君がかおる 彼はいつも甘いにおいを身にまとっている。香水と彼自身のかおりが交ざったにおいだ。 長い時間、一緒に居るとはなが慣れて感じなくなるけれど、待ち合わせて隣を歩きはじめるときだとか、意味もなく近寄ってくるときだとか、おれを、抱きしめるときだとか。いつも優しくふわりと包まれる。 (忘れられない、彼のにおい。) 彼がおれの部屋のクッションを抱いてから帰ったりした日は、夜中までおれもそれを抱いている。わずかしかない残り香がひどく安心させるから。 恥ずかしいから、ひみつ。 政宗は意味もなくおれに近寄ってきて、なんで近寄ってきたんだろう?とおれは首をひねって考えるけれど、いつも予想外のことをされる。 でも最近は彼のパターンを読めてきた。 何となくだけど。ぱたーんっていうほど読めてないけど。 「…ん」 おれに気付かれないようにできるだけ足音を立てないよう、背後から側にくるときは政宗は、少しだけ悲しいオーラを放ってる。 それはおそらくおれに顔や表情を見られたくないのだろうとおもう。 それか怪しげなことを考えてるとき。 でもどんなに気付かれないように静かに歩いてきても、おれが政宗のいつものにおいに気付かないはずはないから、いつも何かしてくるまで知らんぷり。 ちょっと期待してるなんて、言わないけど。 後ろから長い腕が伸びてくると、おれを強い力が包みこんだ。 蛇口の水をやかんの中に流し込んだまま、おれは動きをとめた。 「なぁに」 「なんも」 肩口に顔をうめてきた政宗の髪が首筋にあたってくすぐったい。Tシャツから露出した部分にやわらかく唇が押し付けられていて、あつい熱を感じた。 今日ははれんちのほう? そうひそやかに身をかたくすると、政宗がくすりと笑った。 「何もしねえよ」 期待した?なんて低い声が耳をねっとりと舐める。してない!少し大きめに口をあけて、濡れた手で政宗の腕をつねる。 すると今度は頬っぺたに唇を感じて、思わず赤面して咄嗟に鉄拳を食らわすところだった。 うまくひらりと避けてみせる。 少々腹が立って肩ごしに後ろを振り返れば、にこにこといつもの調子で笑う政宗がいた。 「真っ赤だねェ」 「うるさい…」 頭ぽんぽんされて子供扱いされたみたいで恥ずかしくなり、おれは俯いた。 「また明日な」 夏のこの時期だというのに、空は真っ暗に紺色をしていて。おれは政宗のこのことばに、ようやく長い時間がたったことを知った。 「そんな顔すんなよなHoney、帰れなくなるぜ」 帰らなくていい。 そう言えたらどんなに良いだろう。 肩を竦めて見せる政宗がまた俺を抱きしめる。甘い香水で肺がいっぱいになった。 「じゃ、」 がちゃん。金属が重くとじた音だ。いつもおれは政宗を玄関まで送れない。部屋や今日みたいに台所なんかで背後から抱きしめられて顔がとまとになるからだ。 そうやって彼はおれにかおりを残していく。 ひとりになった部屋で静かに自分のからだを抱きしめた。 080809. |