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pdr
サイレント(兄安兄)


 18時過ぎ、携帯電話が光っていることに気が付いた。着信があった事を報せる明かりに一瞬冷や汗が出る。今日までに納品する仕事は全て終わっているし、今撮りかかっている物の納品期限はまだ先だ。余裕があるわけではないが電話で催促されるほど遅れていない。大丈夫、仕事の電話ではないと言い聞かせ恐る恐る二つ折りの電話を開くと表示されていたのは恋人からの着信履歴だった。今夜は平日で会う約束もしていない。急ぎの用ならば留守番電話に残すかメールをするはずだ。呼び出し時間を見る限り間違い電話ではなさそうだが思いつく用事は特にない。意味もなく仕事中に電話をかけてくる人間ではないのであとで掛け直すかメールをしよう、と決め作業場に出るためもう一度携帯電話を事務所の机に戻した。

 普段であれば、携帯電話は首から下げて働くが繁忙期のこの時期だけは別だった。とにかく走り、動く。うっかりすればストラップが千切れて携帯が壊れかねない。
 作業がひと段落し、事務所に戻れたのは23時過ぎだった。自分以外全てが帰宅済の事務所は真っ暗で、机の上で光っている携帯電話が目立っていた。
 開けば予想通り恋人からの着信で、履歴を見ると驚くほど彼からの着信が残っていた。メールを確認するがレンタルショップと飲み屋のマガジンメール以外は届いていない。
 帰る支度をし、もう眠っているであろう相手のメールアドレスを呼び出して本文を打つ。送信し、忘れ物がないか確認して事務所を出ると同時に携帯が震えた。表示されている名前にまだ起きていたのかと驚きながら通話ボタンを押した。
『遅い。何回かけたと思ってんだ』
「仕事です。知っとるでしょ寒咲さんも」
『何時まで残ってんだよ。』
「や、もう家です」
『嘘つけ』
 繁忙期に定時上がりできないどころか遅くまで残業していることを知ってる寒咲にあっさり見破られる。
「なんか用ですか。メールでもええのに」
『なんか、てお前今日はさぁ』
 今日、とオウム返しに呟き階段を下りながら日付を思い出そうとした。作業中何度も書類や伝票に日付を記入したと言うのに今日が何日かと改めて聞かれると咄嗟に出てこない。守衛室の前を頭を下げて通る。ちらと見えたカレンダーで日付を確認する。
「別に普通の水曜ですけど」 
 そういえば朝食を買いに寄ったコンビニで水曜発売のコミック誌を立ち読みした気がする。気になっていた勝負の行方だけでも確認しようと開き、まだ決着がついていないことに僅かに落胆したのも思い出した。
『そうだな。普通の水曜日だな』
「なに怒ってはるんですか」
 明らかに怒気を含んだ声にため息が出そうになる。寒咲はいつも突然怒りだす。けれどそれは確りとした理由があり、理不尽に怒られることはない。問題は理由を先に言ってくれない事だ。認識や価値観の違いのせいかもしれない。寒咲にとって怒る理由になる事が、安には言われなければわからないことが多いのだ。仕事で疲れ切った頭では寒咲が怒る理由が思いつかなかった。
 会社から出て駐車場を目指す。すっかり冷えた空気に息が白くなった。
「オレ疲れてるんで、話明日にしてもろてもええですか」
『やだ』
 不満げな声に少し苛立った。忙しいのはお互い様で、理解し合って譲歩しているから心地いい関係を築けていると言うのに。
 鍵をポケットから出して車に向けた。開錠してノブに手をかけてため息と共に少しだけ強めた声を出す。
「あのですね、寒咲さん、オレかて―」
「お疲れ」
 聞きなれた声が背後から聞こえた。電話口からではない。びく、と自分でも大げさだと思うほど肩が跳ねて全身が固まった。
「疲れてんのは知ってるし仕事中に電話したのも悪かったけどさ」
 振り返ると寒さで顔を赤くした寒咲がポケットに手を入れて立っている。なんで、と聞こうとした唇は動かなかった。
「とりあえずこれだけ受け取っとけよ。」
 ポケットから出した手に乗っていたのは手袋だった。新品で、そこそこ確りした生地であるから贈り物だろうがラッピングはしていない。
「運転してる時でもつけてていいやつだから。ほら」
 ぽかんとしている安の手を取って器用に嵌め、そのままくるりと背を向けた。慌てて引き留めようとして、社員用駐車場の外に寒咲サイクルの車がある事にそこで気付いた。入って来る時は気づかなかったのだ。
「じゃあ、週末来るから」
 月に二回、安のアパートに寒咲は来る。今週末も来る予定だった。贈り物があるならばその時でいいじゃないか。結局寒咲が車に乗り込んでも安は一歩も動けなかった。仕事の疲れと唐突な訪問で頭が回らない。
 走り去る車の後ろに貼られた大きなステッカーにようやく閃いた。
 真っ赤な服を着た白髭の老人。そうだ、今日はクリスマスイブだった。週末までに恋人に返す贈り物を決めなくては。黒い手袋に包まれた手を見ながら密かに決意した。

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