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※もし明日(新御
 あと数時間で世界が終わるならば、などという子供じみた妄想に新開はいつからか取りつかれていた。

 自覚はあったので口にしたことは一度もなくふとした瞬間に空想を重ねては人知れず心の奥に結末を綴った。

 たとえばそれは授業中であったりレースの前であったり、実家に戻った夜であったり、友人や仲間との他愛のない会話の中だった。どこに居ても目の前の存在を失う恐怖や最後に会いたいものを選べない優柔不断な自身を痛感してばかりで、結果いつも綴られるのは途方に暮れ街を彷徨う最後ばかりだ。

 高校最後のインターハイで出会った少年は途方に暮れ街を彷徨う結末を劇的に変化させた。


 一週間で世界が終わるならば人間はどう生きるのかという小説を手にしたかつての仲間を見て、新開は心臓が不自然に跳ねるのを感じた。

「珍しいな。靖友でもそんな本読むんだ」

「おめぇそれ遠まわしに失礼なこと言ってネェか?」

 読書量の少なさを揶揄されたと勘違いした荒北が不機嫌な目で新開を見た。後輩の参加する小さなレースに偶々集まったメンバーで食事をと企画したのは過去そこにいなかった金城だった。運良くレース会場から近かった新開は喜んで足を運んだ。今は荒北と共に走っているからだろうと察したのは福富だ。一番乗りで席に着いていた東堂は大人しく携帯電話を見ているがやや壁際に追いやられた形跡が見え、読書に集中したがった荒北に騒がしいと怒鳴られたのだと解った。

 テーブル席と座敷席に分かれた飲食店で座敷を選んだのは東堂だ。全国チェーンのファミリーレストランとはいえ和風のメニューも多く店内の設えも落ち着いている。座敷席には他に客がおらず普段煩い東堂が口をつぐんでいるせいかテーブル席からの声以外はほとんどしなかった。

「発売した頃に新聞で紹介されているのを見たな」

 荒北の向かいに座った金城が、背表紙を見て本の話題を振った。文章に没頭している荒北は話しかけられたことに気付いていなかった。代わりに金城の隣に座った新開が運ばれてきた水を半分飲んでから返事をする。

「俺も宣伝で見たことあるけど読んではいないな。どんな結末なんだ?」

「いや、俺も読んではいない。興味深いテーマだとは思うが」

 興味深いテーマ、と聞いて新開は一瞬言葉に詰まった。注文する料理を決め、店員を呼ぶまでの短い沈黙の後、先に声を発したのは福富だった。

「どんなテーマなんだ?」

 店員との会話を終え本から意識を離していた荒北が裏表紙のあらすじを音読した。

 もし一週間で世界が終わるなら。そう仮定した世界の中で生きる人間の短編だった。

 食事の間は後輩のレースの話で盛り上がり荒北の読んでいた本の内容を思い出す人間は一人もいなかった。音読の後に僅かだがもしも世界が終わるならその前に何をしたいかという問答はあったものの料理が運ばれてくれば話題は一変し東堂の喧しい声と慣れ親しんだ仲間の声、それから過去にはなかった金城の声で他に客のいない座敷席は満員のように騒がしくなった。

 例えば世界が今終わるならばそれもいいと思ったことはある。仲間と他愛のない会話をし、くだらない冗談で盛り上がって美味い食べ物を食べる。高校三年の夏を超えるまでは新開にとって世界の終わりを迎えてもいいひとつの時間だった。けれどきっと家族や大切なペットや、あるいは他のチームメイトを思い浮かべては選べずに駆け出してしまっているだろうとも思っていた。

 食事を終えて別れた後、家に戻る道を一つ外れて書店に寄った。大きめの書店だったので荒北の読んでいた本はすぐに見つかった。人気作家だったのであるだろうとは踏んでいたがあらためて見つけると手に取るのは躊躇われた。というのも高校時代一度読んだからだ。当時はまだハードカバーしかなかったなと小さな文庫本の背表紙を眺めてからためらっていた手を伸ばして青い背表紙を引き出す。あらすじを見て、数枚だけ捲って目次を見る。

 七編で構成された本文は目次を見ただけでは記憶の付箋を辿れそうになかった。結末だけでもと最後のページを開こうとした手は、しかし無意識のうちに本を閉じていた。仔細は覚えていなくとも希望は少なく、けれど絶望だけではないストーリーだったことは覚えていたせいかもしれない。たとえ世界が終わるとしても普段通りに日常を過ごす人間とそうではない人間を、鮮やかな描写で描いた心地いい物語だった筈だ。

 書店からの帰路はさほど長くない。遠回りを決め、駅に向かった。少し歩いて普段の妄想をめぐらせるつもりがポケットに入った財布を開き札の枚数と小銭を確認していた。財布と逆のポケットから出した端末で滅多に呼び出さないアドレスを表示する。短い文章を送れば数分もしないうちに返事が届く。マメな男だと感心し、もう一度短い文章を送信した。財布をポケットにしまう。最終の列車で向かう覚悟はいつの間にか出来ていたが返信を見て必要はなくなった。


「誰から聞いたん」

「キミの先輩」

 御堂筋の泊まっているホテルは駅前の小さなビジネスホテルだった。大会の性質上学校ぐるみで来ているとは思えなかったが彼の学校も幾人か卒業生が応援に来ておりそのうちの何人かと新開は過去にアドレスを交換していた。誰も皆、新開の目的を知らず質問に疑問も持たずに返事をくれる。御堂筋自身も突然の来訪者に不機嫌を露わにこそしたが邪険にはせず入れてくれと頼めば渋々とドアを開いた。

「今日のレース見てたぜ。おめでとう」

 後輩を応援に来ていた新開の言葉に嫌味かと御堂筋の目が一層不機嫌な色を増す。レースの最中や出走前と違い御堂筋の大きな口は重かった。疲れもあるのだろうがそれだけでないことを新開は知っていた。

 高校最後の大会を終えてから一度だけ、新開は御堂筋を訪ねて京都に向かった。本人には伝えず仲間や家族にも言わず。それこそ自分でもあまりに突飛な行動に驚いたほどだった。気付けば新幹線に飛び乗り車中で高校の場所を調べていた。

 遠くから御堂筋を見つけて初めて何故ここにいるのだろうと行動の衝動性を非難した。私服の新開に御堂筋をはじめ京都伏見の人間は誰も気付かなかった。遠くから見ていただけなので当たり前ではあったが意識して新開が隠れたのも一因かもしれない。御堂筋翔という人間がなんなのか、二日目のリザルトラインを超えてからずっと何処かで考えていたのだと制服で帰り道を歩く薄い背中を見て知った。

 御堂筋翔は至って普通の男子高校生だった。レースの為に賭けているものが他者が占めるよりも少し多いだけだ。

 夏の終わりが差し迫った道は夕日に混ざって夜の香りが早足で迫ってくる。京都伏見から御堂筋の家までの道が長いか短いか新開には解らなかった。前を行く御堂筋の背ばかり見つめて景色は何一つ覚えていない。首筋や制服や鞄、それから乗らずに押している愛車に当たる夕日の角度や風になびく短い髪ばかりが記憶に残っている。

「疲れてるとこ悪いんだけど、どうしても聞きたいことと言いたいことがあって」

 簡素で狭い室内には部屋同様に狭いベッドしかない。荷物のほとんどは先に送ったようだった。窓も小さくブラインドが下がっているせいで僅かな息苦しさを覚える。

「もしもあと数時間で世界が終わるとしたらさ、御堂筋くんはどこにいって、なにする?」

 唐突な質問に、背を向けて携帯電話を弄っていた顔が半分新開に向けられた。丸く真っ黒な瞳がぱちりと瞬くのがやけにゆっくりに感じる。馬鹿な質問をと一蹴されるのも解っていた。案の定大きな瞳は半分伏せられたまま新開の質問に答えず液晶に戻った。

 ラフな服装の御堂筋を見るのは初めてだった。真っ黒な服が似合いそうだと予想はしていたが長袖のシャツもハーフパンツも黒く、自転車競技で炎天下を走っているとは思えないほどに白い肌が嫌に際立っている。ベッドサイドの明かりだけで照らされた室内で御堂筋の手が液晶を閉じてしまえば新開の目が反射の光を取り入れるのは色素の薄い肌だけだった。

 もう用がないのなら帰れ、と薄い唇が吐き捨てる。御堂筋の脳が占めるのは自転車のことだけだ。くだらない妄想などしたことはないのだろう。

 新開も、練習やレースに没頭していれば子供じみた妄想に取りつかれる隙は減る。しかし減るだけで僅かな気の緩みを見つけては繰り返し街を彷徨う自身を何度も綴っている。

「言いたい事、はぁ?」

 帰れと言いながら新開の最初の言葉を覚えていたらしい御堂筋が用件を済ませるために沈黙した来訪者を覗き込んだ。細長く特異な体躯を自覚している御堂筋が意識してゆらりと覗き込めば細長い植物を彷彿とさせる。威嚇し、相手に畏怖の感情をいだかせる動きだ。

「もしもあと数時間で世界が終わるなら、て思ってここに来たんだ」

 虚勢だ。自転車の占める割合が多い彼の精一杯の虚勢。部屋へ入れた事を後悔しているのも薄々解る。距離を詰めて脅かすつもりだった目が僅かに揺らぐ。間近で見て初めて新開の瞳に隠れた不穏な色に気付いたのだろう。

「最後の数時間過ごすならキミとがいいって思ったんだ」

 新開の言葉に咄嗟に引こうとした御堂筋の両肩を掴み引き寄せる。

「御堂筋くんの中はさ、自転車でいっぱいだろ。最後の短い時間だけでも俺で満たせたらって」

 御堂筋の身体がびくりと跳ねる。強張った身体を無遠慮に抱きしめる新開の腕は小さく震えていた。

 レースで疲れた御堂筋の腕力は本人の意思を顕わせないほど弱かった。新開を押し退けるどころか逃げ出すだけの力も出せずに倍近く違う筋肉量にねじ伏せられた。

 拒絶の言葉を吐く間も与えず、過去に経験もない筈の新開の腕は的確にかわいそうなほど無力な体を乱暴に暴いた。

 掠れた声が響くたびに新開の内に遥か前から存在していた空想を彩っていった。あと数時間で世界が終わってもなんの後悔もない。空想の甲斐と言うべきか新開は常に後悔を抱かないようにして生きてきた。たった一つを除いて。

 悲鳴にも懇願にも似た御堂筋の言葉は最早言葉として意味を成していない。新開の分厚い掌が骨ばった腰を掴み揺さぶるたびに聞こえるのは泣き声と変わらない。

 薄く細い内側を満たす。あと数時間で世界が終わる。そう思うとどれだけ吐き出しても足りなかった。

 世界が終わらないことを大人になった新開はとうに知っている。犯してしまった罪が数時間後に世界ごと消えないことも知っている。知っていて部屋に来た。何も警戒せずに扉を開けた少年を組み伏せた事実も消えてなくならないと知って行動した。

 なくならないと知っていて起こした行動は、恐らくそうだったからしたのだと新開は眠りに落ちた身体を見て確信した。

 残りわずかな時間を彼で満たすための疑似的な心中をしながら、この先長く続く生の中で彼が決して自分を忘れないように刻み込んだ。

 あと数時間で世界がおわらなくてよかったと、心から思って初めて新開は朝を迎えた。


2016.11.11

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