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羽音足音(東御)
※東御同棲未来捏造





 肩に虫が止まった。大分寒くなってきたというのにまだいるんだなと思いながら手ではらう。
 一連の動作を見ていた御堂筋の唇からふふ、と笑い声が漏れた。珍しい声に首を傾げた。
「どうした」
「蛾」
 肩からはらい落とした虫の種類を呟いた御堂筋の顔は声と同じで楽しげだった。
「何が愉しい」
 滅多に見れない笑顔は嬉しかったが、理由が解らないので素直に喜べなかった。肩からはらった虫が音を立てて飛んでいく。御堂筋の視線は虫を見ていた。
「好きなのか。虫」
 ぷくく、と喉の奥でまた御堂筋が笑う。
「好きなわけないやろ」
 その割に楽しそうだ。いつの間にか虫は消えていた。
「なら何故笑う」
 人差し指を立てた手を振り、虫の軌道を真似る御堂筋の顔は心底楽しそうだ。
「同じやからや」
 ゆらゆら彷徨った手が、消えた虫を指した。
「知っとるか、東ドウくん」
 自転車に乗らず、二人で歩いているというのに愉しげな彼に違和感を覚える。練習を終えて帰宅してから風呂を沸かすのと夕食の準備が面倒な時こうして銭湯まで歩く。家から10分のそこで湯に浸かって帰るまでの道はいつも東堂だけが喋っていた。
 相槌さえ打つことがなかった御堂筋が笑った。
「蛾、て害虫なんよ」
 虫について話す彼は楽しそうだ。好きなのかと聞けばそうではないと言うが、それでも話す顔は笑っている。
「種類にもよるけど、さっきキミがおっぱらったアレな」
 長い指先がくるくると回った。
「スズメガいうてなぁ、ただの害虫とちゃうんや」
 ぴたりと、東堂の肩に指が触れる。
「なんでか知っとる?」
 指先が滑り、肩から二の腕に触れて離れた。
「スズメガの中でも鳴くやつはなぁ、不快害虫って言うんや」
 フカイやで、フカイ、と笑う御堂筋の声はからからと乾いた空気を揺らした。
「害虫ゆうだけでも傷つくのになぁ。不快なんて言われてかわいそうになぁ」
 指先を自分の唇に当て、綺麗な歯をなぞる横顔に見惚れる。かわいそうに、などとその口から聞けるとは思わなかった。
「…なにと同じなんだ」
 同じだと彼は言った。不快な、害虫と同じだと。
「わからんのぉ?」
 三日月形に細まる目と口。綺麗だ、と思った。
「まさかお前にまとわりついてるオレの事ではないだろうな」
 はっ、とそれまで楽しそうだった声が嘲りに変わる。
「お綺麗なカオした皆の人気者が何言うてはるん」
 向かいから歩いてきたサラリーマンを避けるために、東堂が御堂筋の背に隠れた。
 薄く広い猫背を見て目を細めた。足を速め、隣に並んで覗き込んだ顔はもう笑っていなかった。

 丸まった背と、異様に大きな目と口、長い手足は確かに畏怖を感じる者もいるだろう。
(だが…)
 それで不快だ、まして害虫などと呼ぶなど。
「…オレが許さんよ」
「ファ?」
 突然掴まれた手に御堂筋が振り返った。
「許さんてなにを」
 ぱちりと目を瞬かせた顔は驚きに満ちている。
 他人を蠅だ豚だと言う彼が、その呼び名を他者に向けている理由は簡単だ。かつて自分がそう呼ばれることで傷ついたのだろう。どれだけ傷つくか知っているから、他人を傷つけるためにその言葉を使う。決して本心から周囲をそう思っているわけではないのだ。
「逆、か」
「…なんなん」
 肩に触れた指を握る。
 幼い頃に何度もそう揶揄れた彼は、今も心のどこかで自分を蔑んでいるのだ。
「たとえお前本人だとしても」
 強く掴んだ指は、まだ銭湯の名残で暖かい。
「誰よりも前を見て、純粋に真直ぐ進むお前が虫である筈がない」
 掴んだ指先が小さく動いた。痛くない程度に手を緩める。
 蛾について、東堂は彼ほど詳しくない。知っている事といれば光に群がる事くらいだ。御堂筋は決して光に向かっていない。勝利やゴールを光と例える人間もいるが、御堂筋翔の目指す勝利は光ではない。
 光に吸い寄せられる虫ではない。誰より速く走る彼は光そのものだ。
「わかったか」
「…全然」
 脈絡のない言葉の羅列だ。伝わるわけがない。仮に言葉を順序立てて説明したところで、長く根付いた価値観を覆すことはできない。
「今はいい」
 時間をかけなくては人間の価値観は変わらない。解り合うことも難しい。その差を埋めることに東堂は喜びを感じる。大きければ大きいほどいいと東堂は思う。埋めるための時間も、長いほどいい。
「でも、二度と同じなどと言わないでくれ」
 階段を上がり、部屋のドアを開ける。玄関を入ってすぐ手を解いて抱きしめた。湯上りの香りがしたが、少しだけ冷めた髪が頬に触れた。
 最初から彼が同じだと言ったなら、きっと東堂は肩に止まった虫をはらい落としはしなかった。両手で包み、宙に放っただろう。
「同じやろ」
 羽を広げて飛んで行った姿を思い出す。同じだと言えばそうなのかもしれない。肯定すれば彼が幸せになるというなら肯定してもいい。
「違う」
 けれど貶める言葉だけは肯定してはいけない。
「二度と言うなと言っただろ」
 抱きしめる腕に力を込めた。強く握りしめれば鱗粉が落ち、羽が砕け、柔らかな体は崩れる。
 脆いところは同じだと思いながら、眼に浮かんだ水分を隠すために目の前の首に顔を埋めた。

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あきゅろす。
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