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pdr
やさしいひと(新御)
「御堂筋くんて優しいよな」
 素直な感想を口にしただけだというのに、返ってきたのは軽蔑の眼差しだった。
 関西のレースに彼が出ると聞いて前日の講義を休んでまで見に来たが軽蔑の眼差し以外にはキモイという一言を貰っただけだ。優しい、という言葉が場に似つかわしくないのは新開が一番解っている。
 同じレースに出ていた弟も不思議そうに首を捻っていたが仲間に呼ばれてすぐに戻って行った。
 不可解な言葉に一瞥しただけで、御堂筋はさっさと帰り支度を始めていた。今日のレースには仲間が同行していないらしい。彼一人の荷物はとても少なかった。
 新開自身も参加しようと思えば出来たが、レポートの提出期限や、大学でのチーム練習を考えると相当無理をしなければいけない。ならばレース自体結果を見れば十分ではないかと弟にも言われたがどうしても彼の走る姿を見たかった。確認したいことがあったからだ。
「やっぱり御堂筋くんは優しいよ」
 今度は一瞥もなかった。荷物をカバンに詰め込み汗を拭って愛車を押して歩き出す。後ろを着いて歩いても振り返りもしない。
「今日はさ、御堂筋くんが走ってるとこを外から見たくて来たんだ」
 同じ道の上で見るのとは全然違う。恐れは微塵も感じなかった。ただ、必死な選手に対して尊敬と羨望を覚えた。余裕ぶって相手を挑発する姿の奥に、誰よりも自転車に打ち込む姿が見えなければ彼はただの悪人に相違ない。
 努力する人間を馬鹿だと言えるのは、それと同等かそれ以上に努力している人間でなければいけないと新開は常々思っている。努力しない、できない人間がそれ以上必死に生きている者に投げかける中傷は自身に返るだけで何の意味も持たない塵のようなものだ。
 彼に嘲られると、認められた気にすらなってしまう。
「優勝おめでとう」
 人波を抜けるまで愛車には跨れない。会場から出ればあっという間に走り去ってしまうであろう彼に、出来る限り気持ちを伝えたくて新開は口を開いた。
「弟の応援のつもりで来たんだけど、御堂筋くんが一位でよかったって思っちまったよ」
 レース直後の御堂筋の足は僅かに震えていた。全力を出した証だ。
「御堂筋くんの走ってるとこ見るの、好きだな」
 並んで、背を見ながら、追われながら走った瞬間とは違う。御堂筋翔という選手を観察し、次々と新たな発見をした。演じている顔も、仮面を捨ててなりふり構わず走る瞬間もだ。
 観察。浮かんだ単語を反芻して前を行く選手を見つめた。今まさに自分は彼を観察している。どんな言葉を投げかければ彼が振り向いてくれるのか考えながらじっくりとその背中を見ているのだ。
「御堂筋、くん」
 もう十数メートルも歩けば会場から出て自転車に跨ってしまう。電車で来ている新開はペダルを回す彼には到底追いつけない。まだ伝えたい事は何も伝わっていないのに。
「聞かないんだな。自分のどこが優しいのか」
 恐らく新開の言葉など、御堂筋にはどうでもいいのだろう。他人にどう思われようが彼が生きていくうえで、否、ペダルを回す上で何の障害にもならない。過去の傷を抉りリザルトを奪った相手に優しいと言われてもそこにどんな意味が含まれているのか微塵も気にしない。潔い姿勢に感服する。
 優しい、と口にする自分に新開はこれっぽちも違和感を覚えていなかった。訝しげな顔をした弟は恐らく不気味だと思ったに違いない。弟は去年のインターハイを知っている。弟の先輩に当たり、自分の後輩に当たる仲間が説明した体。箱根学園の選手は皆、新開に同情し御堂筋のやり口を非難した。最終的に実力で負けたのだと新開自身が言っても誰も認めなかったほどだ。実際、新開は実力で負けたし、御堂筋がリタイアしたのも彼の実力不足だった。
 御堂筋翔との勝負が無ければ新開隼人は本当の意味で自転車競技に復帰できなかったと想っている。同時に、もともと他人との距離をうまく測れなかった新開の壁を彼が壊した。強引に領域に入り、内側をかき回してあっという間に見えない場所まで逃げて行った。あまりに突然の事で新開はしばらく呆然とした。自分の中にあった壁が壊され、インターハイの後から急激に人と接することが楽になった。
 周囲には何も変わっていないように見えたかもしれないが新開にとってその変化は劇的だった。壁を壊してくれた相手に礼を言いたかったし、なによりその優しさを返したかった。
「御堂筋くん。次はインターハイで。見に行くから」
 ヘルメットを被り、荷物を体にうまく固定して愛車に跨った彼の手をハンドルごと握る。煩わしげな顔をするがレース直後の疲れた体は新開の握力を振りほどく気力が残っていない。
「さすがに応援はできないけど」
 諦めたのか視線を地面に落とし、新開の言葉が終わるのを待っている御堂筋にもう一度同じ言葉を告げる・
「御堂筋くんは、優しいよな」
 生きていくうえで必要だった箍を、外してくれた。なければ欲するものを我慢できなくなる、そういう枷だ。解放された後はひどく心地よかった。
「ありがとうな」
 一度だけ、掴んだ手を強く握って解放した。挨拶もせずペダルを回してあっというまに御堂筋は見えなくなった。見送っている背後から、弟の呼ぶ声がした。駆け寄ってきた弟は先程と同じ不可解な物を見る目をしていた。
 御堂筋のどこが優しいのか弟には解らないのだ。解らなくていい。弟だけではなくこの世の誰にも解ってほしくはなかった。
 隣に並ぶ弟の頭を撫でる。インターハイでは弟を応援できるだろうかと不安になりながら、それを隠して新開は笑った。

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