女ってやつは… 後編
ったく…やりづらいぜ…
薬草を小さく千切って乳鉢に放り込み、擂り粉木でゴリゴリと擂り潰す俺の眉間には、立派な溝が刻まれていた。
自分が放つ妙な空気がうざった過ぎて、こ難しい顔になっちまうのは仕方ねぇって話だろ。
だけどまぁ、あんまり黙り続けて菜摘が変に気を回してもアレだな…
「捻った所、痛むか?」
菜摘の様子を伺いつつ、擂り潰した薬草を二つ折りにしたサラシの片方に塗りつけて、もう片方で挟み込む。
「あ、はい…少し痛みますけど大丈夫です…」
「結構腫れてるな。」
こりゃ少しどころかかなり痛むだろうが…
痩せ我慢しているのが明らかな菜摘の腫れてる足首に、そっと湿布を当ててやる。
「…っ…いたっ…」
「おっと…悪りぃ…」
ほらな。ちょっと触っただけでこんなに痛がるじゃねぇか。
痩せ我慢にも程があるぜ。
て言っても…俺が引っ張ったせいで怪我さしちまった訳なんだが…
だけどよ、死ぬってのはこんなもんじゃ済まないぐらい、苦しくて痛いんじゃねぇのかよ。
解ってんのか?菜摘。
あんな所で首吊って一人で死ぬって事がどう言うことなのか良く考えてみろ。
湿布を当てた足首に包帯を巻いてやりながら、俺は口を開きかけた。
が…
「…もう…嫌だったんです…」
ポツリと呟く菜摘の声が、俺の口をつぐませた。
「私、住むところも職も……何もかも失ってしまったんです…」
俯いて話す声は良く耳を傾けないと聞こえないほど小さく、膝の上で握りしめられた華奢な手が小刻みに震えていた。
「何もかもって……ついさっきまで仕事してたじゃねぇか。何でまた…」
「シカマルさんが帰ったあと、オーナーに呼ばれて…それで…」
は?…おいおい、いきなり解雇かよ、あり得ねぇ。
「お前何かやらかしたのか?」
疑問に思って聞いてみると、のろのろと顔を上げた菜摘は、一瞬戸惑って目を泳がせた。
やっぱそうなのか?
即日解雇されるほどの事をやらかしたって事か…
「まぁ…無理に話せとは言わねぇけどよ。」
包帯の端を医療用テープで留め、使い終わった道具を脇に追いやり改めて菜摘に目をやると、潤んだ目を何回も瞬きし、涙が零れないようにと必死になっていた。
うっ…やべぇ…
女の涙は苦手中の苦手だ…
しかしそんな俺の心配を他所に、菜摘はゴシゴシと手の甲で目を擦り、はぁ…と溜め息をついた後、泣き出すこと無く観念したようにぽつりぽつりと話し始めた。
だがその内容が余りに腹立たしくて、話が終わる頃には憤った俺の眉間に、またもや深い溝ができちまっていた。
「なんだよそいつら」
ムカついた俺は、物騒な程に押し殺した声で吐き捨てていた。
菜摘の話はこうだった。
母一人子一人で暮らしていた菜摘は、2年前唯一の肉親である母親を急病で亡くした。
その頃はまだジュエリーデザイナーを目指して勉強中だった菜摘は、母親が遺してくれた僅かな財産だけで暮らしていくわけにも行かず、勉強を諦めて職探しを始めた。
すると母親の昔からの知り合いで、その息子とは菜摘も幼い頃良く遊んだことのあるあの宝石店のオーナーが、うちで働けば良いといってくれた。
なかなか職もなく困っていた菜摘は、その申し出を有り難く受け、ついでに店からは遠く不便な場所にあった当時のアパートを引き払い、オーナーと息子の住む豪邸の一室に引っ越せば良いと勧められ、家賃を必ず取って貰うと言う条件を付けてそれに従った。
店で働き始めるとそこには、昔良く遊んだオーナーの息子も働いており、昔馴染みと言うこともあり二人はすぐに打ち解け、程無く付き合うようになった。
数ヶ月の後、二人は婚約。
将来は二人でこの店を継いで行こう、また近々ジュエリーデザイナーになるべく勉強も再開すれば良い、そんな風に話しながら仕事もプライベートも充実していた。
しかしそんな幸せな日々に突如暗雲が立ち込めた。
つい一月前、実は店の経営が思わしくなく、このままでは閉店しなければならないだろうと言うことが判明。
それでも構わない、また一から出直そう、今度は自分達の力で店を再建させれば良いと二人は誓い合い、落胆するオーナーを慰め励ましたのが10日程前。
しかしその後、目まぐるしく状況がかわった。
1週間前の事。
渡来品の壺や絵画の特注などで、かねてからの太客だったとある富豪が娘を連れて来店。
店への援助を申し出た。
あれよあれよと言う間に店の借金は完済。
閉店、倒産の危機は劇的に回避された。
本当に良かったと、菜摘は心から喜んだ。
と同時に、店が立ち直った途端、自分に対するオーナーと息子の態度が急によそよそしくなったと感じ始めた。
そして今日。
閉店作業を始めていた菜摘をオーナーが手招いた。
胸騒ぎを感じつつ事務室へ足を運ぶと、そこでは裏口から入ってきていたのか、美しく着飾ったあの富豪の娘が、オーナーと一緒に菜摘を待っていた。
『単刀直入に言わせて貰うよ。じつは息子はこのお嬢さんと結婚する事になってね。君には本当に済まないが、今日限り店を辞めて欲しいんだ。それと、君に貸している部屋もなるべく早く出て欲しい。わかるだろ?赤の他人の女性をいつまでも一緒に住まわせておくわけには行かないからねぇ』
唖然としている菜摘の目を見ようともせず、そうやって余りにも一方的な話を淡々と告げるオーナーの横から、勝ち誇った笑みを湛えた富豪の娘が、一枚の紙切れを差し出した。
『これ、ほんの気持ちですわ。どうぞ受け取って』
余りにもの仕打ちに固まる菜摘の手に捩じ込まれたその紙切れは、菜摘自身が今まで店で扱ってきた、どんな高価な宝石よりも高い金額が書き込まれた小切手だった。
菜摘はショックと屈辱で震えだした指で、その小切手をビリビリと破り捨て、顔色を変えて狼狽えるオーナーと、意地悪く唇を吊り上げて笑んでいる富豪の娘に背を向け、事務室を飛び出した。
途端、盗み聞きでもしていたのか、つい今しがたまで恋人だと思っていた男とぶつかった。
しかし菜摘は構いもせず、ビルの内階段を一気に駆け上がった。
激しく乱れる息のまま、屋上に巡らされた柵の前までフラフラと歩いていき、気がつけばよじ登ってその向こう側に降り立っていた。
時折吹く冷たい風が、どん底に突き落とされうちひしがれる菜摘の体から、体温を奪っていった。
もう自分には何もない。
肉親も、仕事も、住むところも、恋人も…
絶望し、生きる希望を見失った菜摘は、冷えた自分の身体を抱きしめ、眼下の街並みを見下ろした。
ビルは四階建て。
ここから飛び降りれば死ねるだろうか。
真下の道を行き交う人々に迷惑がかかるだろうなという思いが、一瞬だけ頭の片隅に浮かんだが、正気を失っていたその時の菜摘には、そんなことはどうでも良かった。
もういい…
心の中で呟いた時、一陣の風が吹き抜けよろめいた菜摘は、目を閉じてそのままビルの谷間に身を投じた…はずだった。
だが、直ぐ様訪れる筈の強い衝撃も、絶望から解放してくれる筈の死も、訪れることは無かった。
全身を打つ激しい衝撃の変わりに、ボスっと言う奇妙な感触が背中に伝わり、それと共に、聞き慣れない男の声が耳に響いた。
『君、何してるの。こんな所で飛び降りたら下の人達に迷惑だろ。死ぬなら一人で死になよ』
感情のこもらない声で辛辣に言われ、状況の飲み込めない菜摘は、唖然として目の前の背中を見つめた…
と、その直ぐ横を鳥が優雅に羽を広げて飛んで行く。
はっとして周りを見れば、そこは街並みを遥か下に見る空中。
咄嗟に沸き上がる恐怖心のまま、気が付くと菜摘は、腰の辺りの肌を露にした背中にぎゅっと抱きついていた…
とまぁ、後はそのまま森の中に置き去りにされ、俺に拾われたって事なんだが…
しっかし…ひでぇな。
婚約者って言う男もどうなんだ。
どうせ交換条件みたいなもんで、無理やりその富豪の娘を押し付けられたんだろうが、いとも簡単に二年近く付き合ってた女を捨てちまうってのは、女音痴の俺でさえ、この先もぜってぇしねぇって自信がある。
1つはっきり言えることは、とにかく菜摘が死なずに済んで良かったって事だろう。
衝動的に自殺行為に及んだんだろうが、そこにサイが居合わせて助かった。
偶然の上にやり方がアレだとは言え、感謝だ。
「とにかく…死ななくて良かったじゃねぇか。そんな奴等の為に死ぬなんて馬鹿げてるぜ?」
俺は菜摘の横にドサッと腰を下ろし、横顔をじっと見つめた。
うわ…やべぇ…
俯く菜摘の目に、今にも決壊寸前に膨れ上がった涙の粒を見てしまった俺は、どうにも落ち着かない気分になり、思わず漏れそうになった溜め息を慌てて飲み込んだ。
俺があの森の中で拾ってから此処に連れてくるまで、そんな素振りも見せていなかった菜摘だったが、ずっと泣きたい気分だったに違いない。
まぁ、無理もないぜ。
行く末誓った男にアッサリ捨てられ、温かな手を差し伸べてくれた筈の恩人に見捨てられ、仕事も住む所も失っちまったんだからな。
きっとあの街の中にはもう、菜摘が身を寄せ頼ることの出来る奴は居ないんだろう…
そう考えると俺はこの目の前にいる、今日会ったばかりの菜摘って女をどうにかして守ってやりたいなんて、柄にもなく思っちまって…
「元気出せ…つっても中々そうも行かないだろうけどよ…」
呟き、気が付くと無意識の内に伸ばした腕で、項垂れる菜摘の肩を抱き寄せていた。
「う…っ…うぅ…」
途端、涙の滴が菜摘の膝の上にポタリと落ち、震える唇から悲しげな嗚咽が漏れ出した。
こんな時はどうすりゃいいんだ?めんどくせぇ…なんて、何時もの俺なら思う筈なんだが、この時は何故か自然と身体が動き、俺は泣きじゃくる菜摘を胸に抱き直し、あやすように揺らしていた。
まぁ…後になって思い出せば赤面物ってやつだ…
だが、そうやって慰めてやってるつもりが何故だか菜摘の嗚咽はますます酷くなって行った。
「う…えっ…く…ひっ…く…」
「おい……」
焦った俺は、何か気の利いた言葉の1つも言ってやらねぇと…って頭の中をフル回転させたんだが……
如何せん女音痴な訳で、悲しみに暮れる乙女ってやつを上手く慰める言葉なんてのは、なかなか見つかる訳もなかった。
はぁ…仕方ねぇな…
散々考えあぐねた挙げ句大した言葉も思いつかず、とりあえずとばかりに口を開きかけたその時だった。
「あ〜〜っ!ホントだ!シカマルが女の子連れ込んでる!しかも抱きついてるし!」
脳天に突き抜ける程のデカイ声が家中に響き渡った。
なっ…この声はっ…
突然の大声にビクッと肩を震わせて身を固くした菜摘を抱いたまま、俺は恐る恐る声の方を見た。
「いっ…いのっ」
案の定そこには、楽しくてたまらないと言う顔をしたいのが立っていた。
「まっ!?やだ!泣かしちゃってる!ちょっとシカマル、あんた強引に迫ったんじゃないでしょうね!?」
「ばっ…おまっ!…何いってんだよ!」
いのの吐き出すとんでもねぇ言葉に吃驚した俺は、慌てて菜摘の肩を掴んで引き剥がした。
おわっ…
その途端、見上げる菜摘の涙で潤む目と目がバッチリとあっちまって、その余りに弱々しく儚げな様子にドキリとした俺は、か〜っと一気に血液が体中を駆け巡り始めるのを感じた。
あぁ…ったく…顔赤くなっちまってんだろうな俺。
みっともねぇ…
これじゃいのに格好の餌を与えてるようなもんだ。
はぁ…めんどくせぇけど、これ以上好き勝手言われたんじゃたまんねぇし…
「おい勘違いすんなよ。こいつが落ち込んでるから慰めてただけだって。」
赤くなった顔を誤魔化すために顔を背けた俺は、わざと素っ気ない口振りを装い、ニヤニヤ顔で何か言いたげないのに言い放った。
まぁ、何を言った所で嬉々として俺をからかうんだろうが。
…てかよ、いの、なんでお前がここにいんだよ?
「あ、おば様!本当にシカマルが女の子連れてきてますよ!」
あぁ…そう言う事か。
オフクロと一緒に来たってわけだ。
で、オヤジがいのん家で余計なこと言いやがったんだな。
ちっ....
苦々しい思いで舌打ちしていると、嬉しそうな顔をしていのが手招いた先から、小さな足音と共にうちのオフクロが姿を現した。
「まぁ…ホホホ…」
上品な微笑みを湛えて部屋の中を覗いた途端、オフクロの眉間の辺りにちょっとばかり力が入ったのを見逃さなかった俺は、その視線の先が傍らの菜摘の泣き顔に注がれていることに気付いた。
やべぇ…
またいのみたいに勘違いしてんだろ、この顔は。
俺は慌ててこの状況について説明した。
「いやオフクロ、勘違いすんなよ、こいつが泣いてんのには色々訳が…」
デリケート過ぎる部分には触れず、訳あって今は家も職も失っちまったことと、足の怪我の事等についてサラッと説明する内に、オフクロの顔がみるみる気の毒そうな表情になっていった。
「........て、わけだ。」
「そうだったの…何か色々と有るようね。」
オフクロは、今は幾らか落ち着いたようで俯いて鼻を啜っている菜摘の前に進み出ると、そのまま床に膝をついて顔を覗き込んだ。
「すみません…ご迷惑をお掛けして……」
「いいのよ。困ったときはお互い様よ。良かったら詳
しく話してみない?何か力になれるかもしれないし。ね?」
オフクロの、俺や親父には見せた事も無い様な柔らか
な表情を見て、菜摘は堰を切ったように自ら何もかもを打ち明け始めた。
「…酷い人達ね。許せないわ」
「ほんっと!最低な男!そんな奴こっちから願い下げよ!て言うか、その女も腹立つわ!」
一通りの話を聞き終え、オフクロも、いつの間にか菜摘の側まで寄っていたいのまでもが怒りの声をあげた。
特にいのは、腹の虫が治まらないとばかりに「女の敵だ」「泥棒猫だ」って、ギャ〜ギャ〜がなりたてた。
それが余りにも凄まじいので、話の真ん中にいる菜摘が恐縮しちまったみたいで、小さな体を更に小さく丸めて縮こまっている。
「すみません…なんだか皆さんまで嫌な気分にさせてしまって…」
「そんなこと無いわよ。本当に辛かったわね。」
「もう、何もかも信じられなくて…」
「わかるわ。でもね、命を絶とうなんて二度としちゃいけないのよ?」
「はい……」
やっぱ母親だ、俺なんかが慰めるよりもずっとうまいこと宥めてやがる。
菜摘の背を優しく摩り慰める母性本能丸出しなオフクロの姿を見、俺は安堵の息をついた。
やれやれ....
目の前のやり取りを見ていると、肩の荷が軽くなった気がして、そのうちすっかり周りの会話も気にならなった俺は、いつの間にか自分の思考の中に籠り始めていた。
そうだ明日はイズモさんとこ行ってこなきゃな、
菜摘はやっぱ落ち着くまで目の届くところに置いとくべきだろ、
とにかく今日はオフクロに頼んで家に泊めてやって…
あぁ、そしたらまたいのが有ること無いこと言い出すか?
いや…1日ぐらいいいだろ…
何て事をツラツラと考え、おっ、ようやく自分のペースが戻ってきたなと、気持ちに余裕ができ始めたその時、だが突如オフクロの口から飛び出した言葉が、一気に俺の落ち着きを無くさせた。
「そうだわ菜摘ちゃん、ここに住めば良いのよ。好きなだけいていいのよ?」
え?…なんだって?
「遠慮はいらないのよ?部屋なら沢山有ることだし、主人も娘が出来たみたいに喜ぶと思うわ。それに、シカマルがきっとあなたの役に立つと思うから。」
はっ?……
俺は吃驚してオフクロの顔をまじまじと見ていた。
いやまぁ、そりゃ今夜は家に泊めてやってくれって言うつもりだったけどよ…
一緒にって…
「本当に好きなだけ居ていいのよ」
「ちょっ…オフクロ....」
何勝手言ってんだよ、親父にだって聞いてねぇし、第一菜摘の都合だって....
「なんなのシカマル、何か問題でもあるの?
大体、この怪我はあなたがやったんでしょ。まったく、こんな可愛らしい女の子に怪我させるなんて。」
「あ…いや…まぁ…そうだけどよ…」
それを言われちゃ何も言い返せねぇじゃねぇか。
「こんな腫れた足でしかも夜だって言うのに、どうやって今夜の宿を探すって言うの?第一、事情が事情でしょう、せめて気持ちが落ち着くまででも里に居た方がいいに決まっているわよ。」
「そっ…そうかもしれないけどよ…」
「放っておけないわ。困った人を見捨てるなんて奈良家の名が廃ります。」
「いや、ほっとけなんて言ってねぇけど...」
くっ……
チラリと見上げるオフクロの目が、一瞬ギラリと鋭く光ったのを見た俺は、蛇に睨まれた蛙よろしく、身動きも反論も出来なくなっちまって……
「そうよシカマル!仕返しとかもしてやんなくちゃ腹の虫も収まらないし!」
「ホホ…いのちゃんったら過激ね。さぁ、そうと決まればお部屋の準備しなくちゃ。」
いののそのハリキリが明日からの俺の運命を左右するってことも、オフクロに逆らう事も出来ねぇ現実も、どうにもこうにもめんどくさい展開にどっと疲れを感じ、でっかい溜め息をつくしかない俺を他所に、オフクロといのは本人の返事も確認しないまま、菜摘の部屋の準備のために、さっさと出ていっちまった。
++++
「はぁ……」
シンと静まり返った室内に、俺の溜め息だけが響き渡る。
同じ屋根の下に菜摘が一緒に暮らすってか…
あぁ…きっと明日には有ること無いこと噂になってんだろうな…
アンコさんにしろ、いのにしろ…女ってやつは噂好きだからよ…
「あの……」
自分の思考にしみじみ浸っていると不意に声をかけられ、ふと見ると隣にいる菜摘が困惑顔で俺の方を見ていた。
「あの……いいんでしょうか…私…」
オフクロの提案を素直に受けて良いのかってことか?
「あ?良いんじゃねぇの?お前さえよければ」
今更ごちゃごちゃ俺が何か言った所で、何がどう変わるわけでも無し、いのの口に戸を立てられる訳でもなし…
言ったきり漏れ出す溜め息を隠すこともせず、俺はむっつりと黙り込んでいた。
まぁ...それが間違いだったんだろう。
「……ごめんなさい…シカマルさん、迷惑ですよね…本当にごめんなさい…」
「ん?あ、いや別に…っておい…」
泣いてんのか!?
「ぐすっ.....」
いや、ちょっとばかり素っ気なかったかも知れないぜ?
明日のめんどい展開を脳内シュミレーションしてたせいで、ダルい空気漂わしてたかもしんねぇよ?
だからって泣かなくても…
ここはひとまず謝って......
「わりぃ、俺の言い方が悪かった。」
「…うぅ…シカマルさんは悪くないです。本当にごめんなさい…会ったばかりなのに図々しくて迷惑ばっかりで……」
あぁ……
そんな目するんじゃねぇよ…
「いや…大丈夫だって。俺が勝手にここに連れてきたんだし…」
「でも……」
「それにあれだ。あのぉ…うちはデカいからよ…」
涙で潤む目が俺の目をまっすぐに見詰めてくるもんだから、益々上手く言葉が出てこなくなる。
くそっ…どうなっちまったんだ俺の心臓。
乱れ打ち過ぎて口から飛び出てきそうだぜ。
自分で自分の反応を制御できない事態に陥る俺の苦悩を知ってか知らずか、菜摘は更に追い討ちをかけるような行動に出た。
「私…シカマルさんにまで嫌われたら…もう本当に生きていけない…」
「おわっ……」
上手く言葉も出ず、心臓乱れ打ちな俺の腕にすがるようにして、上目遣いに見上げる菜摘は、もう目の毒以外の何物でもない。
落ち着け俺、みっともねぇ。
「きっ…嫌ってなんかいねぇって。だから…」
「....嘘...っ」
「嘘じゃねぇって」
「....ホンと?...ぐすっ...」
「あ…あぁ。嫌ってねぇよ。」
「良かった…」
途端、パアッと明るい表情を見せた菜摘は、
「シカマルさん、有難う。」
そう言って、すがっていた俺の腕を更にギュ〜ッと抱き抱えた。
これは絶対やべぇって!
滅茶苦茶顔近いし!
腕、胸に当たってるし!!
「わ、わかった!わかったから!てかお前、足病むんじゃねぇの?!」
慌てて腕を引っこ抜き菜摘の横から飛び退いた。
「シカマルさん?...」
余りに急な俺の飛び退き様に、吃驚して目を丸くしている菜摘から目を反らし、わざとらしい位に真面目な表情を作って取り繕う。
「じゃっ、じゃあよ!取りあえず此方に足乗っけてだな」
「あ…はい…っ…イタタ…」
「わりぃ…で、ちょっと足の位置を高くして…」
菜摘の足をなるべくそっと持ち上げてクッションを真下に据え、そのままソファに横向きに座らせた。
「あ…少しズキズキがマシになった…」
「だろ?足を高くすると痛みが楽になんだよ。」
「凄い、物知りね。ありがとうシカマルさん。」
ニッコリ微笑む菜摘のその顔は、涙で頬と鼻が赤くなって化粧も剥げちまっていたが、何とも言えず見ていて胸が熱くなった。
で、気付いたら菜摘が居るソファのすぐ側に膝を着き、力一杯胸に抱き込んでいた…
本当に無意識だったもんだからどのくらいそうしていたのか、
「あの……シカマルさん…」
暫くして苦し気に名を呼ばれ、やっと自分が仕出かした赤面ものの事態に気付いた。
「わっ!?わりぃっ!!」
俺は滅茶苦茶焦ってアタフタと身を離そうとした。が、
「お願いです…暫くこのままで居てください…」
意外にも菜摘が離れまいとしがみついてきて、くぐもる声で哀願されちまって……
「おっ…おい…」
「お願いです…シカマルさん……」
「………………」
それはまるで、今日胸に出来ちまったデッカイ穴を埋めるかのように、冷えた心に温もりを求めるかのように。
早鐘を打つ俺の胸にぴったりとくっつき、微かに震える菜摘の身体が、切ない胸の内を伝えていた。
だから、いつもなら一目散に逃げ出してる筈の顔真っ赤な俺が、柄にもなく、菜摘の気が済むまでじっとそうしていた。
ったく……女ってやつは……
って、苦手意識丸出しの言葉も、この時ばかりは頭に浮かんでも来なくて、後になって俺は、自分がとった行動の全てに悶々とする日々を送ることになった。
おわり
++++
お読みくださった皆様、有り難うございました。
時間かけまくりな癖に駄文過ぎてごめんなさい…
シカマルって女音痴な少年のイメージが強くて、不器用だけどでも一度誰かを好きになったら一途で超優しいと言う勝手な妄想をしている私です。
これからまたこのヒロインでお話し書いていけたらと思っています。
次回作でまた、悶々とするシカマルさんに会ってやってください(笑)
有り難うございました!
++++オマケ++++
「おい」
任務帰り、「あ・うん」の門を潜った所で、俺は前方を歩く上忍ベストの男に声をかけた。
何時もとは違い、きっちりと上忍らしい格好をしたそいつの姿は、菜摘の一件以来はじめて目にする。
「おい、サイ。」
気付いていないのか、中々振り向かない背中に足早に近づき、もう一度声を掛けると、サイは小首を傾げて俺の方を見た。
「あぁ。シカマル君。」
「よぉ、これから報告書か?」
横に並んで歩きながら軽い調子で話し掛けると、
「はぁ…」
と、サイにしては珍しく深い溜め息が返ってきた。
「何だよ。溜め息なんかついて」
俺の方があれ以来溜め息つきたい状況に陥ってるっつぅの。
菜摘を助けた翌日から、予想通りに色々噂されちまってる俺の方が、思わず愚痴りたくなるだろうが。
「久々に里に帰ってきたら、今日は下忍の引率でさ。ガイさんの代わりに下忍のDランク任務に付いたんだけど、あの子達猫一匹自力で捕まえられなくてさ。」
「は?…あぁ、マダムしじみの飼い猫か?」
猫と聞いて思い付くのは、毎度毎度逃げ出すペットの捜索依頼をしてくるあの金持ちマダムだろう。
俺の問いに、サイは大きく頷いた。
「かなりすばしっこい猫だったけど、仮にも忍者なんだからさ。」
いやまぁ…俺も下忍の頃経験済みだが、どんだけ家に帰りたくないんだか、あの猫の必死さはかなりなもんだぜ?
「結局下忍達じゃ埒があかないんで、最後は僕の鳥獣戯画「鼠」で誘き出して捕獲したんだけど…。あれじゃ先が思いやられるよ。猫一匹に手こずりすぎだし。」
こんな風にブチブチと愚痴を漏らすサイを、俺は初めて見たきがする。
ヤッパ、エリートにはエリートの指導させた方が良いんじゃねぇのか?
特にサイは凡人の苦労を解ってやれないタイプっぽいし。
そう思った俺は、
「ん…まぁ、エリートのお前とは違うんだし、今日の所は多目に見てやれよ」
そう言って背中を軽く叩いてやった。
すると、
「………………それもそうかな。」
暫くの沈黙の後、意外にもあっさりと俺の言葉を受け入れたコイツは、単純なのか複雑なのか良く解らない。
んまぁ、いいか。
そんな事よりも、俺は今もっと違うことが聞きたいんだよな。
「なぁ、ちょっと聞きたいことがあんだけどよ」
「なに?」
アカデミーの敷地内に差し掛かり、開け放たれた窓から漏れ聞こえるイルカ先生の懐かしい声を耳にしながら、俺はずっとサイに訪ねたかった事を口にした。
「オマエさ、何で菜摘を夜の森ん中に置き去りにしたんだ?」
その問いに一瞬ポカンとしていたサイは、暫し考え込んだ後、あぁ…と言って肩を竦めて見せた。
「…菜摘って、あのビルから飛び降りた娘の事。」
「あぁ、そうだ」
「いきなり僕の鳥獣戯画で出した「鳥」の上に落ちてきたんだよね」
うん、それは本当に良い仕事だったぜ。
だがそのあとだ。
「だから取りあえず里の近くまで連れてきたんだけどさ。」
里の近くまでって言ったって、森んなかだぞ?
「何があったか知らないけど、簡単に命投げ出そうなんて愚かな事するから、少しの間あそこで心細い思いでもして反省すればいいと思ったんだよね。」
「反省すればって、随分荒療治だな。」
まぁサイの気持ちも解る。
解るがそこはほら菜摘は一般人の女な訳だし。
俺は半ば呆れて、足元に転がる小石を蹴り上げた。
「せっかく助けたのに、森で賊やなんかに殺られちまったらどうすんだよ。」
ブツブツ言いながら、その小石が思いの外高い放物線を描いて跳んでいくのを目で追っていると、隣でサイがいきなりクスッと小さな笑い声をたてた。
「あ?何だよ。」
感じ悪りぃな。
「いや…、でも僕があの娘を森に置き去りにしたおかげで、シカマル君は良い思いしたんじゃないの?」
「はっ?…」
「だって皆が言ってたよ、シカマル君が命を救ったあの娘と電撃婚約して同棲してるって。」
またその噂かよ!
「バカヤロっ、あれはだな…」
「僕実はあの後少ししてあの娘の事迎えに行ったんだよね。そしたら君があの娘を肩に担いで里に向かってるのを見つけて、あぁ…って思ったんだ。」
ニコニコしながら話すサイは、開いた口が塞がらない俺に向かって、悪びれもせず更に話し続けた。
「この前サクラから借りた小説に書いてあったんだよね。一目惚れって言うのが。運命の出会いって本当に有るんだね。」
おい、どんな本読んでんだよ!
つぅか、担いでたってだけで一目惚れとか運命とかって……
「あのなぁ、そんなんじゃねぇよ、違うって。」
は〜〜〜っと特大の溜め息をついた俺は、何度言ったか解らない否定の言葉を口にしようとした。
が、
「あれっ?…何でこんな所に…」
サイがいきなり足を止めて呟き一点を見つめている事に気付き、俺は口に登りかけた言葉を飲み込んで、その視線を辿った。するとそこには、
「あ!シカマルさん!」
「…えっ…菜摘!?」
白いエプロン姿の菜摘が立っていた。
菜摘は俺の真ん前まで駆けてくると、「お帰りなさい」と微笑んだ。
それに「あぁ。」と応えた俺は、珍しいもんでも見るみたいな気分で菜摘の笑顔をまじまじ見ていた
「お前…ここで何してんだよ?」
ここアカデミーだぜ?
一般人で街の人間の菜摘が何の用事だ?
「あ、はい。今日からアカデミーでお掃除や雑用をさせていただいているんです。」
働いてるって?
つい4日前はまだウチんなかで浮かない顔してたお前がか?
「もうすぐ一月たつし、ただ居候させていただいているのも心苦しくて…そしたら、居候だなんて気にする必要はないけど、まぁ少しずつ外に出たらどうかって、シカマルさんが任務でお留守の間にお父様が火影様にお願いしてくださって。」
「ふ〜ん…そっか」
オヤジか。
まぁ、無理にならない程度に外の世界で心のリハビリってのも必要なんだろうが…
「あの……ご迷惑になりますか?シカマルさんにとって私がここでお仕事するのは…」
オヤジが口利きしたってのが何となく不満で、黙り込んだ俺の様子をおかしな意味に取り違えたらしい菜摘は、不安そうな顔でそう聞いてきた。
いやいや、違うって。
誤解すんな。
「あ…いや…そんな事ねぇよ。良かったな、無理しない程度に頑張れよ。」
「はい!」
安堵した菜摘は拳を握り締め、大袈裟なほど力強く返事をした。
それからふと視線をずらして俺の隣にいるサイに目を止め、始めは微笑むその秀才顔を不思議そうにじっと見ていたが、やがてハッと息を飲んだ。
「あなたは…」
口に手を当てて呟いたきり、言葉が出てこないようだった。
そうか。
俺があの日の後今日までサイに会うこと無かったんだから、ましてや菜摘が会っている筈もない。
「そうだ、この男がお前の命を救った奴だぜ?暫く里をあけることが多かったみたいでよ、俺も会うのは久々だ。」
「サイと言います。よろしく、菜摘さん」
俺の言葉を受けて自己紹介したサイは、最後に乙女心擽る様な華やかな笑みを浮かべた。
「そっ、その節は本当にありがとうございましたっ…このご恩はっ、一生忘れませんっ…」
心無し上ずっている声が気になり、菜摘の顔をチラリと見ると、案の定うっすら頬を赤くしてモジモジしてやがる。
チッ…サイの奴、いつの間にこんな優男みたいな笑顔身に付けたんだ。
なんだかすっげぇ苛々して、眉間に皺が寄んないように気を張っていると、そんな俺の内心を知ってか知らずか、サイはさっきみたいにまたクスッと小さな笑い声をたてやがった。
「何だよ。いちいちクスッてやるな、めんどくせぇ。」
益々イラッとしてブー垂れてやったが、サイはまったく意にかえしてないらしく、あろうことかクスクス…と本当に可笑しそうに笑い出した。
「おい、なんだよ。」
「クスクス…っ。いや、ごめん…」
「ったく!感じ悪りぃ奴だな!」
「ごめんごめん…」
そしてついに奴は、憮然としている俺に向かってとんでもない爆弾を投下するのだった。
「だって、シカマル君一瞬でヤキモチ妬いてるから可笑しくてさ」
「はぁっ!?」
「僕を見て菜摘さんが頬を染めたからって、あからさまに不機嫌になるからさ…」
「ばっ…バカヤ…」
「クスッ…恋って人を変えるんだね。とにかくお幸せに。式には呼んでよね?僕は君達の縁結びしたようなもんなんだからさ。」
こっちの言い分も聞かず、言うだけ言って「じゃあね…」と爽やかに受け付けへと姿を消したサイを、俺は呆気に取られて見送った。
取り残された俺の周りに漂う何とも言えない空気。
ハッとして振り返ると、湯気が出そうなほど顔を赤くした菜摘とバッチリ目があった。
「あ、いや…ハハ…何言ってんだろうなアイツ……」
「あ…ほっ…ホントですね……」
その後、更に俺を悩ませる壮大なラブストーリーが捏造され、どこまでも広まって行ったのは言うまでもない……
おしまい
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