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やはり、あの色だったのだ。


鮮やかで熟れた果実のようなあの色が、私達を包んでいた。











“赤”












赤いものの意味を、生王は上手く働かない頭でぼんやりと考えていた。


広すぎる屋敷の大き過ぎる玄関から外に出る。瞬間、寒さに胸がぎしりと締め付けられ、辛うじて吐き出した呼気は白く煙の様に暗闇の空へと溶けていった。



外は騒がしい。
赤い光りを誇らしげに放つ数台のパトカー。慌ただしく通り過ぎていく警官の姿は、すでに見慣れたものだった。景色が赤い、と思う。先程の血の赤さとはまた違う色味だ。何時からか集まった野次馬がランプと重なり、血を浴びた様に見えてぞっとした。



所詮は同じか、

どんな赤色も、多かれ少なかれ僕を恐怖させる。




「生王さん」


呼ばれた方向を見ると、伊綱がすみません、と生王に手を振っていた。

急いで屋敷の中へと戻る。



「どうしたの」

「タオルか何かありますか?泣きすぎて過呼吸になったみたいで、」


伊綱が背を擦る少女は、うつむきながら荒い呼吸を繰返し、嗚咽していた。
土埃で汚れたそれは淡い紺色のブレザーで、近所の私立高校のものだと分かる。彼女が咳をするたびに長い黒髪が揺れる。顔は、今は見えなかった。



「分かった。探してくる」


生王は立ち上がり、辺りを見回した。少し離れた場所にいる癸生川と目が合ったが、彼はすぐに視線を反らしてしまった。

尾場警部と何やら話している。事件は解決しただろうに、癸生川の表情は未だ険しいままだ。





殺人事件だった。

殺されたのはこの屋敷の主人であり、犯人は彼の息子だ。

当初事故として片付けられようとしていたものが、癸生川の登場により一気に流れを変える。


生王は言葉も出なかった。
犯人の顔から血の気が引き、彼の娘―――少女は力無くその場に崩れ落ちた。






「―――はい。こんなのしか無かったけど」


「ああ、ありがとうございます」



伊綱がタオルを渡すと、少女はゆっくりとそれを受け取った。そろそろ落ち着いたのか、支えられながらも立ち上がる。



父親が殺人犯など、どれ程のショックだろう。



伊綱が生王を見る。無言だった。表情が何故だか読み取れない。

振り向くと、癸生川がいた。




「癸生川、」


「君は」



低い声色だった。
生王の横を過ぎて、彼は少女の前で立ち止まる。




なんだろう、

このぴり、とした痛みは。





「…君は、本当は父親が犯人だと言うことを知っていたのだろう?」



息が詰まる。
感じた匂いは、尾場警部の煙草だった。



少女の目が見開かれ、また小刻みに震え始めた。



「知っていただけじゃない。君の行為は立派な共犯に値するだろう」



違うかい、と癸生川は問う。少女は答えない。





はらりと、タオルが落ちた。













「―――っ!!」



彼女の手に握られたカッターを認識した瞬間、生王は反射的に伊綱の腕を引き前へ出た。鈍い痛みを感じた左腕から血液が溢れ落ち、彼から微かに声が漏れる。


少女はカッターを振り回し、狂った様に叫んだ。



「お前がいなければっ!!お父さんは逮捕されなかったのに…!!お前さえ!!」



小さな刃は癸生川に向けられる。ざわざわと警官が集まっている。逃げられはしない。


少女は、顔をぐしゃぐしゃにしながら泣いていた。




どうして、どうして

あんな奴殺されても仕方がなかったのに、

どうして、




「―――どうしてだと思う」



癸生川は少女に歩み寄ると、自分に向けられたカッターを躊躇い無く掴んだ。

じわりとした赤が浮かぶ。
構わないのだ、痛みなど。




「…いつもこれを持ち歩いていたのか」



彼女の背後には常に死があったのか。
少女は俯いた。
それは酷く、弱々しい姿に見えた。













――――――――――――――――――



巻かれた包帯の白さに驚いた。



「………ありがとう」


「いえ…すみません、」



事務所に帰宅し、生王は傷の手当てを受けた。切られた部分は大した深さでは無かった。小型のカッターだったことが幸いしたのだろう。



静かだ。
壁に掛けられた時計の音が反響している。



「あの子は…ずっと自殺を考えていたのかな」



死にたい、と少女は繰り返した。
見ていられなかった。

手放されたカッターが床に落ちる。からんと鳴って、血を吐いた。




「彼女を繋ぎ止めていたのは、唯一父親だったんだろう、」



ソファーにもたれた癸生川が呟く。哀れだ、と続いた気がした。



「僕らにどうこう出来るものじゃあないさ」



傷付いた手のひらを握る。
血は、既に乾いていた。







―――でも、



自室に入ろうとする癸生川に、生王が首を振る。



「それでも、君はそうやって彼女を救おうとしていたじゃないか」




彼女の手首を見ただろう、
赤く腫れ上がった瞳も、枯れてしまった声帯も、全て。



「………」


癸生川は無言でドアを閉めた。



「癸生川…」



「生王さん、」



伊綱は大丈夫ですよと少しだけ微笑んだ。




解っています、

先生も、私も。




「赤は怖いですよ、生王さん」




自らの身を滅ぼすほどの強い強い憎しみも、
正義を唱う彼等のどくどくと波打つ血液も、





「人は、赤い世界の中を生きているんです」





窓の外が明るみを帯びていく。
夜明けが近付いていた。




「だから私達は………敢えてその中に、希望を見い出したいのです」



―――1人の探偵として。






室内に光が射した。



朝日は柔らかく、すべてをいとおしむ暖かさで私達を見ていた。





―――――――――
2008/12/22



あきゅろす。
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