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千葉京都(兄安)
 毎週土曜の夜、千葉から離れて京都へ向かう。恋人の待つアパートへとは語弊があり、寒咲の恋人は部屋で出迎えてくれるような男ではなかった。男。そう、寒咲通司の恋人は男だった。

 始めはいい走りをする選手だと思ったが、それ以上に周囲への気配りに感心した。寒咲と同年代である京都伏見の選手と話をしていても彼の話はよく聞いた。人の話に真摯に向き合い助言をくれて、誰もが嫌がる仕事をくさらずこなす。走りも見た目も華があるわけではなくどちらかといえば地味な男の事を、寒咲は卒業しても忘れなかった。
 次の年、後輩のサポートで実家の車を出してインターハイへ行った時も無意識に彼を探した。目立たない選手だったが、新入生であろう顔の整った後輩はとても人目を惹いた。緊張している後輩の肩を叩く仕草が彼の優しさを表している。
 卒業から一年経ったインターハイで、彼は三年生になっていた。相変わらず地味だが、周りを気遣ういい選手で、後輩からとても慕われていた。新しく入ったであろう背の低い少年は彼と同じ色に髪を染めているようにも見えた。その年、京都伏見は9位になった。

 走りを見ていれば、その後自転車に乗って生きていくか、趣味にとどめるかが寒咲にはなんとなくわかった。寒咲自身怪我もあり自転車から離れたが家庭環境のおかげでレースに関わって生きていくことができている。
 きっと彼はレースから離れるだろうと寒咲は予感していた。懸命な走りはしかし、それ以上に他人への優しさが競争に向いていなかった。


彼と再会した時最初に出てきたのは「恋人いる?」という自分でも予想しない一言だった。


 合鍵を使い部屋に入る。散らかっているわけではないが綺麗に整頓されているとも言い難い部屋に入り灯りをつけた。玄関から廊下の間に脱衣所、風呂場があり、その横にトイレがある。突き当りが生活スペースになる部屋でキッチンも同じ場所だ。収納のある広いスペースで、机と本棚を置いても布団敷いてまだ少し余裕がある。生ごみだけは出した形跡があるがゴミ箱に溜まったゴミは先週最後に捨てた物が残っていた。布団は敷きっぱなしですぐわきに朝起きて脱いだであろうスウェットと、昨晩脱いだと思われる靴下と下着が転がっていた。作業着だけは脱衣所に脱ぎ捨ててある。拾い上げて洗濯機に放り込みスイッチを入れる。時間は遅いがまだ許容範囲だろうと決めて掃除機も引っ張り出した。会社の資料らしい物は床から拾ってなるべく順番を変えずに机の上にまとめ、ゴミ箱に入れるつもりで慌てて投げた様子の菓子パンの袋を拾う。集めているコミックは袋から出さずに部屋の隅に放ってあった。読む暇がないのは知っていたが袋の中で単行本派ビニルさえ剥されていない。剥して、本棚に並べてからこれでは忘れるだろうかと思い直して机の資料に並べて置いた。
 床から物をどかしたところで薄く積もった埃を掃除機で吸った。動線は綺麗な物だが歩かない場所は毎週埃が積もっている。毎日どれだけ同じ場所だけを使って生活しているのかよくわかる。
 入社一年目、高卒の彼は仕事ができる分雑用から何から命じられるままに引き受けてしまう。できないと言えばいいものの器用で物覚えが良く、人を観察する能力に長けているせいで仕事のほとんどはできてしまうから断らない。元々、断れない性分の人間なのだ。後輩に相談を持ち掛けられれば仕事の合間を縫って部に顔を出してやるし自腹で挿しいれもしてやる。一年目の研修など自分の事で手一杯だろうに彼はインターハイにまで応援に来ていた。

 再会した理由もそうだ。京都伏見の石垣を、はるばる関東まで車で送るだけの面倒な仕事を、自分の休みを返上してまで彼は引き受けた。寒咲もよくわからない収録で、石垣がどうやってここまで来たのか聞いて彼に会った。石垣に聞いた場所に行くと彼は車の中で眠っていた。小さな、けれど睫毛が特徴的な目がぱちりと開いた時、寒咲は何故か「恋人いる?」と聞いていた。眠そうな顔で彼は「いません、今は」と答えた。
 昨晩は残業で、ほとんど眠らずに運転してきた、と言った。京都に戻ったらそのままやり残した仕事に会社に戻ると聞いて、寒咲はつい食事に誘っていた。卑怯な手ではあるが、長距離の運転をさせたくなかった、というか休ませたかった。ウーロン茶とウーロンハイをこっそり入れ替え、飲酒運転になるからと言って強引に部屋に泊めた。酒に弱かった彼は仕事がとごちながらもあっという間に眠りに落ち、翌朝真っ青になっていた。元々休日出勤だったんだろうと言い聞かせ、その日は寒咲が二人を乗せて京都まで走った。帰りは新幹線を使ったが、どうしても交通費を出すと言う彼の横っ面をひっぱたいてから昨晩の言葉をもう一度繰り返し、それからもう一言付け加えた。恋人いねぇならオレと付き合えよ、と。

 深夜0時を過ぎた頃、ようやく恋人が帰ってきた。玄関を開けてすぐに上着を脱ぎ捨て、歩きながら作業着を脱ぐ姿に苦笑する。疲れ切った顔にまた少しやせた気がして舌打ちした。薄汚れた作業着を脱衣所に投げ、Tシャツとボクサーパンツのみでそのまま布団に直行していく。
「おかえり」
「…あ、来てはったんですか」
 毎週土曜は来ると約束をしているのに、安はいつも意外そうな顔をする。
「シャワーくらいあびれば。ていうか風呂沸いてるし」
 おおきに、と言おうとした口からあくびが漏れた。一刻も早く眠りたいのだろうが風呂に入った方が疲れがとれるだろう。脱衣所まで背を押してやり押し込んでからキッチンに向かった。掃除の後に焚いた米をお茶漬けにするために湯を沸かす。
 十数分経って、湯船に浸かっただけで出てきた安は髪を拭いながらすみませんと謝った。掃除や洗濯に気付いたのだろう。いいから食えと座った机の向かいにお茶漬けを出すが向かい側に座らず安は寒咲の隣に腰を下ろした。珍しい、と口に出す前に肩に頭が乗せられる。
「なに」
 めったにない恋人からの接触に柄にもなく緊張して短く言う。年若い男なのでそれなりに性欲も持て余しているが疲れている相手に無体を働くほど寒咲は悪人ではなかった。付き合い始めて半年以上たつが、毎週土曜に訪れて、行為に及んだのは片手で余る程だ。ほとんどは安が忙しすぎるせいだが寒咲の実家も繁忙期になればそれなりに忙しく、矢張り着いてすぐ眠ってしまったりして会話もせずに日曜朝に千葉に戻る事も多い。
 日曜日に、総北高校の練習がなければ寒咲は一日安の部屋に居るがテスト期間でもなければ練習はある。土曜の夜から日曜の朝までの短い間だけが、ふたりの逢瀬の時間だった。
「いいのかよ」
 どう見ても疲れ切っている相手に手を出すのは気が引けるが甘えられて我慢できるほど大人ではない。腰に回された手に手を重ね、せめてもう一度確認しようと振り返った。
「…だよなぁ…」
 すやすやと寝息をたてる顔に、落胆と安堵のため息をつく。抱きしめ、抱きしめられるとストレスが減るのだとどこかで聞いたことがある。安心しきって眠る顔はまるで充電しているようだった。明るい色の髪を撫で、布団に横たえた。
 特に腹は減っていなかったが冷め始めたお茶漬けを流し込む。机を本棚の傍まで移動して収納から半年前に買った布団を引っ張り出した。
 明日の朝、出かける前にゴミを持って行ってやろうと決める。どうせ、さっき捨てたお茶漬けの袋も持ち帰ってやらなければ来週までそこにあるのだろうから。

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