和モノカンテマ




手鞠、と言うと巷では名の知れた娘で、褪せた色合いを持つ金髪と病的なほどの白い肌に血を思わせる真っ赤の唇と誰もが息を呑む美しさを持つ女郎であった。彼女の年齢は今年で十九になり、今まで俺のために尽くしてくれた姉も置屋に度々訪れる武家の青年と恋に落ちた。それを聞いたとき、内心複雑では会ったが彼女の嬉しそうな微笑を見るとそんなこともどうでもよくなったのだ。



蜉蝣の如く



そんな俺はというとその手鞠と血を分け合った弟で、彼女とは違う焦げ茶色の褪せた色の髪の色と彼女よりもっと深い色の目で、一見すると彼女とは姉弟だと言う事も知られない、平凡な外見であった。
「勘九郎殿の作る人形はまるで魂でもあるようですなぁ。」
「それは有難きお言葉です。」
俺はというと姉が開いてくれた人形師への道を闊歩していた。小さな頃から美術や工芸に興味があり、着物を繕う姉の傍らで彼女に真似て木を彫って人形を作ったものだ。
「今回も買い取ってくれるのでしょうか。」
「ええ、当たり前ですよ。」
男の黒色の双眸を見つめながら俺は言った。
「それと、勘九郎殿。先日姉上にお会いしましたよ。夜道で歩いていたところを偶然声をかけられまして……」
この商人ですら、手鞠の存在を知っていた。彼女はそれほど美しく、目を引く物を持っているのであろうか。その現実に多少の苛立ちのものを覚えて俺は人形の白い顔を強く握り締めた。

「勘九郎殿、またいらしたんですね。」
向かった先は手鞠が勤める置屋であった。女郎であれば必然的に夜伽を強いられる。いくら将来を決めた相手と恋に落ちたとしても、彼女の道は簡単に抜けられるものではなかったのだ。俺のこんな夢のために彼女の体を汚すという事はあまりにも辛かった。
「手鞠は居るか?」
「ええ、先程ちょうどお客さんがお帰りになりまして。」
部屋の端から香の匂いが漂っている。その匂いに引き寄せられるように俺は恐らく虚ろな目で彼女のいる部屋を目指していたであろう。いつしか最後に嗅いだ姉の残り香は今でもそこにあるように。
「手鞠、入るぞ。」
襖を多少乱暴に開けて中を凝視する。店の女将はきっと俺たちが姉弟だと言う事を知らないのであろう。姉弟だと置屋に入れさせてもらえない。だから姉に会いにに来るときはお互い姉弟であることを黙している。
「勘九郎……」
肩を露出した着物が擦れる音が耳に届く。俺は月明かりに照らされた白い肌が目に入った。そして彼女は俯いたままの体制で俺を悲しげに見つめる。そしてちらりと見えたその真っ赤な唇で今にも泣きそうな声で俺の名を呼ぶのであった。

姉は泣いていた。その白い肩を震わせ嗚咽を漏らして俺にしがみ付いている。姉の傍らには三つ折りにされた手紙があり、その内容は読まずとも分かった。彼女が愛していた男の戦死を知らせる物である。
俺はそんな姉の肩を抱き彼女を宥めることしかできない自分が嫌になった。どうして姉ばかりがこんなに不幸な事が降りかかり嘆くようなことに陥らなければいけないのか。
「……すまない……お前にこんなことを言ってもしょうがないことは分かっている……」
細い体が揺れて、彼女の頬を流れる雫を、その高そうな着物で手鞠は拭った。余りにも神というのは惨い。たった一瞬の幸せすら彼女には与えてくれぬ。そしてこの胸に潜む想いすら告げられぬことも余りにももどかしい。いっそここで彼女を押し倒し、姉の心中に渦巻く悲しい想いも、その全てを霞ませてしまいたい。
「そうだ、勘九郎。今日は何の用事で来たんだ。」
いつものような笑みに戻った手鞠を見て俺の瞼は熱くなった。彼女の笑みが余りにも自然過ぎて、笑うことすら偽れない姉の人生を俺は心から呪った。

夢を見た。
その夢の内容というのは美しい女が川の中に沈んでいく様子で彼女は涙を流してはいたがその唇は弧を描いていて、勘九郎はその笑みの美しさに見惚れていた。
すると女は勘九郎の方を向いて何かを呟く。その言葉は不思議と遠くから眺めていた勘九郎に伝わり、彼女はなぜか吹っ切れたような目をしていていたのだ。その眼差しは余りにも悲しげで今度は勘九郎が泣いていた。
そんな彼を見かねてか、女は勘九郎の方を見てまた笑う。それは『泣くな』と言っているかのようで大声でいのは必死に彼女が川のそこへと沈んでいくのを止めるのに対し、肝心の彼の足がまるで鉛のように重くなって動かないのだ。
『手鞠!!行くな!!手鞠!』
自然と勘九郎は女の名前を叫んでいた。彼女はいまや肩まで水に浸かっていた。勘九郎は泣き叫びながら彼女を止める。しかし徐々に彼女が沈む面積は広まり遂には彼女は水の中へ完全に沈んでしまった。
『勘九郎、幸せになれ。私の分まで』
手鞠が言った言葉がいのの脳内をぐるぐる回り、勘九郎はその真意を分かった。ああ、彼女は心のそこから恋をしていたのか。そして自分はどこかでそれを遠ざけ、そして自分は……
そう、勘九郎が認識すると何故だか不意に涙が途切れたのであった。
勘九郎が目を覚ますと、自分が泣いていることが分かった。自分の頬に伝った水の跡に勘九郎は驚いた。ぼんやりと先を見つめて彼は腰を上げた。何か心のひっかることがあり、昨日、精一杯の笑みを見せていた姉のことが無性に気になったのだ。
着替えて外に出ると妙な悪寒が体を突き抜けた。それは先刻診た夢の中で訪れた川辺で生々しく感じた風で、勘九郎は自然とその足取りが川の方へと近くなっていくのを感じていた。

茂みを掻き分けて、砂利ばかりが敷き詰められた川辺を歩く。そこは過去に手鞠と訪れた場所であり、勘九郎にとっても思い出深い場所であった、筈なのである。しかしそこには無残な姿でびしょぬれになり、冷たくなった姉がいたのだ。
まるで壊れ物でも扱うかのように勘九郎は手鞠の体を引き上げた。その体は水分を吸った着物の重みを増していたが、不思議と勘九郎軽々と持ち上げることが出来た。手鞠は死んでいた。きっと、あの男の後を追ったのだろう。その顔に苦痛と言う二文字は見当たらなかった、が。勘九郎は堰を切ったように声をあげるのであった。その声はまるで獣の咆哮のようで、あたりの草木は共鳴したかのようにざわめくのであった。



それから幾年も時間が過ぎた。
商人は勘九郎が住む小屋の前に立っていた。姉が死んでから彼はその悲壮感を紛らわすために狂ったような人形を作り続けている。そう、それは一心に。
「勘九郎殿、新しい人形は。」
「ああ、そこにあります。」
鹿丸が指を指された方向を振り返るとそこには約束した市松人形はカラクリ人形があった。しかし商人の目線はある一点に注がれた。その一点には美しい一体の人形があり、その人形から商人は一人の人物を連想させたのである。
「勘九郎殿……これは……」
勘九郎は答えなかった。商人は黙って人形を見つめた。人形はニコリと微笑みその肌は青白く、唇は血のように赤い。そして褪せた金髪の髪。それははまさしく彼の姉である手鞠だった。
その微笑みはどこまでも優しく、彼を見守っているかのようであった。そしてそれと同時に商人は彼の運命を嘆いた。恐らくこの青年は死ぬまで姉の面影を求めて彷徨い続けるのであろう。姉が彼を殺し、時代が彼の最愛の人を殺した。そんな手鞠の末路と勘九郎の姿を見て、商人は哀れみを込めて目を瞑った。

“願わくば、来世ではこの姉弟が幸せになれるように”、と。

その瞬間でも、勘九郎の人生は徐々に、確実に姉と言う泥沼に沈んでいくのを、商人は感じずにいられなかったのだ。



第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!