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※忘華/和の文字パレット弐(新御)
和の文字パレット(https://twitter.com/needbeen_s/status/5121222791576944641)使用させていただきました。

前後も落ちもないです





4黄金/金木犀/知りあう

 最初に思い出したのは頭部への衝撃と甘い香りだ。目を開いて初めに見えたのは白い天井。室内に居たのは見知らぬ若い男が二人。病室だとわかったが何故自分がそこに居るのかはわからない。
 頭を打って一時的に記憶を無くしているのだと、後から病室に来た医者が言った。部屋に居た男の一人は福富と言い、もう一人は荒北と言った。二人の口から自分の名前を聞いても、それが本当に自分の名前なのかどうか自信が持てなかった。ただ、病室を一度だけ覗いて消えた真っ黒な服を着た男の顔だけはやけに印象に残っていた。

 何年も前から一人暮らしをしていると聞いたが、部屋に戻ってもぴんと来なかった。大会の最中にマシントラブルで落車をしたのだと教えられても、何の大会だったのかすら思い出せない。お前の愛車だと見せられた乗り物すら、どこか不思議な物体に見えた。
 生活に必要な記憶はある。呼吸の仕方や睡眠、排泄、性交の仕方も覚えている。食事もできれば料理もできる。掃除も洗濯も、他人とどう会話をすればいいのかもわかったが自分の名前はわからない。かつて持っていたであろう目標のようなもの、恐らくは記憶を失うきっかけであったろう大会―ロードレースだと聞いた―のことすら思い出せない。
 室内に置かれたローラー台(と福富は言っていた)に自転車を乗せる。バランスを取るのが苦でなかったのは体が覚えているからなのか解らなかった。ペダルを回している最中も、病室を覗いた大きく黒い瞳が頭に焼き付いていた。
 記憶が戻るまで外を走る事は禁じられていたので毎日ローラー台に自転車を乗せた。病院に運ばれたと知ったかつての仲間や友人が何人も部屋を訪れてくれたが、病室で見た真っ黒な男は何日待っても現れなかった。
 泉田と名乗る後輩に彼の事を訪ねると眉を顰めて思い出す必要はないと言われた。好敵手だったと笑う田所もまた、あいつの事を思い出さなくてもいいんじゃないかとその時だけ笑みを消した。福富や荒北も、黒い男について聞くと目をそらして口を閉ざした。
 どうしても一度会いたいと、その日部屋に来ていたかつての仲間に懇願した。異様に背の高い後輩だと言う男は、先輩の頼みなら仕方ないと無邪気に笑って頷いてくれた。
 数時間もしないうちに引きずられて現れた彼はあの日と同じ黒い服だった、部屋の奥にある自転車と同じ、否それよりも小さなマシンを持っていた。男を連れてきた後輩はすぐに帰った。おれが連れてきたって言わないでねと早口に告げて。男の事を訪ねるたびに皆が見せた顔を思い出せば彼の言葉は納得がいった。彼と自分は、一言で言えば不仲であったのだろう。ならば何故あの日、彼は病院に居たのか。恐らく落車に巻き込まれたのだろうとおおよその当たりはついた。自身も記憶の欠乏以外は軽傷であったように彼も怪我はなかったのかもしれない。だから自由に歩き、もう一人の怪我人を確認した。
「なぁ」
 一言も発さずに背中を向ける男に声を掛ける。ドアを開かれる前に素早く手を伸ばして鍵をかけた。大事にしているであろう自転車を強引に奪って室内に運んだ。
「な、ちょ、新開く―」
「名前」
「は」
 慌てる声に、これはやはり大事なのだな、と確信して担ぐ腕に力を込めた。傷付けていけないと慎重に部屋の奥に運ぶ。
「なんての。名前」
 自身の愛車と並べて背を向ける。振り向いた先にいる男を上から下まで眺めた。年上か年下か、或いは同年代なのか見た目だけでは解らない。背は高いが厚みはなく、大きな瞳と低い華は幼くも見えるが読めない表情は年老いても見えた。一瞬だけ発された声は見た目よりも高かった。歯並びは美しく、宝のように輝いてすら見えた。
 ぞくりと背中に走った感情がなにであるかは解る。解るが、それは目の前の人間に向けるにはあまりに不自然な感情だった。
 唐突に、周囲が彼と自分を会わせない別な理由が浮かんだ。男同士であることと、不自然な欲望。教えられた年齢は結婚適齢期と呼ぶに相応しく、終わりにするにはちょうどいいと想えた。
「―じゃあ、なんで」
 何故一言もなかったのか。説明してくれてもいいんじゃないか。想像できる関係が事実であったならぶつけたい言葉が山ほどこみ上げた。けれどそれは口から出ることはなく、視線をそらす男に昂ぶった感情が先に手を出す。掴んだ手首が強張るのを感じて、直感で自身が彼を組み敷く側であったのだと理解した。暴れる体を、どう抑え込めばいいのかわかる。どころか、どう犯せばいいのかすら。
「教えろよ。なんていうの。名前」
 記憶はないが常識はある。見ず知らずの人間を床に引き倒して乗り上げてはいけないなど当然理解できていた。理解しながらやめられないだけの衝動がこみ上げ、まるで虫を張り付けていると錯覚するほど長い手足がもがく様に興奮した。
「ねぇ」
 恋人だった、かもしれない人間。ならば甘い声を出すべきだ。そう判断して耳元に唇を寄せて囁くと暴れていた身体が硬直した。僅かな震えを見逃さずに衣服を剥ぎ取って乱暴に事を進めた。声を上げまいと口を押える手首を掴み、俯せた身体の背後に引いた。しばらく自分でも処理していたなかったせいか揉み合っているうちに精を吐き出してしまった。みっともないと自嘲しつつ吐き出した体液を使って簡単に馴らしてから挿入した。一度放した片手をもう一度掴み、両手首を背後に引くと薄っぺらく骨ばった背中が反りかえる。壊れそうだと思うのと、見た事がある、と感じたのは同時だった。
 ひぃひぃと掠れた声が耳に入り首から背中、腰に快感が走った。ああ、そうだ。
「み、どうすじ、くん」
 上ずった声が厚い唇から漏れる。反った背が震え、無理に引きずり上げて立たされた膝ががくがく痙攣した。
 恋人ではなかった。けれど不仲だったわけでもない。体の関係はあった。それも今と同じに引き倒して抑え込んで。
 知る必要がないと言った友人や知人の言葉は嘘ではなかった。彼との出会いを考えればいい思い出ではなく、選手としての彼しかしらない後輩はきっと尊敬する先輩と彼を再開させたくなかったに違いない。
 けれど不自然なまでに会う必要はないと言った仲間はそうではない。仲間を案じたのではなく、違う方向に心配を向けていた。心配、ではなく、あるいは。
「残念だったね」
 記憶を失った新開を見て、御堂筋はすぐに周りに根回ししたのだろう。二人の間には何もなく、自分が新開に会えば悪影響を及ぼすとでも言ったのかもしれない。
「逃げられると思った?」
 掠れた息が嗚咽に近くなる。逃げそびれた獲物を捕えた快感と久しい性交に熱は収まりそうにない。
 思い出すまで少しも感じなかった部屋の奥に置かれた愛車をちらりと見る。落車をしても大した怪我をしなかったのは長く乗った相棒のお蔭ではないかと感謝した。
 半身とも呼べるそれに触れても全てを思い出せなかった理由はひとつ。あの夏、新開は半身との間に溝ができる程砕かれた。砕いたのは彼だ。新開に組み伏せられ、憐れな声を上げて泣く生き物。感じる場所をしつこく抉り、意識がなくなるまで追い詰める。
 思い出したばかりの行為はまるで初めてのようだった。

2015/10/31

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