[携帯モード] [URL送信]

pdr
躑躅と陽炎(ヤマノブ)

 はじめは只々、煩わしく喧しい奴だと思っていた。

 水田信行はお調子者だが嫌われ者ではない。クラスでも男女問わずで友人が多く、歳より幼く見えるせいか可愛がられている。本人は人望があるなどと豪語しているがマスコット的存在として扱われている事は一目瞭然だった。
 部内でも水田は慕われていた。誰からも尊敬されてはいなかったが、実力者に媚びるタイプの彼が誰からも嫌われていないのは不思議だった。
 水田と違い、山口には友人が少なかったが皆気のいい者ばかりだ。部内では仲の悪い者もいるが実力を認め合っている仲間が幾人かいる。同じ学年、同じ部で三年間も過ごしているのに水田と山口は部内でも教室でもほとんど口を利かない。そうであるからクラスの、部活の誰もが二人はタイプの違いから仲が悪いか、もしくは不仲になるまでもない付き合いなのだと認識していた。

 二年に上がっても相変わらず口の悪いエースの練習メニューは辛辣な言葉と同じに厳しい。もう歩くことも億劫だと、自転車を校舎に立てかけて校庭に降りる短い階段に腰を下ろした。
 初夏の気温に日陰で冷たいコンクリートは心地よく思わず眠りそうになる。ふと、先客が居ることに気が付いた。階段の両脇にはツツジの植え込みがあり、まだ僅かに残っている花の色も手伝って膝を抱えて小さくなっている彼は目立たなかったのだ。
「…ノブ、ちゃんと水分とってんのか」
「とっとるよ」
 汗にまみれた顔は校庭の運動部に向けられていた。倣って見つめると体育会系特有の厳しい上下関係が見え隠れする掛け声に合せて運動部が走っていた。ああいう空気は苦手だ。けれど今の異常な自転車競技部の空気に比べればいくらかましかもしれないと山口は思った。
 少し離れて、一段下に座る水田が何を想って校庭を見ているのかは山口には解らない。もとより、水田の考えることなど山口には理解できないのだ。お調子者と揶揄される彼の行動も思考も、地味に生きてきた山口にとって嫌悪こそすれ共感などもってのほかだった。
 と、一年生の頃は思っていた。口に出した事はないが、山口は水田が嫌いだった。嫌いだったが、それはかつての話だ。二年生になり、三年生になった今、入部当初の苦手意識は消えている。
 お調子者だ金魚の糞だと言われている彼を嫌悪も軽蔑もしなくなった理由は純粋に練習量を知っているからだ。厳しいエースに課された以外に、水田は独りで個人的な練習をしている。厳しいエースの真似をしているだけだと陰で言う部員も居たが、それだけで続けられるほど甘い練習ではなかった。
 以前のエースから今のエースに鞍替えしたように見える彼はしかし、以前のエースの真面目さも残して今のエースの練習を真似ていた。授業中につけている不真面目さは兎も角、練習用ノートの地道な真面目さには元エースの面影があった。
「ボトル空やん」
 ん、と短く声を出して自分のボトルを差し出す。無言で受け取った所を見ると矢張り喉が渇いていたようだ。
 ここ何日か水田の調子が悪い事に山口は気づいていた。タイムが伸び悩んでいるだけでなく練習の合間に一人で物陰に座っている。誰かが声をかければ普段通り調子のいい声で返事をしているが何も言わずに座る山口と居る時は水田も何も言わずに座っている。
 もともと饒舌な方でない山口は沈黙が嫌いではなかったし、同学年で一番時間を共にしている相手に気を使って話題を振る事もしなかった。
 水田の方も、山口相手に虚勢を張る事もなく黙っていた。何があったと聞く事もない。
 膝に乗せていたタオルを頭にかけた水田がボトルを差し出した。返されたそれを受け取る時に見えた顔におや、と思う。
「…熱いって実感なくても熱中症になるって聞いたで。体調悪いんやったら保健室行き」
 タオルで表情の見えない頭が小さく振られた。さよか、と呟いて視線を校庭に戻す。聞かれたくないことを聞こうとは思わなかった。聞かなくても薄々解ってしまう自分が嫌で山口はできるだけ遠くに視線と意識を投げる。それほど強くない日差しでも、校庭の温度は高い。隅の方にぼんやりと陽炎が浮かんでいた。
 他人に依存する水田の性質を悪いとは思わなかった。なにより依存し、真似をしながらも其れだけではない努力と実力を水田は持っていた。でなければ一年生でレギュラーになるなど到底不可能だったし、二年目のインターハイも完走出来なかったはずだ。疎ましく喧しいと思っていた水田の事を、山口は今では少し尊敬すらしていた。
 顔を見なくとも、水田の表情が解って小さく声をかけた。
「泣くな」
 三年目のインターハイ。部を仕切っているのはエースだが事実上部長である水田にはそれなりにプレッシャーもある筈だ。調子が悪い原因は恐らくそれだ。空気や言葉の裏を読めない愚直な素直さを水田は持っている。エースが自分に期待していない事も、部の仲間が道化と嗤っている事もどこかで知りながら言われた言葉を額面通りに受け取り只管練習に励んでいる。
 自分には出来ない。山口は彼の愚かさを、いつからか好きになっていた。形は違い、人の背だけを見ているが水田も前を見て進んでいく強い選手なのだ。
「…泣いてへん」
 休憩時間が終わる。どちらともなく立ち上がり、自転車を掴んで部室に向かって歩き出した。
 長く感じる練習時間も終わってしまえばあっという間で、インターハイもすぐに終わってしまう。三年は短い、と山口は思った。短い三年間の部活を、彼と過ごせてよかった。絶対に口にしないが、前を行く頼りない部長の背に感謝した。




ヤマノブめっちゃ好きなんですが中々描く機会がない

[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!