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▼※新御ワンライ(新御)
2月13日「【大学生と高校生】【チョコレート】【「カタいね」】」

 チョコレートは人肌で溶けるように出来ていると昔なにかの本で読んだ。漫画だったかもしれないし小説だったかもしれないし、或いはインターネットの掲示板だったかもしれない。
 思い人の心も、人肌で溶けてしまえばいいのにと熱くなった掌を薄い腹に這わせて新開は思った。
 殺し切れない甘い声が漏れ、新開を飲み込んだ箇所がぎゅうと締まる。甘いのは声だけではない。部屋に充満する香りもそうだ。行為の最中の汗の香りを打消し、胸やけがするほどの甘い香りが充満している。
 御堂筋がどれだけ嫌がっても、新開が頼み込み、強請り、最終的には腕力に物を言わせて行為を強行する。今日もまた、2月だからと大量に買い込んできたそれを温めた牛乳で溶かしてから「これ使うから」と言って逃げ出そうとした細長い腕を捕まえた。
 細長い、子供の腕だと新開は思う。たった二歳の差、同じ学生でありながら大学と高校の壁はそれなりに厚かった。互いの筋肉の差もあるが並んでみればはっきりわかる。大人と子供、新開にもまだ成長の余地は残っているものの、御堂筋の薄っぺらい体に比べれば確りとした大人の男の身体だ。並んで、比べるだけではない。腕を掴み、引き寄せて押し倒し、抑え込めばもっと解る。歴然とした差。
 空気を震わせて鳴く声に可愛いと告げる。真っ黒な瞳に睨まれて肩をすくめた。僅かな動きにつながった箇所が刺激されて思いがけない悲鳴を上げた。滑稽で可愛らしい。
 好きだと告げてもまともな返事を返してくれない。交際が成り立っているかも曖昧で、けれど非力な子供を抱き寄せるのは容易だ。快感さえ与えてやれば始まりが合意でなくとも終わりには苦々しい顔で次はないとだけ吐き捨てる。何度も何度もだ。力技で適わない御堂筋は新開が飽きるのをただじっと待っているのだ。
 大学に行って人付き合いが広がれば、新開ならばきっと可愛らしい彼女ができる。高校卒業前に想いを告げた新開に、御堂筋は確かにそう言った。それから御堂筋が卒業を控える今日まで、新開にはついに可愛い彼女はできなかった。
 薄い腹の上で溶けた菓子を指で掬う。僅かな感触に眉を寄せる顔は快感に溶けながらも新開を受け入れてはいない。見た目に反して柔らかな筋肉と関節は、甘ったるい菓子によく映えた。
 同じように人肌で溶けてしまえばいいのに。どれだけ熱を加えても溶けることのない強固な部分。行為で上がった体温を吹きかけるように、新開は熱い息を吐く。熱のこもった吐息は、しかし想いの届かない溜息と少しも変わらなかった。





2/20新御ワンライ【兄弟(妹)】【ファミレス】【「プクッ」】

「それ、一口くれよ」
 なんの気なしに告げれば機械的にスプーンを動かしていた腕が止まった。大きな瞳がじろりと見つめてくるので首を傾る。怒らせるような事をした覚えはない。今日は休日だからと昨晩から彼の家に押しかけたのは確かに悪かった。悪かったが彼の居候先である久屋の人間は皆歓迎してくれていたし、手土産も確り持っていった。特に義理の兄と妹であるふたりは新開の来訪を心から喜んでいた。友達の少ない御堂筋が連れてきた、正確に言えば新開が押しかけたのだが、友人として歓迎された。歓迎され、話に花が咲いて終電を逃して泊めてもらった物の御堂筋も反対はしなかった。母屋に泊まれという家人の言葉を丁重に断り御堂筋の暮らす離れに布団を運んだ時もそれほど拒絶はなかった。
「…いいだろ。最後には御堂筋くんだって喜んでたんだから」
 視線だけではなく、テーブルに備え付けてあった使い捨ての布巾が飛んできた。重みのない物体を避けるのは難しくない。ソファに落ちた薄い布巾を拾って顔を上げれば御堂筋は完全に新開を意識の外に追いやって半分以上食べ勧めたグラタンと向き合っていた。
 二人きりになった途端耐え切れずに組み敷いて貪った事実は確かに反省に値する。けれど新開が想いを告げてから半年以上経った今、二人きりで布団を並べて何もない等と判断するのは小学生でもあり得ないのではないか。
 広いとは言い難い部屋は意外にも防音に長けており、確認するなり新開は遠慮なく御堂筋の声を抑える努力を乱暴に剥ぎ取った。悲鳴に近い嗚咽が漏れ、繰り返すうちに聞こえなくなってもっと声を出せと興奮混じりの言葉を投げつけて初めてそれが枯れている事に気が付いた。その頃には御堂筋も拒絶を忘れて新開の腰に細い足を絡め、唇を合わせれば薄く長い舌で応えていた。
 歯に蘇るざらついた肌の感触を思い出し、上唇を舐めるとがちゃりと食器が鳴った。
「あれ、もう食わねぇの」
 掠れた声が返事をするのを待つがこげ茶色の食器に置かれたスプーンは動かない。大きな瞳が新開を捉え、テーブルに視線を落とす。どう見ても怯えた仕草にもう一度首を捻るがすぐに思い当たって目を細めて思っても居ない謝罪を口にした。
「悪い。別に今すぐどうこうしようって気はないから」
 ものほしそうな顔をしてしまった。口元を抑えて極力優しい声を心がけるが昨晩の記憶が新しい彼には無意味だったようだ。
 普段であれば正面から覗きこんで新開が何かを強請れば小ばかにした口調で一蹴する癖に完全な被食者になってしまっている。申し訳ないと思うと同時に可愛い、もっと言えば可哀想という感情がふつふつとわき上がってきた。
「いつもみたいに笑えばいいのに」
 口元を抑えていた手を放し、頬杖をついて怯えた瞳を覗き込む。
「御堂筋くんの笑う顔も声も、好きだよ、俺」
 今度は確りと自覚して唇を舐めた。物欲しげな仕草に、御堂筋が残り少なくなったグラタンの皿を新開に向かって押し出したのを見て思わず吹き出していた。







2/27新御ワンライ【こい】【春の夜】【「それは、オレも同じでね」】


 
 窓を震わす強い風に、腕の中の身体が震えた。
「大丈夫だよ。春の嵐だ。悪いものじゃない」
 怯えた目が新開を見上げてから大きな音を立てる窓に向けられる。自由をなくした肢体では彼の脳内に存在する脅威から逃げられない。
「こわい?」
 覆いかぶさっていた上半身を起こし、薄い肩に腕を回して抱き上げる。しっとりと馴染む肌の感触が心地良い。肩から腕、肘までの白い肌をなぞる。日焼けを忘れた皮膚は以前よりずっと滑らかだ。肘から先の箇所に巻かれたざらりとした包帯に触れる。その先に存在したはずの骨ばった腕、膝の先に存在していたはずの必要なだけの筋肉のついた脹脛が今はない。
 こわいと薄い唇が動く。彼が怯えているものの正体を新開は知っている。徐々に奪われていく自由を更に奪っていく存在。恋焦がれすぎて奪って行った悪魔が、自身を抱く腕だと判断できるだけの理性が虚ろな目には残っていない。
 ガタ。震える窓に抱いた身体がまた強張る。
「おれも」
 誰かに奪われることを恐れたのは新開も同様だ。だから奪い、隠した。冬の間に交流を極端に減らす隙を狙った。
「俺も怖いよ」
 どこかに行ってしまうのが、奪われてしまうのが。たまらなくこわい。
 春が来て、彼が自由に羽ばたける道と翼を取り戻してしまえば新開の方など少しも見ずに遠くへ行く。追いつけない速度で。
 強い風が吹く。まだ足りない。恐怖を払しょくするために、また彼の一部を取り込まなくては。自身の一部にすることで安心感は増し、どこにもいかないと実感する。
 悲鳴に似た強風が聞こえる。既にまともな声を出せなくなった彼の声か、彼への思いを形容できない自身の声にも聞こえた。

2016/02/27





3/11新御ワンライ「緑の黒髪、あの展望台、「遅ぇぞ(語尾不問)」」

 他の箇所に必要のなくなった栄養が行き届いた髪はかつての荒れた枝毛まみれからは想像もできないほど黒々と輝いていた。みずみずしく手触りもいい。動かなくなった薄く白い身体は観葉植物や熱帯魚と変わらない。植物と言うには生々しく熱帯魚と呼ぶには滑らかすぎる肌。
 開かない窓から外を見る黒い瞳は明確に何かを映さない。映さなくなったのは新開の言葉を聞かなくなったのと同じころだ。
 生活に困らないよう何もかもを与えた新開に、何もいらないからここから出せと御堂筋は言った。それだけはできないと答え、彼の身体が自転車に乗れないようになるまでドアを開かなかった。逃がさないようにあらゆる手段を用いる男が本気であるとかわいそうな獲物はしかし、危機を察知するのが遅すぎた。罵倒は懇願に変わり、最後に疑問になった。何故、どうして、縋りつく言葉と視線にようやく救われた。
 真っ暗な海の中で目印もなく彷徨っていた。射した光を道しるべにして戻って来れた。光は一瞬で通り過ぎ、真っ暗な海原に再び残されてしまった。海原を遭難していた迷い人を救ったと想えた灯りは誰かを助けるサインではなく自身の行く先を見通すための展望台の照明だった。
 けれど、と新開は思う。けれど本人の意思がどうであれ示した先に救いを見てしまった。救いがなければ生きていけない。悪天候の中どこへ向かえばいいのか解らず向かう方法も見失っていた遭難者にとって手放すことは死に等しい。手放して消えないように捕まえて、光がこちらを向くまで。長い時間だった。もっと早くに方法に気付いて実行すればよかった。手にするまでの間に何人もの人間が彼に光を見てしまった。自分以外の誰かが、自分と同じように救われた想像をするだけで胸がむかむかする。呑気に進学し、大学生活を安穏と送っていた自分を思い出して吐き気すら覚えた。
 嘔吐感をやりすごし、口元を抑えていた手をゆっくりと放す。深呼吸をして未だ窓の外に目を向けている頼りないカラダに手を伸ばした。手触りのいい髪と肌は、もう自転車乗りのものではなくなっている。柔らかい感触に安堵して胸に湧く不安を打ち消した。

2016.3.12





3/19新御ワンライ【鬼ごっこ】【フェイントとはったり】【「バァ」】

 そのルールは誰でも知っている。捕まえたら、次は逃げる番。捕まえられたら、次は追う番。獲物が鬼になり、鬼が獲物になる。
 捕えられない限り、交代は永遠に訪れない。あの日捕えられて交代して以来、新開はずっと鬼のままだ。いつまでたっても逃げる獲物を捕らえられない。

「ぁ、あ」
 かわいそうな肌が粟立ち香りの薄い汗が噴き出す。練習で流し切った余分な汗にはまだ僅かな香りがあった。シャワーを浴びて部屋に戻った絞りカスの腕を掴みベッドに放り投げた。ペダルを回す前までは新開を極力避けているくせに走り出すと頭の中から要らないものは全て消し去る。昨晩体験した恐怖すら。
「−、いった、ぁっ…う、や」
 必死に首を振り快感を逃がす姿に唇を舐めた。毎日のように教え込んだ体は新開の指を拒否できない。だというのに、数時間もして部屋を出てサドルに跨って風を切れば全て忘れる。どれだけ手を伸ばしても交代は訪れない。
 勝利を求めて走る姿を尊敬しないと言えば嘘になる。他ごとに目を向けずあらゆる誘惑を断ち切って生きる姿は美しい。自身を陥れた策すら少しも卑劣さを覚えなかったのはひとえに生き様のせいだろう。生き方そのものが彼が全身を掛けて作り上げた張りぼてであり見せかけで虚勢だ。
 追う側の彼は恐ろしかった。恐ろしく強く、美しく、敵だというのに頼もしさを覚えた。追われる側になった今、それでも道の上であれば最初の印象と少しも変わらない。違うのはハンドルから離れた手とクリートを脱ぎ捨てた足だ。弱弱しく醜く脆い。大きな瞳に溜まった涙は生理的な嫌悪だけではない。
「ひ、っ」
 息を呑む声は明らかな怯えを含んでいる。絶対的な腕力差への恐怖。それから
「なぁ、気持ちいならもっとそういうカオしてくねぇかな」
 痙攣する太腿も跳ね上がる腰も物語っている感覚をかわいそうな子供は決して認めない。適わない力にだけではなく、自転車以外を入れる隙のない頭で理解できない体の反応への恐怖をだ。
「ぃ、や、」
 しゃくり上げる音に苦笑して、子供をあやす仕草をしてやる。卑猥な空気に似合わないおどけた行動に見下ろした顔が一瞬硬直した。呆気にとられた顔が正気を戻す前に骨ばった腰を両手で掴んだ。
 喘ぎと呼ぶには色気の少ない声が響き、未だ本当の意味で腕の中に捕えることのできない体が達した。
 換わるのが先か、喰らい尽くすのが先か、夢中で貪る鬼にはわからなかった。

2016.03.19



3月26日新御ワンライは【ゾンビ】【箱学と京伏】【「男の子やろ(語尾不問)」】

「ゾンビって例え、結構的確だと思うぜ」
 行為に不釣合いな言葉に、見上げてくる瞳に疑問の色が浮かんだ。
「覚えてない?初めて一緒に走った大会でキミが言ったんだぜ」
 一度落とした相手が這い上がってくる様を御堂筋はそう表現した。他の選手がどうあれ、新開は間違いなく御堂筋に砕かれ殺されてスプリントリザルトのゴールに亡骸を埋めた。仲間のためにと絶望を隠し走り続けたが、彼の表現した生ける屍という言葉は確かに新開に当てはまった。
「靖友や真波がいなかったら土の下から出て来れなかっただろうなぁ」
 しみじみと語る声に反論したいであろう唇からはくぐもった音が漏れる。噛ませた布に吸い込まれ、唾液と一緒に虚しく染みるだけだ。
「あのチームだったから生き返れたんだよ。たぶん」
 皮膚に食い込む縄が赤い痕を作っている。痛そう、以上に喉からせり上がるのは比喩と同じ屍が抱く欲望と同じだ。
「たとえば俺がキミと同じ学校だったら、それはそれで楽しかったかもしれないけどきっと左側を抜けないって欠点は克服できなかった」
 両手足を少しも動かせない縛り方をした。どれだけ不快でも抵抗はできない。
「だから俺たちはあの形で出会うのが一番だったんだ。」
 縄が締め上げ、盛り上がった肉に舌を這わせる。張り詰めた皮膚がつるりとして心地いい。ぴんと張ったそこは、少し亀裂を入れてやれば簡単に裂けて内側が溢れてくる。無意識に喉が鳴った。
「なぁ、ゾンビって人間の肉を食べるんだよな」
 見開いた目に涙が溜まる。怯える顔に益々喉が渇き胃袋が痛いほど軋んだ。
「すこしだけ」
 食欲と性欲に大差はない。縛り上げて犯している体を食みたくなったとしてもおかしくない。正常だ。
「すこしだけだから」
 興奮と緊張で、泣きそうな顔を見下ろしている自分が先に泣きだしたと気付くのが遅れた。大きな水滴をぼたぼたと零す新開に、それまで怯えていた御堂筋の目に僅かな呆れが含まれる。
 オトコノコのくせに、とでも言われている気がしてこの先の行為に矢張り不釣合いな乾いた笑みを漏らしてしまった。

2016/03/26



新しい○○、ホントはウソ、「かぶってねーーーよ(語尾不問)」

 揃いで買った二人分の食器はまだ未使用だ。二人で囲うはずだったテーブルも、未だ本来の目的で使われたことはない。
 新品同様の家具の中で寝具だけが唯一使いこまれている。
「んっ、ん」
 跳ねる腰を押さえ、内側に欲を吐き出す。数日かけて慣らした身体は内側の絶頂につられて意識を飛ばした。
「…っ、ほんとはもっとゆっくり進めるつもりだったんだ」
 埋め込んだ性器を抜いて、意識を無くした頬に触れる。交際を申し込み同棲を了承された日は柄になく舞い上がっていた。まるで恋する乙女のように。
 歳も違い生活時間の被らない中で関係を育む難しさは理解しているつもりだった。多少のすれ違いも軋轢も受け入れられると思っていた。同棲初日、御堂筋が何の気なく口にした言葉に自身が夢見ていた生暖かい希望が嘘だったと気付かされるまでは。
 本当に無意識に、悪気なく御堂筋は新開の過去の恋愛関係を口にした。揃いの食器や家具の配置を見て、慣れとるね、と。
 過去に恋人がいたことも同棲経験があったことも事実だった。否定をする必要はなく慣れてるって程じゃないけどと軽く返すつもりが新開にはできなかった。
 何が許せなかったのか、縛り上げ寝室に閉じ込めた御堂筋が泣いて許しを請い始めた頃ようやく自覚をした。御堂筋はかつて新開が交際した女性と御堂筋自身を同列に語った。どうしてもそれだけが許せなかった。
「ごめん」
 汗に濡れ額にはりついた髪を梳き唇を寄せる。
 血の気のない顔に沸いてくるのは口から出た謝罪とは真逆の薄暗い感情だけだ。拘束を解いて意識のある彼に謝罪して改めて同棲を再開するのは不可能ではない。けれど、自分はきっとそうしないと確信がある。一度超えてしまった境界に内側に有った真実を知ってしまった。したかったのは夢に見た生暖かい同棲ではない。
「ごめんな」
 聞こえていない謝罪は、眠り続ける彼にではなく恐らくこの先使われない新品のままの家具や揃いの食器に対してだったのかもしれない。

2016/04/02




4月9日新御ワンライ
【歯磨き】【蠍座の男】【「どっちにするゥ?」】

  ラジオから流れてくる懐かしい歌に目を細めた。サビならば誰でも一度は耳にしたことがある。懐かしい、そうは言っても新開も目の前の男も歌が流行した当時には生まれてすらいなかった。歌詞を全て聞くのは初めてだった。
 床に落ちた小さな彼の私物が視界に入る。つい先程まで念入りに口内を磨いていたプラスチックの歯ブラシが今は床で価値を見失っていた。新開の言葉が耳に入らないほど手入れに集中していた背中に忍び寄った。足音はラジオで曲名を紹介する陽気な声に隠した。
 幼い頃耳にしたサビは不思議と頭に残らなかった。他の歌詞を始めて耳に入れ、自身の行為を肯定されている気がして脳が痺れた。
 洗面台に縋りつく薄い掌が震える。とっくに終わった曲の歌詞が何度も頭の中で繰り返された。
 鏡に映った歪んだ泣き顔と、泣き顔に覆いかぶさる自身の欲に歪む顔。
 繰り返す歌詞の指す言葉が入れ替わっていく。新開の記憶を揺さぶり絆を汚して負けを知らない経歴に傷をつけた。勝利だけを求めたばかな子供。笑ってくれと強く願う。
 大学の構内で観察してあとをつけ、練習の最中に隙をついて鍵を抜き取り合いカギを作った。一人暮らしのアパートに忍び込むまでの間後悔しなかったと言えば嘘になる。明確な犯罪行為。発覚すれば失うのは自身だけでは手におえない全てだ。
 いのちがけ
 分厚い唇から漏れた五文字に、思わず笑いが漏れた。どこに居ても、それこそ地獄のはてであっても構わないと、崩れ落ちた身体を引き寄せて新開は記憶にある歌を小さく繰り返した。

2016/4/8

5月7日新御ワンライ
【チャームポイント】

 相手の一番好きな場所をあげろと言われた。壁も天井も真っ白で窓もドアもない部屋の中、告白をして断った相手―御堂筋翔と二人きり。突然の指令に新開は面食らった。
「好きな場所ぉ?ないわそんなん」
 言うと思った、とは口にせず部屋を見回す。出れそうな場所はない。加えて唐突な質問。現状打破をするにはどこからか聞こえてくる声の言いなりにならなければいけないのは一目瞭然だ。質問の答えを、目の前で退屈そうにする少年を見つめながら考える。
 短い質問の文章を頭の中で繰り返す。場所、と言うからには彼の内面にどれだけ惹かれていても正しい回答にはならない。目で見て、手で触れられるどこかだ。端的に言えば新開が御堂筋を魅力的と感じる部位。
「…目、か、唇かなぁ」
 新開の声に連動するように、真っ白な壁に黒く細い線が走った。見る間にドアの形になったそれには、しかし取っ手がない。御堂筋の回答が足りないからなのかと首を捻ると同時に、部屋で意識を戻した直後と同じ声が頭に響いた。
 暇を持て余し膝を抱えて取っ手のないドアを見つめている御堂筋には声は聞こえていないようだった。
「御堂筋くん」
「なに」
 すぐ隣に腰を下ろしても視線をよこさない。やはり聞こえていないのかと嬉しいような残念なような気持ちになる。
「今の、聞こえた?」
「好きな部分をあげろってやつぅ?」
 聞こえていない。最初の質問しか聞こえていない御堂筋は新開の手を振り払おうとはしない。気付かれないように極力優しく肩に手を回し、煩わしげな視線を苦笑いで受け止める。
「ここから出たい?」
「当たり前やろ」
 間髪入れずに返ってくる答え。
「これ、夢だと思うんだよね。現実感ないし」
「はぁ」
 真の抜けた声にある確信が沸いた。現実感のない夢であるにも関わらず、御堂筋の反応はどこまでも御堂筋で新開の望んだ通りにはいかない。彼は間違いなくここにいる。京都と箱根の距離はあれど、恐らく今自分と彼は同じ夢を見ている。
「きっと聞いたら目が覚めると思う」
「ふぅん?」
 相槌を返すのも面倒なのか御堂筋の返事は雑だった。
「起きた時覚えてたらいいのに」
 覚えていたら、きっと御堂筋にとって悪夢に違いない。自分にだけ聞こえた指令を実行するべく、新開は抱いていた肩を掴みなおして床に引き倒した。驚いた瞳に、ああやっぱりこれは俺の望んでみている夢ではないなと確信しながら。

 『回答した部位を破壊してください』

2016/05/07





5月14日新御ワンライ
【デート】

 こんな風にゆっくり出かけるなんて引退するまで考えられなかったね。返事をしない恋人に語りかける声は自分でも随分柔らかくなった気がする。

 先に引退した自分と彼とではうまくいかないことの方が多かった。元々人とのなれ合いを嫌う恋人は交際自体を否定している節があった。こちらから申込みかろうじて続いていた関係はとても恋人と呼べるような営みはなく伸ばした手は叩き落され囁く言葉は右から左だった。口論すら起こらず手ごたえのない虚しい独り相撲をずっと続けてきた。
 彼が自転車から降りて初めてゆっくりと会話をした。恋人のようなことをしたい。その懇願に向けられた瞳にはかつて道の上で見た力はなかった。小さく頷いた動きに長い冬が終わった。気がした。

 人ごみが嫌いな恋人に合わせて閑散期のデートスポットを選んだがそう悪くはなかった。動物園も水族館も遊園地も、イベントや見どころがなくとも愛しい相手を連れていると思えば全て満たされた。普段いかない場所に彼と出かける。それだけで十分だった。
 ピークの終わった桜並木に人通りはなく、川沿いの道はとても静かだった。水の流れる音もうるさくない。花はなくとも枝のシルエットが青空に映えてとても美しいと思った。きれいだねと口に捨ても、当然返事はない。

 ペダルを回す脚を止める少し前から違和感を覚えていた。完璧な体調管理をする恋人は病院とは無縁で、それこそ体調管理の為の検査をするためだけに白い建物に行っていた。回数が増えた時点で気付くべきだった。
 恐ろしい選手を動かしていた執念ともいえる意思が消えた日、ほんのわずかな恋人としての時間の終わりを待たずに御堂筋翔は死んだ。自転車から離れた身体は体を蝕む病魔にあっさりと負け、救急車を呼ぶ間もなく魂を手放した。
 どこか調子が悪いと薄々気づいていながら追及しなかった自分を責めたのは短い時間で、脳裏に浮かんだのは彼と周りたかった場所だ。恋人として、ふたりで行きたかった場所。
 ぜんぶはむりでも、どうか

 大きさの割に重みのありそうなショルダーバッグを肩からかけ、一人で景色の感想を呟く青年の声は地面に散った桜の花弁にしか聞こえていなかった。

2016/05/14





5月21日新御ワンドロ「scapegoat」

 子ぎつねには記憶がなかった。と言っても新開自身の記憶が戻ったのも子狐に触れたあとだったのでつい先程までの時点では新開にも記憶はなかった。
 気まぐれで引っ越した先である山の動物に危害を加えないでくれと懇願され、別に危害を加えるつもりはないと説明したにも関わらず動物を一匹好きにしていいのでと差し出されたのが件の子ぎつねだ。親を早くになくして独りきりだった小さな生き物を支えてやれるほど山は優しくなかった。特に冬を前にした今、自力で食料を探すのも困難な子供はお荷物になっていたのだろう。
 鬼に怯えて逃げる小さな背中を追いかけるうちにうっすらと蘇ってきた記憶は追い詰めた体を捕まえてはっきりと蘇った。どこか違う世界の違う時間で、新開は子ぎつねに会っていた。会って、その背を追った。
「みどうすじ、くん」
 びくりと大きな尻尾と耳が跳ねる。名乗っても居ない名前を鬼が口にしたからに違いない。
「やっと捕まえた」
 遠い夏に出会った背中を追いかけた過去の自分は、結局一度も彼を捕えられなかった。弱弱しく哀れな生き物になって初めて腕の中に閉じ込めることが出来た少年はきっとこの先も新開を思い出さない。思い出さない理由を新開は知っている。焦がれていたのが自分だけだったから。少年は一度も新開のほうをみなかったから。
 子ぎつねがこの先送るはずだった静かで平穏な生活、あるいはすべてに見放され消えていくはずだった短い余生。小さな命のあるべき未来と引き換えに蘇った記憶に鬼はひっそりと感謝して暴れる身体を抱えて歩き出した。
 まだ子供を差し出す愚行に納得できない僅かばかりの良心が取り消しに来る前に離れなければいけない。ふたりきりになれる、どこか遠く、誰もいない場所へ。

2016/05/21




5月28日新御ワンライ「はじめての○○」

 瞳を開いて最初に見えたのは長い睫毛だった。作り物のようだ、と思った。彫の深い造りの顔は美しいとだけ形容するには個性が強い。分厚い唇も形は整っているが大きめの鼻も美しいだけではない。他者を惹きつける魅力はあるが同時に畏怖を感じる者もいる。御堂筋にとって新開の整った顔は間違いなく畏怖の対象だった。美しいと思わないわけではない。ただ、その大きく深い青が自身を見つめる時、胸がざわつき背筋が震える。恋する乙女の可愛らしいときめきではない。蛇に追い詰められた小さなネズミ。
 ペダルを回している時、御堂筋はいつも蛇の立場だった。怯える小動物を睨めつけ、動けなくなった相手に止めを刺す。畏怖を与える側であった御堂筋に与えられる側の気持ちは解らず解ろうともしなかった。解る頃には手遅れだった。恐怖を感じた時点で負けであると、恐怖を与える時には理解していた。与えられて初めて手遅れだと知った。恐怖を恐怖だと感じた瞬間、負けは決まっている。
 規則正しい寝息を聞きながら、じんわりと広がる敗北感とこの先を想像して御堂筋は閉じられている瞳が開く瞬間を恐怖した。

2016/06/04




6月4日新御ワンライ「喧嘩した日」

 レースの中でよく回る口も、日常ではそれほど機能しない。彼と道の上以外で接するようになって知った。レースにつながる場所で競争相手を罵り挑発する彼の言葉が他で誰かに意思を持って攻撃することはない。だから新開は、何気ない会話の中でレースと無関係に自分に向けられる暴言が好きだった。他の誰にも向けない殺意のこもった視線や罵詈雑言。引き出すための方法を知ったのは彼と近付きたいと熱望するあまりに無謀な手段をとった時だった。
 傍に居たいと告げて交際を始め、何度かデートまがいの外出をしたがレースの関わる会話以外は当たり障りのないつまらない受け答えしか返ってこない。こちらを見てほしいと願って引いた手を振り払われ続け、諦めずに引き寄せて腕の中に閉じ込めた。その日初めて、御堂筋は選手として以外の新開に向かって暴言を吐いた。
 よくある、捻りのない言葉だった。彼に言われたからといって傷ついたわけではない。口を閉ざした新開に御堂筋は勘違いをして背を向けた。怒ったり呆れたり、傷ついたのならば背を向けた御堂筋の予想通り新開はその場を後にしていたかもしれない。そうはせずに細い手首を掴んで歩き出した胸中に遭ったのは紛れもなく喜びだった。
 御堂筋翔が、他の誰でもなく自分に向かって他者を傷付ける意味を持った言葉を選手としてではなく人間として吐いた。
 歓喜と、同時に興奮があった。どすれば彼がもっと蔑んで罵ってくれるのかも瞬時に理解した。
 それから新開は彼に罵られる為に彼が最も嫌がる声と温度を与え続けている。与えられた生ぬるい感触に、御堂筋は喉がつぶれるまで嫌悪と拒絶を吐き続ける。普通の恋人同士と形は違うかもしれないけれど、これも一種の痴話喧嘩に違いない。
 今日も、練習を終えて昨晩の喧嘩を綺麗に忘れた御堂筋に優しく声をかける。優しげな声がなにより嫌いな恋人に、持ちうる限りの中で最も優しい声音を心がけて。


2016/06/04


6月11日新御ワンライ「きみとキャンプ」

 手際よく調理を進める新開の手元を大きな瞳がじっと見つめる。家を出る前からそうだった。荷造りもここに至るまでのルートの取り方も御堂筋は一度も口を挟まずただ黙って新開に任せていた。自転車が得意、なのではなく自転車以外が苦手なのだと改めて実感する。苦手。御堂筋はそう言うが実際は手を出そうとすらしないのだから得手不得手の問題ではない。興味がないのだ。御堂筋は自転車を除く他全てに興味がない。告白し、交際を申し込んだ新開に対しても同じで流されるように頷いた後も新開の真意を汲もうとはせず生活の邪魔にならなければどうでもいいと黙認しているに過ぎない。今日のキャンプもレースが終わってすぐのオフでなければ来なかっただろう。他にする事もないしと頷くまで根気強く話しかけて連れ出した。
「…器用やね」
 ぽつりと漏れた言葉に小さく笑みを漏らして礼を言うと大きな瞳が細められる。
「最初からできたわけじゃないさ」
「はぁ」
 信用のない相槌にまた苦笑いが漏れた。
「キャンプだって、もともと興味があったわけじゃないし。こういう料理もどっちかといえば苦手だったんだぜ」
 一通りの作業が終わって顔を上げると訝しげな視線と合った。ここに来るまでのスムーズな新開の動きからは信じられないと顰められた顔が物語っている。
「どうしても一緒に来たくて」
 言葉の通り、新開はキャンプも野宿も興味がなかった。インドア派なわけではないが好き好んで屋外で寝る趣味はない。
「ここ、数年前までは結構人が来てたらしいんだけど」
 続く説明も信じられない様で、御堂筋はくるりと周囲を見回して唇を結ぶ。新開と御堂筋以外は人一人居ない。シーズン前とは言えさびれた場所だと言われなくても伝わった。伝わるというより、新開が望んでここを選んだ。
「今はご覧のとおりでさ。だから」
 ここならどれだけ騒いでもいいんだ。小さく呟いた声は飯盒の中で沸騰するお湯の音で御堂筋までは届かなかった。

2016/06/11




6月18日新御ワンライ「プロレーサー新御」

 緩やかなカーブを抜け、上りが始まるまでの役目を終えた。チームの背を見送りって背後から追い上げてくるライバルのプレッシャーを受ける。チーム全体ではない、背中に受ける圧の中に感じるのは間違いなく彼だ。疲労のせいではなく唇が歪む。苦しい、ではない。嬉しい。
 二位のチームは追い上げてくるだけあって皆強者だ。直線を終えて役目の荷を下ろした新開はただ背後から迫る敵を待つ。始まった登りにダルの重みを感じる。軋む筋肉の音が背中に迫る車輪の音よりもずっと大きく聞こえる。
 今日のゴールは山頂だ。スプリンターの自分は登りきらずにリタイアをしてもいいと言われている。
 傾斜が激しくなり、今度こそペダルを踏む足から力を抜きかけた。瞬間、登りと思えない速度の車体が軽やかにすり抜けた。引かれて数台走り抜けていったが一台目ほどの軽やかさはなく、新開の目に入ったのも最初の一台だけだった。
 足が力を取戻し、軋んでいた筋肉から痛みが消えた気がした。この季節にしては涼しい気温が一気に上がっていくようにも感じる。まるで十数年前のあの夏だ。
 役目を終えた新開が全力で苦手な道を登っても仲間は決して褒めはしないだろう。どころか次回のレースに影響が出ると叱られるかもしれない。けれどあの背を目にしてしまった。10代の子供と変わらぬ歪な高揚が、律する心を壊してしまった。
「みどうすじ、くん」
 今では彼の名を正しく日本語で発音する選手はほとんどいない。同じ出身国のわずかな仲間だけで、新開もチームメイトに彼の説明をする時は解りやすく愛称で伝えている。
 久しぶりに口にした懐かしい名前に心が震えた。レースの後に控えた予定を全て蹴って、彼の名を彼に向かって囁きたいとペダルを踏む足同様強く願った。

2016/06/18

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2016/07/16新御ワンライ【大人】【誕生日】【蝋燭の数】

 一年のうちで一日、ひとつだけ、自分のわがままを言ってもいい日。と自分のルールを決めていた。幼い頃に決めた些細なルールは成人してからも継続していた。誰かに公言したことはない。常ならば言わない、けれど叶う望みの多いわがままを口にする。幼い日は親や兄弟に、学生時代は級友や部活の仲間にささやかなわがままを言ってわずかに困惑させた。困惑しながらも叶えてくれたのはそれが一年に一日の特別な日だからだ。
 普段は欲しがらない菓子を強請ったり、購買で一番人気のパンをいくつも食べたいと言ってみたり本当にささやかでくだらないものばかりだった。

「―いっ」
 昨年のわがままは例年よりも叶う望みは低かったがしつこく食い下がった甲斐があり日付が変わる前に叶えてもらえた。ただ手を繋ぎたいというささやかな、同棲している恋人同士としては志の低い願いだった。
 今年はそれよりもほんのわずかに重みを増した願い−恋人同士であれば決して無理な願いではないのだけれど。
「ぅ、イヤや、って言うとる、」
「いいじゃん。ほら、オレ今日誕生日だし」
 机に散乱した蝋燭が、細長い腕に弾かれて床に落ちた。とうに新開の年齢を表す本数は落ちきっていた。小さなケーキだけの乗った机に引きずり上げて押し倒した体は新開の望みを聞いて暴れ出した。叶うまで放さないと宣言してから既に1時間は経っている。疲れを見せ始めた身体が弛緩するのを見逃さず耳元に唇を寄せてもう一度呟いた。
「たまには御堂筋くんから誘って欲しいんだよな」
 意識して吐息に熱を込めた囁きに白い肌が僅かに染まる。慣れきった行為を思い出してか睨みつけていた瞳が強く閉じられた。 
「なぁ」
「イヤ、や」
 告白して交際を始め、同棲して何年も経つが御堂筋が新開に性行為の誘いをしたことは一度もない。
「したい、って言って」
 ほとんど耳を食む位置からの声に、ひきつった悲鳴が上がる。御堂筋が苦手な低い声。苦手に、した声だ。優しげな声でも飄々とした声でもなく、意識して作った大人ぶった声。すっかり大人になった今でも意識しなければ作らない声音。言い方を変えれば官能を含んだ音だ。
 太腿の内側に掌を這わせる。声だけですっかり力の入らなくなったは思うままに蹂躙できる。硬い机の上で最後まですれば明日つらいのは御堂筋のほうだ。解っていながらベッドに向かう気配を見せない普段は優しい恋人が言外に提示している条件を組み敷かれた身体は飲み込めない。
「―、ぁ」
 殊更ゆっくりと慣らして焦らせば拒絶の言葉を忘れた薄い唇が小さく震える。一言口にすればいいのだと、至近距離から合わせた視線で諭してやった。
 大きな瞳から涙がぽつりと零れる。聞こえるか聞こえないか、蚊の鳴くような音だった。
「うん。ありがとう」
 きっと今自分はこの上なく幸せそうな笑みを浮かべているのだろうと鏡を見なくても新開には解った。焼けそうなほどに熱かった触れ合っていた肌を離して机から立ち上がる。虚ろな表情で動けずにいる御堂筋を横抱きにし、短い廊下を進んで寝室に向かった。
 薄い身体をベッドに下ろす前に、新開は来年のわがままをこっそりと心に決めていた。

2016/07/16

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