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pdr
※やすり(東御)

 パチン、パチン
 早朝、まだ薄暗い部屋の中に乾いた音が響く。静かな部屋に響く音に、御堂筋が目を覚ました。
「…深爪なんちゃう…」
 薄暗い部屋でも彼の視力ならば手元が見えるらしい。指摘通り、爪きりを終えた東堂の爪は極端に短かった。切り終えた左手を目の高さまで上げて眺める。
「ふむ…こんなものだろう」
 ひとしきり眺めてからベッドで横になったままの御堂筋の目の前に左手を向ける。半分閉じた目が親指から小指までの爪をゆるやかな視線でつるりと撫でた。まだ眠いのか一度ゆっくりと瞬きをして、肩から落ちかけていた毛布を首まで持ち上げる。
「短いやろぉ…」
 あくびと共に吐き出された声にもう一度左手を目の前に戻す。
「大体キミ、前はなんかマニキュアとか塗っとったやん。割れるからっちゅうて」
「今も塗ってはいる」
 割れたら困るからな。と付け足して右手の爪を切る為に左手に爪切りを持ち替える。起こさない様に気遣って離れていた場所からゴミ箱を足で移動してベッドに腰掛けた。
 見た目を気にする東堂は手や、爪の形にも気を使う。爪を切るだけではなく磨くし、透明なネイルも塗る。割れない様に、形を崩さぬように。
 高校時代の東堂の爪はもう少し長かった。深爪だと指摘された事は一度もない。右手の親指、人差し指の爪を切り、残った爪との長さを比べた。切っていない爪もそれほど伸びてはいない。むしろ高校の頃は切った後がこの程度の長さだった気さえする。
 切らなくてもいいのではないかと残った爪を眺めた。右手の中指、薬指、小指。バラバラと指を動かす。いつの間にこんなに短くするようになったのだろうか。
「切らんの?」
 テンポよく刻まれていたリズムが止まった事に御堂筋が閉じていた目を開いた。振り向いて目を合わせると先程よりは眠気が消えた瞳が見上げてくる。立っている時は見上げてばかりの視線が下にある事で妙にこそばゆい気持ちになった。
「言われてみたら短すぎる気もしてな…」
 せやろぉ、と間延びした声をあげた御堂筋が上半身を少しだけ起こす。身体を俯せ、組んだ腕に顎を乗せてもう一度あくびをした。
 あくびで涙が滲んだ目にどきりとする。視線はシーツにおとされ、半端な眠気にもう一度寝るか迷っているのが見て取れた。眠そうな彼の目はひどく扇情的で、東堂はしばしば朝から手を出しかけては枕を投げつけられてトイレに追いやられていた。
 朝起きてすぐ走りに出る御堂筋にとって、朝一で行為に及ぶなどもってのほかなのは解っている。休みであればいいだろうと言っても練習をしないのであれば他にすることは山ほどあると言って断られ、あまりしつこく食い下がると週に一度あるかないかの夜の営みさえなくすと宣言されてしまい東堂は大人しく従うしかなかった。
 御堂筋は認めないが、彼は魅力的な人間だ。自転車選手としてと言えば素直に頷く癖に人間的や、あるいは恋人として魅力を感じると言っても彼は決して認めなかった。魅力がなければ告白しなかったし、抱くわけがないと言ってもキミの性癖が歪んどるんちゃうのなどと茶化される。歪んでいないとは言い切れない。彼以外では駄目な今となっては、彼の形に性癖が歪んでいることになる。
 爪を切りのこした指先を合わせて弄ぶ。長さの違いに違和感を覚えるが日常を過ごしていれば気になる程ではないだろう。
 深爪と言われた指と、残った爪の長さを比べる。こうして見ると、確かに切りすぎだ。痛みはないが他人の目から見れば痛そうに見えるかもしれない。

 パチン
「なんや、やめたんちゃうの」
「いや、やっぱり長い」
 右手の中指から順に爪切りを当てた。
 パチン、パチン
 薬指、小指と深めに刃を入れて力を込める。ごみ箱の中にぱらぱらと爪が落ちていった。
 爪きりの背に付属している鑢を取り出して軽く当てる。痛めない様に丁寧に切り口を滑らかにしていく。
「キミ、それようやるよね。男やのに」
「男だからだろ」
 組んだ腕の上でむにゃむにゃと口を動かし、耳に届く鑢の音に反射して御堂筋が喋る。ちらりと見やれば一度は消えかけた眠気が戻ったのか薄く開いていた瞼は力なく上下していた。
「爪が伸びていては傷付けるだろう」
 滑らかになった爪の先を指先で撫でて確認する。爪切りをゴミ箱の横に置き、ベッドに手を付いて上半身を捻った。腕に埋めた顔を覗き込むと先程まで上下いしていた瞼はすっかり下がっている。
「触れるときに、」
「…ん」
「傷がついては困るから」
 耳元で言うが、眠りに囚われた意識は帰らない。
 閉じたカーテンの向こうで陽が昇ってきたのが解る。隙間から入る光が強まってきた。時計を見ると御堂筋の目覚ましが鳴るまであと一時間を切っていた。

 うつぶせになった時にずれた毛布を直してやる。暖かさに、眠っている眉が僅かに緩んだ。
 御堂筋は行為の最中殆ど動かない。快感も痛みも限界まで耐える。注意深く見なければ彼が快感に耐えているのか痛みに耐えているのか判断できない。御堂筋から東堂に触れることもない。彼の手は常にシーツか自身の身体に触れていて、どんな体位でも御堂筋の手が東堂の肌に触れることはない。だから御堂筋は自分の手が誰かを傷付けるなど想像できないのだろう。
 注意深く観察していて、挿入のために慣らしている時痛みを覚えている事に気が付いた。出来る限り苦痛を取り除きたかった東堂はローションを増やしたり慣らす時間を増やしたりした。しかし中々苦痛を取り除けなかった。本来そういった器官ではないので仕方ないのだがなんとかして少しでも、できるならば完全に苦痛を取り除ければと考えていた。
 思い当たって急に羞恥がこみ上げたが御堂筋はとっくに眠りについていたので安堵の息を漏らした。
 
 シーツを握り、指の動きに合わせて声を漏らす姿に喉を鳴らす。唇から漏れる声はしかし、必死に噛み殺している所為で吐息と区別がつかないほど微かな物だ。もっと声が聞きたくなって感じる場所を刺激するとシーツを掴んでいた手を口元に当てて歯を立てる。本当に血が出るまで噛むので慌てて刺激を弱め、解すことだけに専念しなくてはいけない。
 痛みに耐えるときも、御堂筋は口元に手を運んで歯を立てる。眉間に寄せられた眉の僅かな差でそれが痛みか快感かを判断できるようになるまで随分掛かった。
 挿入してしまえば自身の快感を追うことと目の前の痴態に夢中になってしまうので、どうしても指で嬲っている時に彼の苦痛と快感の境を判断することになる。同時に、指での前戯を丁寧によりよいものにしたいという欲が増えた。
 インターネットや書籍を調べ、感じる箇所や刺激の方法を学び、なにより苦痛を取り除くために爪を短く短く切った。
 繊細な内側を抉る指を、少しでも丸く滑らかな物にしなくてはいけない。快感に歪む顔を見ながら行為の最中東堂はいつも考えていた。

 行為が終われば東堂の頭から最中の事はほとんど消える。爪を切っている時に情事について考えたりもしない。それでも無意識に、傷付けないようにどうしたらいいだろうかと深く刃を入れていたのだ。

「…たまには傷をつけてくれてもいいのにな」
 背中に恋人の爪痕を残す人間は世の中にたくさんいる。嫌がり、シャツを消して脱がずにしがみつかせるものも居ると聞く。贅沢ものめ、愛しい相手が情事中に苦痛や快楽を耐えるためにしがみつき、跡を残してくれることを嫌がるなど幸せではないか。少なくとも東堂はそう思っている。
 御堂筋は決して東堂の身体に傷をつけない。つけてはくれない。当然恋人の戯れであるキスマークすら彼はつけない。代わりに痛みに耐えるために自分の腕や手にごくまれに歯型を残す。東堂はそれが嫌だった。
 苦痛は無くして、快感は素直に受け入れてくれるようになればいいのに。眠った体の横に転がり、そっと掛布に入り込む。
 深く切り、整えた爪の先で眠った彼の頬を撫でた。丁寧に磨いた爪は、決して彼の皮膚を傷付けなかった。

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あきゅろす。
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