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負けるものか!



事務所に入ると、そこは天国のようだった。


否、実際の天国を知っている訳では無いが、一歩先が見えない程のこの煙を生王は他の例えで表現出来なかった。


「い、いづなくーん!きーぶーかーわー…」


おそるおそる壁を伝い、この部屋の住人達を探す。

部屋の間取りは大体覚えている。少しくたびれたソファーに手を付くと、そのままとにかく座ってみた。


「…何だろうこの煙…なんかツンとくる臭いだな…」


暫く考えてから、


「!」


生王はぎょっとして、慌てて台所の方を見た。


煙…と言ったら、火事じゃないか!
(何をのんびりしているんだ僕は!)


兎に角消火と立ち上がった時、くん、と不意に下へと引っ張られた。


「!…わ、癸生川」

「火事では無いんだ生王くん…」


同じソファーに座っていたのか。全く気付かなかった。


だらりと革の背もたれに寄りかかった癸生川からは、あの何時もの覇気が微塵も感じられない。のろのろと視線をあげると、へにゃりと生王に微笑み掛ける。




「癸生川!なにこれ!」

「僕は…負けないぞ」

「はぁ?」

「僕は決して…あんなテカテカくろすけに…負けたりなどしないのだよ生王くん」


それだけ言うと、癸生川は幸せそうな笑みを浮かべて、ぱたりと倒れた。


「ちょっとおおお!!」


いくら揺さぶっても彼は起きなかった。どうやら眠ってしまったらしい。


その間にももくもくと煙は渦を巻き、流石に生王も気分が悪くなってきた。


「うー…気持ち悪い。もうだめ…」











―――――バタン!





「ええええ!?何ですかこれっ!!」


恐らく買ってきた紅茶の箱を落とした音と同時に、伊綱の悲鳴が辺りに響いた。


「あー…伊綱くん」

「あーじゃないです!何ですかこの煙!」

「天国だよ伊綱くん…」

「はぁ!?」


伊綱は手早く部屋の全ての窓を開け、換気扇を回し、季節先取りの扇風機を最強にした。


ごごご、と古い扇風機の轟音が煙を巻き上げ、どんどん外へと濁った白を吐き出していく。



「おおお…!」

生王が驚いている間に、煙は一切部屋から消えた。






「…はぁ、」

「助かった…」

「…んー…なんだ」


扇風機を切ると、室内が一気に静かになった。



「…げ、」


煙が無くなってから気付いた。

事務所は、凄まじいことになっていた。


「何やってるんですか2人共!こんなに散らかして!」

「えっ!?僕は違う!!癸生川だよ!!」

「………」


癸生川はダルそうに頭を掻くと、

「奴との死闘の結果だよ、」

忌々しそうに言った。


「奴って、また出たんですか」

「何?」

「あれです。ゴ…」

「うわあああああ!!名前を言うな!!呪われるぞ!!」


よく見ると、彼の足元にはこれでもかと言う程の殺虫剤が転がっていた。

成る程、あれを撒いた結果が…あの煙なのか。


「…で、そのテカテカくろすけは退治出来たんですか?」

「それなんだが…」

「………あ」


目の端に、黒い物体が映った。素早く移動したそれに、生王は叫ぶ。


「いた!癸生川!そこ!」

「ぬわあああ!やはり生きていたか!」


「先生!そっちです!」


ぶしゅー!


「そっちだそっち!」


ぶしゅー!ぶしゅー!


「逃げるなああ!生王くん!そっちに行ったぞ!」

「ど、どこ!?どこ!?」











ぐしゃ、














「………」

「……あ」

「…………………………………ああああああ!!!」





「来るな生王くん!あっちいけ!しっ!」

「踏んじゃった踏んじゃった踏んじゃったあああ!!!」

「嫌だ嫌だ生王さん近寄らないで!」


「ええー――――!?」











その後、生王は暫く事務所への出入りを禁止された。






END.





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