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pdr
先輩馬鹿(兄安兄)



 月二回、土曜に京都まで来る恋人とできることなら喧嘩をしないで穏やかに過ごしたい。だというのに毎週決まって別れ際は喧嘩になる。

 いったい何が悪いのか原因を思い出そうとしても言い合いが白熱すると発端を忘れてしまう。どれだけ大ゲンカをしても、安は必ず見送りに出てくれるし、次の日の朝にはメールで互いに謝罪する。翌々週会いに行って顔を見れば喧嘩の事などすっかり忘れてしまう。
 会って話して、手を繋いだり触れ合ったり、ごくたまに性的な接触もあるが忙しい身に負担の大きい行為は少なくしようと互いに決めている。寒咲の長距離移動を気遣う安が早めに寝るように進言したりもする。

 今週こそは、と決めて寒咲は安のアパートに入る。珍しく定時で上がった安に迎えられ、先々週二人で買った炬燵に入った。何も見たいものはなかったがテレビをつける。19時を回ったところでニュースに変えた。寒咲がリモコンを持ったがこれといって反応はない。炬燵の中で時折あたる足に小さく声を出して笑った。
 毎回そうだ。部屋に入り、穏やかな時間を過ごす。テレビを見て雑談をし、狭いキッチンで二人で夕食を作ったり、安が残業で遅くなった日は外で食べてから部屋に戻って寒咲が沸かしておいた風呂に入って眠る。どこで喧嘩が始まるのか考えて思い当たったのは夕食の最中だった。何で言い争ったのか思い出そうとするが明日の天気はとアナウンサーが話し始めた時に千葉と京都の温度差を安が笑ったのでつられて笑って思考がかすんだ。

 寒咲の買ってきた蜜柑を食べていたせいであまり空腹を感じないと安が言うので夕飯は少な目になった。煮魚と白米、味噌汁、特売で買った賞味期限が昨日の漬物を炬燵に出す。米を多めに炊いたので量も文句はなく、味もいい。料理が得意なわけではないが苦手なわけでもない成人男子二人で囲む食卓は質より量であることが多いが寒咲は一度も不満に思ったことはない。安も食事に頓着しない方であるのかよほどの味でなければ不満を言ったことはなかった。
 味噌汁を啜る安の顔を見て考える。食事中の会話で喧嘩になる事が多いが、味や量でなければ何の話だろう。必ずと言っていいほどする会話があるはずだ。でなければ決まって毎回喧嘩に発展するはずがない。

 雑談は当たり障りのない物だった。互いの仕事の話、少しの愚痴、自転車の話、気候の変化。
「厳しいて言うてはりますけど、あのエースの扱きのおかげであいつらもだいぶ早よなったんですわ」
 おや、と寒咲は相槌を打ってから思う。確か先々週も、似たような会話をしなかっただろうか。
「うちもなぁ、金城が卒業してどうなるかと思ったけど確りやってるよ。新主将」
 前は、一年生の転向話をした気がする。一応ライバル校のOBなので詳しくは言わなかったが自分の選んだタイプの走りを変えるつらさは解るよな、とかそんな話をした。
「新主将と言えばウチのがちょっと心配なとこありまして、あ、でも去年完走したし、一年の時もレギュラー入りしてたんですよ」
 魚の骨を皿の隅に寄せて話す安の顔は寒咲の恋人ではなく京都伏見のOBの顔だ。寒咲もきっと、今は安の恋人ではなく総北高校のサポートの顔をしているのだろう。
「あー、なんか見たことあるかもな。名前なんだっけ」
 主将の名前程度では情報漏えいにはならない。ノブ、と言いかけて水田ですよと安が言う。新しいエースは互いの苗字を呼び、呼ばせているが安の世代ではあだ名や下の名前で呼び合っていた。
「ちょっと調子ええ奴ですけどね。憎めないし走りも中々」
 へぇ、と感心して味噌汁に口をつける。後輩を褒める安の顔は嫌いではない。気遣いのできる男なので後輩に対しても目端が利き、寒咲は恋人のそこが好きだった。
「うちの主将は憎めないってタイプじゃねえな」
 新しく主将になった後輩は頭を使うタイプで、どちらかと言えば敵を作りやすい選手だ。味方も多く後輩からの信頼も厚いが敵に回すととことん怖い。
「長所でもあるんだけどな。根はいいやつだし。あれなら今年も大丈夫だろ」
「ノブかてええ子ですよ。使いっぱしりみたいな扱いされてはいますけどオレはあいつならちゃんとできるって思うてます」
 少しだけ残っていた漬物を食べきり、空になった皿を重ねる。流し台に茶碗を運び、風呂を沸かしながら布団を敷く。いつもの動作で、いつもの通り気付けば喧嘩になっていた。
 布団に入るとすっかり会話もなくなり互いに背を向けている。正面の壁を見つめて寒咲ははっきり自覚した。後輩の事になると、安も寒咲もムキになって引かなくなるのだ。大人げないと思いながら、矢張りその晩のうちには謝罪を口にできなかった。

 翌朝も安に見送られて千葉に戻った。日曜日の練習に顔を出すと後輩が元気よく挨拶をしてくれる。可愛い後輩だと思う。思うが、今日に限っては素直にそう思えなかった。
 先々週はスプリンターの後輩の話で、その前はエースの話で、昨日は
「寒咲さん、おはようございます」
「…お前はいい主将だと思うぜ」
「は、ありがとうございます」
 首を傾げて後輩が礼を言う。
「でもな、いい主将すぎるのも悪い。ちょっとオレに謝れ」
 理不尽な要求をする寒咲に、呆気にとられた主将の隣に並んでいた彼の相棒が明らかな怒気を向けてきたので適当に誤魔化して退散した。正直相棒の方にも謝ってもらいたいくらいだった。
 アップを終えて走り始めた後輩を眺めながら、携帯電話を開いて謝罪のメールを打ち込む。打ち終わる前に、安からごめんなさいと書かれたメールが届いた。

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あきゅろす。
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