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送り込まれた密偵



 午後の暖かい日差しが障子越しに保健室内に注がれる。
 蝉が鳴くには少し早いこの時期。こんな日は陽だまりの中、昼寝でもしたら最高だろうにと思いながら、伊作は保健当番の伏木蔵から救急箱を受け取った。
 患者は入門表にばっちりサインさせられた侵入者である。
「尊奈門さん、最近よくいらっしゃいますねぇ」
 手当ては委員長に任せた伏木蔵が敗者への情けか、茶を差し出す。
 出された茶が苦かったのか当て擦られたと感じたのか、尊奈門の顔は渋い。
 伏木蔵の言う通り、このところの諸泉尊奈門の出現率は高い。十日に一度、ある時は二日連続で来たこともあった。
 その度「おのれ土井!」と宿敵に勝負を挑んでは乱定剣の前に敗れ去っているのだ。土井先生の腕なのか、いつも軽傷で済んでいるのも彼は気に食わないらしい。
 保健室へは怪我の手当て以上に高ぶった気を落ち着かせるために連れてくる。茶を出すのも半分はそのためだ。
「でも粉もんさんはぜんぜん来てくれません」
「組頭は忙しいんだ」
 まだ怒りが収まらないらしい。茶を飲みながら言う声が刺々しい。
 伊作は忙しく手を動かしながらそれを聞いていたが、尊奈門とは対照的に伏木蔵はのんびりとした口調で導火線に火を付けた。
「粉もんさん は忙しいのに尊奈門さんはお暇なんですか?」
 伏木蔵、と伊作が後輩を窘めるのと尊奈門が憤然と立ち上がるのはほぼ同時だった。
「私だって好きで来ているんじゃない!」
 いきり立つ患者の裾を掴み、伊作は着席を促した。
「あと少しですから座って下さい」
 渋々腰を下ろした尊奈門だったが、どういう訳か伊作を睨む。
「元はと言えばお前が……」
 すごいスリル〜と後輩の声を背景に悔しげな表情でやや暫らく睨まれ続け、伊作は首を傾げる。
「え、僕……ですか?」
 思いもかけず自分の名が話題に上り伊作は目を瞬かせる。
 お前が、の続きを待ったが、尊奈門はふんと鼻を鳴らして伊作から顔を背けてしまった。どうにも今日は虫の居所が悪いらしい。正直に言えば彼の上司のことやタソガレドキ忍軍について話を聞きたかったが、とてもそんな雰囲気ではない。
 探りを入れるのは潔く諦め、伊作は救急箱を片付け始めた。






 気配を殺したつもりだったのに「どうだった?」と問われ尊奈門はがくりと首を垂れた。
 茂みの中から姿を現し、上司に帰還挨拶をする。
 すぐそこの崖下ではドクタケ城兵が極秘訓練中だ。
 木に寄り掛かり敵兵の様子を観察している雑渡は振り返りもしない。が、その無言が話の先を促しているのだと尊奈門は知っていた。
「はあ……、まあ、負けました」
 何故毎度こんな悔しい報告をせねばならないのかと思うが、冷淡にも上司はその苦痛の告白を切って捨てた。
「どうでもいいよそんな事は。伊作くんはどうだったと聞いているんだ」
「普通です」
「普通か」
「はい」
「私に会えなくて寂しいとかは?」
「それは一年生の……」
「伏木蔵が?」
「はあ」
 全然来てくれない、とは裏を返せば来て欲しいということで、来て欲しいのに来てくれない現状は「寂しい」ということだろうと勝手に解釈して尊奈門は頷く。こんなことを細かく説明するのも面倒だった。
 そもそも尊奈門の忍術学園行きはタソガレドキ城忍組頭雑渡昆奈門の命令だった。
 しかしここで留意して欲しいのは、忍組頭の命令だからと言ってタソガレドキ城としての仕事ではない、ということだ。
 完全に、雑渡昆奈門の私情命令なのだ。
 善法寺伊作に会いに行きたいが、当然忍組頭としての仕事が山積していてそんな暇などない。ならばせめて様子だけでも窺い知りたいと送り込まれたのが尊奈門だった。
「普通に忍び込んで様子を見てくるのでもいいが、それじゃあつまらないね。お前を通して私の存在をちらつかせて、伊作くんにより意識させたいねえ……。――と言う訳で尊奈門、潔く土井先生に負けて保健委員さんたちに治療してもらってきなさい。
 全く、羨ましい」
 そんな台詞と共に送り出された尊奈門である。
負け前提とは何たることか!と、フラストレーションが溜まるのも無理からぬことだ。いつか憎き土井を討ち果たし「保健委員に手当てされるには及びませんでした」と言ってみたいものだが、悲しいかな、今のところそんな光明は見えない。
 そして尊奈門にはもう一つ、学園行きについて課せられた命令があった。
 保健委員長の様子を詳しく聞きたがる組頭の元を無理矢理辞し、小頭を探す。ほどなく向こうから尊奈門、と声が掛けられた。
 梢の中から手招きされ尊奈門は忍びの動きで飛び上がり、瞬く間に樹上の人となる。
「どうだった」
 本日二度目の問いに今度は苦々しく答えた。
「あそこへ行く度、組頭の狡い作戦がまんまと嵌っていくのを見るのは正直ちょっと……」
 今日だって「粉もんさん」と上司の名前が出ただけで肩が震えていたし、忙しいのだと言ってやると悄然と項垂れていた。
「組頭にはいつも通り普通だと言っておきました」
 善法寺伊作の様子をありのまま伝えると我らが上司は仕事も放り捨ててあの若者に会いに行きかねない。けれど実際問題、雑渡昆奈門を欠いてはタソガレドキ忍軍は巧く回らないのだ。
 小頭たる山本陣内はそのことをよく分かっている。勿論それは雑渡とて同じだろうが。
「で、土井半助とはどうだったのだ?」
 尊奈門はぐっと息を飲む。
 組頭のように切り捨てられるのも悲しいが、分かっていることをわざわざ尋ねられるのも辛い。
 尊奈門はチョークを食らった額をさっと隠した。頭巾で隠れているがそこにはしっかりと保健委員長の手が施されている。
 唸る部下に苦笑し配置に付くよう言いつけて追い払うと、山本は頭上を振り仰いだ。すると音もなく自分のとまる枝に長身が降りてくる。
「聞いておられましたか」
「お前ね……」
 小細工がばれても山本は動じない。そわそわとあらぬ方向を向きだした忍組頭に釘を刺す。
「直に陣左が戻ります。貴方は部下の報告を聞いて今後の方針を固めるお役目があること、努々お忘れなさいますな」
 分かっているさと雑渡は枝に腰掛ける。
 初夏に向かおうというこの時期に、畑を放り出させて練兵をしているドクタケを探りにやって来たが、どうやらあまりよろしくない状況のようだった。何処に戦を仕掛ける気なのかをまず見極めねばならない。
 暫くは忙しいなあとぼやくとそうですねと相槌を打たれる。
「ところで組頭」
「ん?」
 かわいい保健委員長への道のりは険しく遠いと嘆いていると、げんなりした山本の声が雑渡を諌める。
「再三に渡り申し上げておりますが…………、足を揃えて座らないで頂けませんか」
「個性だよ、個性」
 微かな葉擦れの後、高坂が戻ったと伝令が入る。
 タソガレドキ忍組頭とその腹心は、音も残さず揃って枝から立ち消えた。



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