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pdr
薄氷のきみ(金+福+御)

 久しぶりに会った友人との、他愛ない雑談だった。大学の講義がどうであるとか、独り暮らしの苦労がどうだとか、そういった当たり障りのない会話だった。ライバル校である手前、共通の話題である自転車の話はそれほどしない。

 自転車の話はそれほどしないが、金城は福富にずっと訪ねたい事があった。他愛ない話をし、そのまま別れてもよかったが次に会えるのがいつかは解らなかったのでつい口にしていた。レースで会うことは少なくないが。出走前にしろゴール後にしろ自転車に近い場所で聞くのは躊躇われる質問だった。
 質問の内容を正確に言えば福富にではなかった。けれど本人には聞けなかったし、かといって一人で推測するには苦しかった。分かち合える相手は福富一人だった。
「御堂筋翔が、新開の過去を調べていた話を聞いたな」
「ああ」
 無表情に見える顔はしかし、かつて勝負をした選手の名前に僅かに強張った。
「何故新開を選んだのかずっと気になっていた。」
 彼の作ったレースのシナリオは理解できる。箱根学園のエーススプリンター、最速の脚をもつ男をへし折る事で王者を分裂させる。読みは甘かったが悪くない読みだったと金城も、恐らくは福富も思っている。
「あれほどの実力があるのならスプリントリザルトを諦め、脚を溜めて二日目のゴールを獲る事もできたんじゃないかと思うんだ」
 返事はなく、頷く動作もなかったが肯定している様子なので金城は続ける。
「新開の傷を調べることができたなら、他も調べられたんじゃないかと」
 言葉を切り、肩にかけていたカバンの取っ手を掛けなおした。
 駅前の広場は人通りが多いが冷えてきた気候のせいか誰も彼も足早に過ぎていく。会話もどこか小声で交わしている者が多い。
 表所の少ない福富の顔に金城は苦笑した。それなりに長く交流しているつもりだが彼の元チームメイト達のようにわかりにくい表情から感情を読み取る事はまだできなかった。強いて言うなら、不機嫌そうに見えた。
「何故新開だけだったのか、考えたことがあるか」
「ある」
 今度は即答だった。無表情に見えた顔に、金城にも解る色が見て取れる。これは苦悶だ、と金城は同じ重みを胃に感じながら苦笑した。
「そうか。それが聞きたかった。」
 会話を切り上げて腕時計に目をやる。帰る合図だと気付いた福富が何か言いかけたが言葉は出なかった。

 別々の電車に乗り、それぞれの家に向かう。最後に福富が何を言おうとしたのか金城には解らない。だが、胸中はさほど金城と変わらないだろうと思った。空いている電車の中で座らずにドアの近くに立つ。窓から見える景色を眺めてあの夏の事を思い出した。
 福富と競った二日目のゴール前、先を行く一年生の背中を今でも金城は覚えている。福富すら強いと認めた少年はしかし、どこか危うく例えるなら薄い刃物のようだった。
 ガラス、否、氷だと金城は電車のガラスに映る自身を見て思う。薄い氷でできた刃物に似ていた。鋭い切っ先は箱根学園のエーススプリンターを傷付け、総北の一年生を切り裂いた。 
 けれどその刃が、主将である二人の過去を抉る事はしなかった。

 あれだけの男が調べられないはずがない。今日会った福富も同じように感じていたのは確認した。まず間違いなく御堂筋は福富と金城の過去を知っている。知っていて触れなかった。それが何故なのか、半年以上だった今でも金城は考える。恐らく、福富も。
 薄く鋭い刃のような選手が触れなかった理由を考え、考えては行き着く答えに蓋をした。同じことを福富も考えているのだろうかと確認して初めて閉じていた蓋を開いた。

 御堂筋翔について、彼を知る人間に聞けば大半はマイナスの評価を返すだろう。確かに彼の口の悪さや他者を蹴落とす姿勢は評価を下げて然るべきだ。けれど実際、勝負の場になれば実力を最も重んじているのは競った金城からすれば明白だった。競技そのものを愛し、強者でなければ勝てないと誰よりも知っている。敬意だ。彼は自転車競技に敬意をはらっている。本人が否定しても無意識にそうしているのだと金城は確信していた。
 新開との勝負も、新開が左を抜けないと知って挑発をしたが最後には左を抜いたエーススプリンターを下した。過去の傷を抉らなくともきっと彼はスプリントリザルトを獲ったはずだ。
 念には念をと仕掛けた心理戦なのは解っていた。過去に後輩である今泉が母について揺さぶられたように。
 新開が左を抜き全力を出せたのは彼自身の強さだ。御堂筋がどんな言葉を駆使し、どんな過去を抉りだそうとペダルを緩めない強さがあれば関係ない。御堂筋もそれが解っていて新開に勝つ自信があったから彼を選び勝負を仕掛けたのだ。

 二日目のゴール前で全力を出した御堂筋翔は、けれど競った二人に心理戦を用いなかった。
 苦しげな顔を見せた福富を見て、きっと自分も同じ顔をしているのだと金城は思った。純粋な勝利を求める男が選び、過去を抉り傷付けるのは純粋な勝利を目指す権利のある相手の傷だけなのではないか。
 御堂筋翔がかつての落車事故を調べ至った結論はふたりの傷に触れない事だった。気遣ってではない。彼にとって落車事故の一連の流れは触れる価値もない物だったに違いない。引き起こした福富の罪も、大会に報告をしなかった金城も、彼にとって軽蔑の対象だった。認めることが怖かった。けれど向き合わなければ先には進めない。同じ過去を知る者に打ち明けた事で傷は確かなものになった。内側で膿んでいくよりはずっとましだ。


 まっすぐで純粋な走りをする選手に軽蔑の目で見られた傷は、過去の落車事故で負った物よりも強く痛み金城は強く目を閉じた。

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あきゅろす。
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