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pdr
眼鏡越しのキミと(銅泉/ワンドロ)
10月1日の銅泉ワンドロ「眼鏡越し」






「これは人の心が視える眼鏡だ」


 そう言って泉田が取り出したのはどこにでもある普通の眼鏡だった。
 普通の眼鏡に、銅橋には見えた。
 まさかそんなものが存在するはずはないと言う間もなく、泉田はそれをかけていた。見慣れない顔にそわりと背中がざわつく。

 テスト前、部活停止期間。放課後の教室には泉田と銅橋以外誰も居ない。苦手科目を教えると言う同級生の少女が幼馴染を追いかけて出ていってしまい銅橋は一人教室に取り残された。待ちぼうけをしている背中に声をかけたのは泉田だった。帰り支度を終えている先輩の姿に違和感を覚えたが理由を説明して挨拶をすれば彼は昇降口に向かい、銅橋は机に向かって同級生を待つだけだ。そのはずが、泉田は何も言わずに銅橋の正面に椅子を向けて座り、広げられたノートに視線を落とした。
 苦手科目ではない、と前置きして銅橋の解けない問題を聞く声は部室で支持を出す主将然としたものと全く違った。速すぎず遅すぎず、リズム良く問題を解く言葉だ。わかりやすいと感心しながらも、常と違う泉田の声に銅橋は僅かに緊張していた。

「集中していないな」
 一ページ分問題を解いたところで泉田の声音が変わった。道の上で聞く声に似た音に背筋が伸びる。
「すみません」
 筆記具を持ち直し、意識して強めに瞬きをしてから教科書を見直す。と同時に、無機質な文字の上に眼鏡が落ちた。
「これは」
 先程と同じ、柔らかな言葉だ。眼鏡に視線を奪われ、持ち上げられた動きを追った先で上機嫌な瞳と目が合った。
「人の心が視える眼鏡だ」
 眼鏡をかけた泉田の顔は、それ自体何も変化がないはずだと言うのにまるで別人に見えた。

 人の心が視えるなどありえないと解っている。解っているのに、愉しげに自分を見つめる大きな瞳に見つめられると徐々に居心地が悪くなる。解けない問題と見つめ合っている気分だ。
 部活のない校舎内は静まり返り、窓から射し込む日が冬らしく橙に染まっていく。厚いレンズにも僅かに色が映り込んでいた。全力で直線を走ったような動悸に襲われる。なんとか顔に出さないようにと深めの呼吸を繰り返す。つばを飲み込む音も、正面で微笑む男に聞こえないでくれと願った。

「ボクも」
 突然の声に、体が不自然に強張って椅子が音を立てた。大きな音に泉田も言葉を切ったので思わずすみませんと言おうとするが緊張で乾いた喉からは情けない呼吸が漏れただけだった。
 ふ、と短い溜息に似た笑いが静かな教室に響く。情けなさで下げた顔を上げれば先程よりずっと楽しそうな顔で笑った泉田が言った。
「ボクも同じだ」
 不可解な言葉に疑問符を投げられずにいる銅橋に、外した眼鏡を渡して泉田は席を立った。半端に残されたテキストも言葉の意味も聞けない。ただ心臓の音を納めるために机に向けた視界に、置かれた眼鏡がある。
 嘘だと知りながら、銅橋は手に取った眼鏡をかけていた。
 教室のドアを出る直前に一瞬振り返った泉田が分厚いレンズ越しに見えた。
 分厚いレンズに度は入っていなかったので視力のいい銅橋には泉田の姿がくっきりと見えた。普段と変わらない背中に、しかし違いを見つけてしまった。

 分厚いガラス越しに見えたオレンジ色に染まった教室と、夕焼けではなく朱に染まった耳。
 縁どられた景色を見て、これは本当に人の心が解る眼鏡なのかもしれないと笑う。机に視線を落とし、慣れない視界のままで銅橋はノートにペンを走らせた。

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