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pdr
※試華/和の文字パレット弐(山御)
和の文字パレット(https://twitter.com/needbeen_s/status/5121222791576944641)使用させていただきました。

前後も落ちもないです




17千草色/紫陽花/混ざりあう


 他人に頼られると断れない性分という自覚はある。授業後に教師から雑用を押しつけられることも多い。その日も山口は生物の教師に渡された教材を準備室に運んでいた。担任にも了承を得たのでホームルームの時間を気にする必要はない。
 小雨が降り、湿気が多い。床と上履きの底がぺたぺたと音を立てていた。階段を下り、薄暗い廊下の突き当りに生物室がある。預かった鍵をポケットから出そうとして眉を顰めた。空の筈の準備室から僅かな物音がした。授業をサボった不良か、と一瞬過った不安は足元に見えたドアに噛まされた定規で掻き消えた。内側からなら簡単に開くはずの扉が外から施錠されている理由は考えればわかる。
 定規を外し鍵を開いてドアを開け、室内を窺った。
「大丈夫か」
 カーテンが閉められた準備室は廊下よりも暗く、生物準備室に置かれた教材をより一層不気味に見せている。恐らく閉じこめられたであろう生徒の姿が見当たらず室内を見回した。
「おい。もう外誰もおらんから、さっさと自分の教室行って―」
 部屋の奥まで進み、棚の陰になっている生物室に続くドアの前で脚を止める。真っ黒な制服で蹲る姿は山口のよく知る少年に間違いなかった。
「御―」
「山口くん?」
 あげられた顔は部活中の支配者ではなく明らかな弱者だ。二日前のレースを終えたばかりの彼は常人並、ではなく以下の生命力しかないように見える。
 御堂筋がクラスメイトによく思われていないと知っているのは山口だけではない。というより部員ですら部活以外で彼と積極的に関わりたくはない。卒業した石垣のように分け隔てなく誰にでも接することができる人間はそう居ない。廊下に貼り出されるテストの順位を見れば御堂筋の成績は聞かずとも知れたし、学年合同の行事で見かける姿から同級生との間に溝があるのも知っていた。
 成績がよく、近寄りがたい人間を思春期の子供がどう扱うのか学び舎という檻にいれば嫌でも解る。インターハイ上位を狙う部活にいる限り理不尽な暴力―目には見えない物も含めて―に耐えるしかない。頭のいい御堂筋が相手を黙らせるのは難しくないのかもしれないが、逆上した人間は何をするのか予測はできない。万一怪我でもすれば彼が唯一としている競技に参加できなくなる。
「…ホームルーム終わっとるで」
 チャイムの音が鳴り響き、廊下から声が聞こえた。絞り出すように呟いた山口の言葉に御堂筋はぱちりと大きな目を瞬かせる。手に持っていた教材を見ている事に気づき、先生に頼まれてなと言う。
 閉じたカーテンに、閃光が走った。雷だ。静かな雨音に、大きな雷鳴が響く。空がどんどん暗くなり、薄い色のカーテンが濃く見えた。元の色が何色だったか思い出そうとして、何故そんな事を考えているのか不思議になった。
 御堂筋翔という後輩を色に例えようとして出来ないと思ったからだろうか。自転車に乗っている彼と、乗っていない彼、校舎の中で見かける下級生と、部活での独裁者然とした姿。不安定だ。教材を机に置き、その中に見えた小さな紙に視線がいく。性質の違いを色で表す実験をしたのはいつだったか、山口には思い出せなかった。
「…おんなじ花があったな」
 未だ床から立ち上がらない御堂筋に、沈黙を破る為に吐いた言葉は届いているのか解らない。大きな瞳の視力がいい事は練習をサボっている部員を目ざとく見つけるので知っていた。
「ほらこれ酸性で赤になるんやけど」
 少し離れた暗い位置でも見えると信じて話しかけていたので二回目の閃光で伸びた影が真横に見えて肩が強張った。山口の指した教材を覗き込む目を、見てしまった。
 レース直後の生気のない御堂筋の瞳を無意識に避けていた。大きな眼球に避けていた事実を自覚した。
 いつの間にか部にいなくてはならない存在になった独裁者を、守ると決めてからひた隠してきた薄暗い感情。大切なエースを感謝されずとも支えると決めていた。誰が彼を悪く言おうとも努力を知り痛みを恐れない人間に敬意をはらえる存在になりたいと、山口は密かに想っていた、のに
 
 覗いてはいけない真っ黒な穴を 覗いてしまった。

 触れた頬は見た目よりもざらりとしていた。手入れをしている女子なら兎も角、炎天下でペダルを回していれば当然かもしれない。感触は悪いが、両手で挟んで掌に伝わる柔らかさは中心にある大きな口から漏れる暴言を忘れそうだ。正面から見つめた無表情な顔は言葉で表現するならば不気味の一言に尽きる。真っ黒な瞳をぐるりと囲む白目。切りそろえられた前髪。薄い唇から覗く真っ白な歯と真っ赤な舌。表情のない顔は人形に見えた。
 どのくらい閉じ込められていたのかは解らない。山口の手を振りほどかない所を見ると疲れ切っているので思ったよりも長時間なのかもしれない。ただでさえレース後の御堂筋にない気力が更に消えてしまっている。
 僅かな憤りを感じながら黙ったままの長身を引き寄せた。自身の行動も抵抗しない薄い身体も、どこか現実離れしていて頭がふわふわとした。小さな雨の音と、時折走る閃光に照らされた室内が日常から切り離される錯覚に陥る。
 北向きの教室は季節外れの寒さを感じ、汗だけではない空気の湿気で触れ合う肌は妙にじっとりした。肌異常に湿り気を帯びた古い床の感触は正直気持ちのいいものではなかったが熱に浮かされ擦り合った粘膜が五感を攫い他の全てが薄くなる。徐々に強くなる雨音も、閃光から間もなく響く雷鳴も聞こえない。聞いたことのない噛み殺しひっくり返った声と、レースとは違う荒い息だけが脳を支配し、興奮で眩暈がした。

 鍵を閉めていなかったと気付いたのは廊下に出て施錠した時だった。御堂筋も同じであったのか、背後から小さく舌打ちが聞こえた。謝るべきか迷っていると、それより先に掠れた声が静まり返った廊下に響いた。決して張り上げた声ではなかったが彼の声を何より確りと拾いたがる耳にはそう聞こえた。
「逆や」
「え」
 振り返ると、丸まった背は既に数歩先を進んでいた。職員室に鍵を返しに行く山口と、教室に向かう御堂筋の進路は違う。別な方向に進む階段の手前で、一度だけ御堂筋は足を止めた。
「紫陽花は、酸性でアオ、や」
 矢張り彼は頭がいいのだと感心する間に、伝えたかった言葉を終えた御堂筋はさっさと山口から離れていく。
 雷の音同様遠くなる背は黒い制服だというのに、ユニフォームの色に見えたのは会話のせいかもしれない。一色では例えられない彼が、酸性とアルカリ性の二色を混ぜた服で走るのは必然な気がした。何色にも染まらず、同級生の嫌がらせにも突然の年上の行動にも少しも左右されない。
 ゆらゆらと去っていく背中が見えなくなっても、山口は廊下の先をぼんやりと見つめていた。雷鳴に引き換えて強くなった雨音を聞いているうちに、ほんの少しの後悔と、言い表せないじんわりとした甘い痛みが喉から下に広がった。

2015/11/12

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