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pdr
空き巣(新御+悠人)

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浮いたあばらをなぞり、力の入っていないやわらかな腹筋を辿る。確かに筋肉はあるが、自転車で走るための最低限だけだ。
歪な体は、美しく均整の取れた兄の相手には相応しくないと悠人は思った。

 悠人の兄である新開隼人はよく出来た兄だった。見た目の美しさも、性格や運動能力も、頭だって悪くない。悠人にとって自慢の兄は、周囲だけでなく悠人本人にも理想の兄だった。
幼い頃から兄に憧れ、体質の違いで選手タイプは別れたものの同じ競技と学校を選んだ。自転車さえ揃いの物にした。幸い、新開家は裕福な家庭であったので兄の持ち物を欲しがる弟に対して両親は惜しみなく同じ物を与えてくれた。そうであったから兄と揃いの物を手にすることは幼い頃から当たり前になっていた。
二つとない物を悠人が欲しがった時、兄は躊躇いなく弟に譲った。食物であれば半分にしてくれる事を兄の友人に話したが誰も信じなかった。新開隼人が自分の食物を半分にして誰かにあげる事などないと言うのだ。食うかい、と差し出すパワーバーと違い、一人で食べている場合、兄はどうやら弟以外にわけ与えることはないらしい。特別な存在である自分が嬉しくなり、いい兄を持ったことに再度感謝した。
素敵な兄であったから、いつか恋人を連れてくるとしたらきっと美しい女性なのだと悠人は信じていた。想像しては兄をとられる淋しさと、架空の女性に対する嫉妬を感じていた。恋愛に夢を見ていると自負しているだけあり、兄が連れてきた相手ならきっと美しく可愛らしく、淋しさや嫉妬に耐えて認められるだろうと想像を繰り返し「いつか」に備えた。

一人暮らしを始めた兄の家に連絡を入れずに向かったのは悪戯心だった。驚く顔が見たかった。同じ大学に通う福富に聞いて講義もバイトもないことを確認していたのでアパートのチャイムを鳴らしても出てこなかった時、眠っているのかと思った。
悪いと思いつつドアノブをひねるとあっさり開いた。不用心だなぁと呟いて入った先で、悠人は息を止めた。
室内は未経験の悠人でもわかる程情事の気配が満ちていた。直前まで誰かが、ここで兄と体を重ねていたのだと目に写る情報で理解出来たが、頭がついていかない。部屋の奥に置かれたベッドから髪が見える。黒であるから、兄ではない。布団の膨らみから長身だとわかるが、一人分しかないので兄はすぐに戻るのもわかった。情事のあと、兄が恋人をベッドに残して外出している。そんなタイミングで部屋を訪れてしまったことに悠人は困惑した。
部屋にくる途中に見たコンビニに居たのだろうか。あそこに立ち寄っていれば。後悔したところで時間が巻き戻るわけではない。外に出て兄を待ち、素直に謝罪してから恋人を紹介してもらえばいいのだ。
事後でなかったとしても女性を起こしてしまうのは忍びない。物音を立てず早く部屋を出なければと思った。思ったのに、悠人の足はベッドに向かっていた。兄の恋人―その響きにどうしてもあらがえない好奇心がそっと毛布を捲った。


息が止まるかと思った。毛布を捲った先に居たのが知っている同性だったから、だけではない。うっすらと開いた真っ黒な目と視線が合ったから、だけでもない。悠人を視界に捕らえた彼が、しんかぁいくん、と声を出したからだ。
悠人は兄とよく似ている。体格こそ違うが、顔だけで言えば瓜二つだ。寝呆けた彼が見間違えるのも無理はないだろう。一度兄の名を呼んだ唇はすぐに目と共に閉じられる。
寝呆けた声に息が止まり、心臓が跳ねた。
無意識に毛布を捲ると何も着ていない体が顕になる。白い肌に残っている鬱血に、背中がぞわりとした。

 悠人にとって、誰よりも何よりも正しく強い兄が、つい先程まで愛を交わしていた相手。
 手首に残る手形に、彼が抱かれる側なのだと直感した。
 兄の腕力は知っている。けれど誰かの肌に痕を残すほど強く力を込める兄を、悠人は知らない。悠人が欲しがるものを兄は未練なく分け与え、譲ってくれた。だから悠人は兄が何かに執着するのを見たことがなかった。強いて言えば、レースで兄は人が変わるような走りを見せる。勝つための豹変すら、兄を尊敬する要因だったというのに、誰かを欲している事実を突き付けられてひどく動揺した。
 相手が期待していた人物像とあまりに違うからだろうか。

 女性でもなければ、美しくも可愛らしくもない。自転車のために歪められた体は、醜いとさえ思えた。
 思わず鬱血に手を伸ばすと、一度閉じた目が開きかける。
 

「バレちまったな」

 背後から聞こえた声に肩が跳ねる。ドアの開く音も足音も全く聞こえなかった。謝らなければ、そして聞きたいことが山ほどあると思うのだが声が出ない。振り返る事さえできない悠人の背後から、久しぶりに見る逞しい腕が伸びて横たわった彼の目を片手で覆った。
「…なん」
 突然目を塞がれた彼が、眠そうな声で抗議する。
「なんでもない。まだ眠いだろ。眠ってていいよ。もう一回したいなら俺はいいけど」
「……」
 悠人の背後から両手を伸ばし、片手で目を多い、逆の手で毛布を少しずらした。不可解な兄の行動に背後を見ると毛布から離した手で口元に人差し指を当てていた。親に悪戯を隠す時の仕草と同じだった。
 鬱血に伸ばされていた手首を掴まれ、そこに導かれる。触れた肌は矢張り感触がいいとは言えなかった。
 耳元に唇を寄せられ、悠人にしか聞こえない声で「ごめんな」と兄が言った。何に対しての謝罪なのか解らなかった。

 掴まれた手に導かれるままに 浮いたあばらをなぞり、力の入っていないやわらかな腹筋を辿る。確かに筋肉はあるが、自転車で走るための最低限だけだ。
歪な体は、美しく均整の取れた兄の相手には相応しくないと悠人は思った。

 兄に相応しくない体に毛布をかけ直し、背後を振り向かずに悠人は小さく「いいよ」と呟く。何に対しての赦しなのか、恐らく兄にもわからないだろう。
 隠されていた事なのか、相手が彼である事なのか、期待していた相手からかけ離れていた事なのか、悠人にもわからない。
 ベッドの上で寝息が聞こえ始めてから、悠人は突然訪れて勝手に部屋に上がった事を謝るために振り向いた。

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