が見えた。弥勒院が遠くなる。ぼやけた視界の中、沖村は唇を噛み締めて頷いた。
───
「─結局どうなったのか、全然教えてくれないよね弥勒は」
長細い筒を片手に歩く。思い出の校舎、という程の深い感動は無いものの、これがまた1つの終わりなんだと感じさせる空気が漂う。卒業をすれば人それぞれ道は分かれるものだ。僕達はそれを知っても尚、こうして友達であったことをいつまでも誇りに思う。
「別に隠してる訳じゃない」
先程まできちんと着用していた制服のボタンは、開けられていつものだらしのない状態だ。写真を撮りながら別れを惜しむ雰囲気にもなれず、弥勒院と沖村は普段通りに下校した。
「でも今更言う気にもならない」
「ほら!そうやっていつも君は…」
「そういうお前はどうなの、沖村」
弥勒院の言葉に沖村は立ち止まる。丁度2人の別れ道である角だった。「俺といると不幸が感染る、とかな」自嘲気味に弥勒院は言うが、沖村は気にする事もなく彼を見る。初めて話したあの日から、その瞳だけは狂い無く変わらない。
「…弥勒に何かあったら、僕がなんとかするしかないだろう?」
悪戯っぽく笑うと沖村は右手を上げる。
「──また、」
さよならではなく、
また、
“あの街角で逢う日まで”
───2人がシナリオライター、オカルトライターとして再会する、数年前の話。
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2009/06/06
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